灰の傭兵と光の園 番外・灰の隙間で

青羽 イオ

第1話 白帯の枝道――ラインガード第6小隊

 白帯は、細かった。


 幹線に合流するためだけに引かれた枝道。導光ケーブルの上を淡い光が流れ、灰で色の消えた地面に「ここを歩け」とだけ残している。


 炭鉱の町は約3,000人。企業の看板も、保安隊の臨時駐屯所もない。掘って、燃やして、冬を越してきた町だ。


 だが灰が増え、空が低くなった。肺の奥に粉が残るようになってから、避難はもう“相談”じゃなくなった。


 UDF所属ラインガード第6小隊が、その護衛に回された。


 隊長機バッファロー1。スケルトン4。歩兵20人。


 隊長のウィリアムは48歳。声を張らない。怒鳴らない。代わりに、目が忙しい。

 副隊長のジェームズは38歳。返事が早く、手が早い。誰かが躓く前に腕が出る。

 オリバーは35歳。無線が短い。必要なことしか言わない。

 エドワードは38歳。口が先に動く。弾倉より先に軽口が減る。

 新人のハリーは23歳。怖いものは怖いと言う。言ったあと、足が止まりがちだ。


 住民の列が、白帯の枝道を流れていく。

 毛布を抱えた老人。袋を背負った男。泣き声を飲み込む子ども。

 靴底が灰を踏む音だけが、やけに大きい。


〈ウィリアム〉「……最後まで線から目を離すな。手順どおりだ」


〈ジェームズ〉『了解。隊長、終わったら町の酒は残ってますかね』


〈エドワード〉『残ってたら全部、隊長が買い取ってくれますよ』


〈ウィリアム〉「買い取らん。守るのが仕事だ。飲むのは……生きて帰ってからだ」


〈オリバー〉『……無線がうるさい。灰の音が聞こえん』


 単調になるほど無線が賑やかになる。怖さを追い払うための癖だ。

 ウィリアムは相槌を返さず、何度も視線を町へ戻していた。通りの奥。閉じた窓。開いたままの扉。誰もいないはずの家。


〈ジェームズ〉『先行車列、幹線合流確認。住民、ほぼ通過――』


〈ウィリアム〉「“ほぼ”は要らん。……俺が最後を見てくる」


〈ジェームズ〉『隊長、そういうのは俺が――』


〈ウィリアム〉「黙って付いてこい」


 バッファローが向きを変える。重い金属が動くと、町の空気が少し揺れた。

 ジェームズのスケルトンが並ぶ。歩兵が左右へ散り、通りの角を押さえる。


 町の外縁は、崖みたいに落ちている。炭鉱側へ下る作業道が1本。

 崖下は灰が溜まり、風が回る。視界が白く濁り、足元の音が戻ってこない。


 通りを進むにつれて、生活の痕が薄くなる。

 椅子が倒れたまま。鍋が冷えたまま。灰が均一に降って、そこに“今朝まで”があったとだけ伝えてくる。


 そして、家の前。


 小さな影が座り込んでいた。

 子どもだ。泣き声が枯れている。喉の奥が擦れる音だけが残っている。


〈ジェームズ〉『……隊長、子どもがいる』


〈ウィリアム〉「見えてる」


 ジェームズはスケルトンをしゃがませ、外へ降りた。歩兵2名がつく。

 銃口は下げたまま、距離だけ詰める。


「坊主。どうした」


 子どもは顔を上げた。頬に灰が張りついている。


「……ママが……いる」


 震える指が家を指す。


「動けない。置いていけない……」


 その瞬間、町の外縁――崖下から、音が来た。


 最初は崖が崩れたのかと思った。

 だが崩れる音は一度で終わる。これは終わらない。乾いた接地音が、波みたいに重なって増えていく。


 無線が割れた。


〈オリバー〉『接触。崖下だ。登ってくる』


〈エドワード〉『影、数え切れません! ……キーテラ!』


 灰の向こうが、黒く塗り替わる。


 崖を駆け上がってくる。岩に爪を引っかけ、身体を畳み、群れで押し上げてくる。

 数は――約300。


 ウィリアムの視界の端で、白帯の光が細く伸びている。

 その先には、いま幹線へ合流した避難の列がある。まだ近い。脚の速いものなら追いつける距離だ。


 ここで通したら、終わる。


〈ウィリアム〉「全隊、町の縁で止める。白帯に近づけるな。――ジェームズ、状況」


〈ジェームズ〉『家の中に母親。動けない。連れ出す』


〈ウィリアム〉「許可する。最優先で前へ流せ。こちらは壁になる」


 命令は短い。枝道にはそれで足りた。


 ジェームズは家に入った。

 室内は冷えている。寝室のベッドに女がいた。呼吸は浅い。顔色は灰そのもの。薬の匂いが薄い。つまり、尽きている。


「起きられるか」


 返事はない。


 ジェームズは一瞬だけ目を閉じ、次の瞬間には肩へ担いでいた。

 軽すぎた。人の重さというより、残り時間の重さだった。


 外では、もう銃声が始まっている。


 スケルトンが撃つ。歩兵が撃つ。

 だがキーテラの波は、音の隙間を埋めるように増える。


 歩兵の列が崩れるのは早い。


 1人が弾倉を落とした。灰で手が滑ったのか、震えていたのか。

 拾おうと屈んだ瞬間、黒い影が覆いかぶさる。

 隣の兵が腕を掴んで引いた。引けたのは腕だけだった。肩口が裂け、熱い液体が灰を濡らす。

 叫び声が短く途切れる。


 別の兵は逃げようとした。逃げた先が崖際で足が止まる。後ろから押され、前から噛まれ、どちらにも倒れられないまま削られていった。

 銃は最後まで撃っていた。弾が尽きるより先に、指がなくなった。


 ウィリアムのバッファローが前へ出る。

 装甲が盾になる。金属が鳴る。爪が滑り、火花が散る。


〈ウィリアム〉「歩兵、下がれ。撃ちながら下がれ。死ぬ位置に立つな」


〈歩兵〉『無理です、来ます!』


〈ウィリアム〉「来るなら撃て。撃てる間に下がれ」


 歩兵の足がもつれる。正しさのほうが遅い。


 エドワードが前へ出た。ありったけの弾をぶち込む。


〈エドワード〉『寄せます! まとめます! 派手にやれば寄るんでしょ!』


〈ウィリアム〉「しゃべるな。撃て」


〈エドワード〉『はいよ!』


 キーテラが寄る。狙いどおりに寄る。

 だが数が多すぎる。寄った分だけ、周囲が黒くなる。



 ジェームズは母親をスケルトンのコクピットへ押し込んだ。子どもも乗せる。


「ここに座れ。触るな。何もだ」


「……でも……」


「触るな。こいつは、いま“前へ行く”だけだ」


 ジェームズは操作盤から手を離した。

 自動操縦。白帯の光を追う設定に切り替える。


 そして操縦席から降り、地面に着地した。コクピットの縁に手を置いたまま、一瞬だけ中を見る。子どもの目がこちらを追う。母親の胸が、かすかに上下する。


〈ジェームズ〉「……行け。止まるな。幹線まで行け」


 スケルトンは無言で前へ進む。


 オリバーが並走した。傷だらけのスケルトンで速度を合わせる。


〈オリバー〉『幹線まで付く。ここは俺が見る』


〈ジェームズ〉『……任せた』


 幹線の太い白帯が見えたところで、オリバーは母子のスケルトンを光の流れに押し込んだ。列はまだ途切れていない。追いつかれれば終わる距離だ。


〈オリバー〉『ジェームズ。戻るな』


〈ジェームズ〉『戻る。副隊長の仕事だ』


〈オリバー〉『……そうか』


 短い肯定で、会話は終わる。


 ジェームズは踵を返した。戻る、と決めた瞬間に、身体が勝手に走り出す。

 灰の溜まる裏通りを抜ける。息が焼け、喉に粉が残る。それでも足だけは止まらない。


 前線は、もう“線”ではなく、黒い波だった。


 ウィリアムのバッファローが揺れる。足元が沈む。装甲の下へ、黒が入り込む。


〈ジェームズ〉『隊長機、押されてる!』


 返ってきた声は落ち着いていた。落ち着きすぎて、逆に怖い。


 バッファローが沈み始めた。装甲の下へ黒が入り込み、足元がほどけていく。

 通信は、まだ数秒だけ生きていた。沈み切る前に、隊長が最後の指示を押し込んだだけだ。


〈ウィリアム〉『……白帯は守れ』


 そこで、ぷつりと切れた。


 エドワードの弾が尽きた。


 スケルトンが一歩下がる。下がった先にもキーテラがいる。

 逃げ場はない。なら、詰めるしかない。


〈エドワード〉『……弾切れ! よし、じゃあ殴る!』


 スケルトンの右腕が振り上がり、黒い影へ叩き込まれた。

 金属が肉を潰す鈍い音。爪が装甲を引っ掻き、火花が散る。


 もう一発。

 さらに一発。


 殴るたび、腕の慣性がコクピットへ返ってくる。肩が軋み、肘が跳ねる。

 キーテラは潰れきらない。群れが押し寄せ、殴った分だけ“黒”が増える。


〈エドワード〉『このっ……このっ……!』


 スケルトンの拳が鈍る。

 次の瞬間、脚に何かが絡みついた。引き倒される感覚。


 重い躯体が横へ倒れた。

 地面が近づき、視界が白く弾ける。衝撃が骨へ響き、計器が一斉に赤く点滅した。


〈システム〉《姿勢制御:喪失》


 外装に爪が食い込む音。装甲が削られる音。

 上から下から、黒い影が押し込んでくる。


〈エドワード〉『……くそっ、やっぱり倒れる!』


 コクピットを手動で開ける。ロックが噛み、半分しか上がらない。

 エドワードは肩で押し、身体をねじ込むように這い出した。


「このやろー!」


 灰が口に入る。咳き込みながら、地面に転げ落ちる。

 転げた先にも影がいる。腕で這って距離を作り、ライフルを掴んだ。


 そのとき、足音が来た。


 ジェームズが走ってくる。息が切れているのに、歩幅は落ちない。

 エドワードは立ち上がりきれないまま、膝で姿勢を作る。


 2人が肩を並べる。灰が歯に噛む。息が白く曇る。


〈ジェームズ〉『エド。最後に言うことは』


〈エドワード〉『隊長に酒、奢ってもらえなかったのだけ、心残りっすね』


〈ジェームズ〉『あいつは奢らん。……奢る前に沈むタイプだ』


〈エドワード〉『じゃあ、割り勘で。……割り勘、嫌いなんですけど』


〈ジェームズ〉『生きてるやつの贅沢だ』


 2人は同時に引き金を引いた。

 乾いた銃声が続く。弾は入っていく。だが波は止まらない。


 黒い影が近づく。覆う。

 視界が黒で埋まり、音が布で塞がれたみたいに遠くなる。


 ジェームズの無線がノイズに沈み、エドワードの声が消えた。


 オリバーは、引き継ぎ地点から少しだけ母子の背中を見送った。

 子どもが振り返りかける。その視線を、オリバーは受けない。


〈オリバー〉『……生きろ』


 それだけ言って、オリバーはUターンした。


 戻る、というより、切り返す動きだった。迷いがあれば、足が止まる。

 オリバーは群れへ突っ込んだ。

 ありったけの銃弾をぶち込みながら、黒い波の中心へ入っていく。

 装甲が削れ、爪が食い込み、火花が散る。だが止まらない。止まれない。


 その頃、ハリーは炭鉱側の作業道で固まっていた。


 足が動かない。息が浅い。

 無線の声が、次々に消えていく。隊長、ジェームズ、エドワード。オリバーの音も薄くなる。


〈ハリー〉『……俺、どうすりゃ……』


 返事はない。


 怖い。逃げたい。

 だが白帯の光が頭に残る。そこを歩いた住民の背中。あの子ども。ベッドの母親。


「……俺、何してんだ」


 炭鉱の倉庫の前に、爆薬の箱が積まれていた。

 この町なら当然ある。使われなくなって、置き去りになっていた。


 ハリーは箱を開けた。中身を確かめ、喉が勝手に鳴った。

 笑える状況じゃないのに、笑いが漏れる。自分が一番信用できない顔だった。


「……あるじゃん」


 詰めるだけコクピットに詰める。足元にも押し込む。座れなくなるぐらい積む。

 倉庫の隅に、白帯の補修用導光ケーブルの予備巻き――予備線があった。ハリーはそれを引きずり出し、スケルトンの腕に巻き付けた。


 光の線を、自分に結びつける。


〈ハリー〉「……来い」


 ハリーは群れへ向かった。


 撃つ。撃って、撃って、撃ち続ける。

 キーテラが寄る。狙いどおりに寄る。光に引かれるみたいに集まる。


 腕をもがれた。片手で撃つ。

 足をもがれた。片膝をついて撃つ。

 その足ももがれた。


 スケルトンが倒れる。

 倒れても、導光ケーブルは巻き付いたままだ。群れはそこへ重なる。黒い波が、最後の一点へ集まる。


 ハリーは泣いていた。

 泣きながら叫んだ。見えないはずの灰色の空を、なぜか見上げた。


「……すみません!」


 誰に言ったのか分からない。

 謝罪なのか、報告なのかも分からない。


 ただ、指は迷わなかった。


 固いスイッチを押し込む。震えた指先が、最後に力を入れる。


 白い光が、灰の世界を一瞬だけ塗り替えた。


 衝撃が地面を叩き、空気が裂け、黒い波が吹き飛んだ。

 あたり一帯のキーテラがまとめて消える。崖が崩れ、灰が舞い上がる。

 音は遅れて追いつき、次の瞬間には遠くへ引いた。


 幹線の白帯を歩く避難の列は、止まらない。止まれない。


 母子のスケルトンは自動操縦のまま、光を追って進む。

 子どもは背後を振り返らなかった。振り返っても、見えるのは灰だけだと分かっていたからだ。


 それでも小さく、喉の奥で言った。


「……ありがとう」


 母親の胸はまだ、小さく上下していた。


 返事はない。


 白帯の光だけが、淡々と先へ流れていった。


―――


「灰の傭兵と光の園」本編:

https://kakuyomu.jp/works/822139840392255235


クイックガイド:1枚で分かる『灰の傭兵と光の園』があります↓

こちらは本編『灰の傭兵と光の園』のために作った、世界設定&メカ資料をまとめたサブ作品です。

https://kakuyomu.jp/works/822139840184157585


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2025年12月24日 20:00
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