第二話 泉田みく その2

 お宮さん、とひなが言っていたのは八幡神社のことで、河間町を護る輪中堤の一番西の端にある。

 河間町の海抜は、西に行くほど高く東にゆくほど低い。社というのは本来、災害時の避難所であるとも言われているので、これは理にかなっていると言えるだろう。

 神社には、堤防の坂にそって数台分の駐車場がある。みくはそこに軽自動車を停めた。

「ははあ、ここが」

 車から降りた棚田は、八幡神社の鳥居の前ある、お社に目をむけた。小さな鳥居とお社のみであるが、風格がある。

「みくさん、こちらのお社は?」

「……おしらさん……」

「おしらさん」

 みくに代わり、ひなが教えてくれた。棚田は知らず、微笑を浮かべていた。

「と、言うことは、コミュニティーセンターのカレンダーに書かれていた、おしらさん、というはこちらの神社で間違いないですか?」

「うん。字はね、漢字の白。で、おしらさん」

 今度は、境内に入る前にタバコを吸い終えようとしていたみくが教えてくれた。

「本当はちゃんとね、白髭神社、って言わなあかんのやろうだけど。ウチらはおしらさん、って呼ばせてもらってるの」

「白髭神社というと、隣県と関係ありだとしたら、祭神さまは猿田彦大神ですか?」

「ご名答! やっぱ、さすが大学の学者先生はひと味違うねえ」

 携帯灰皿にタバコを捻り込んだみくは、ひなと手をつないだ。

「ほら、学者先生、こっち来てみて」

 ひなが、おいでおいで、の形に手をひらひらさせる。

「ちょい、ここ、ほら、ここん所、見てみ?」

「はい」

 素直に答え、棚田は、みくが指さし、ひながトトロにでてくる『メイちゃんすわり』をしながら見ている先をなんの疑念も持たずにのぞき見た。

 白髭神社のお社の南側は、小さいながらも立派な囲いがしてあり、そこには自噴水があった。

 澄んだ水をただ一心に煌めかせているその姿は、小さくとも、なにか、何というというべきだろうか――そう、まさしく信仰の対象となるべきものとしての威厳と風格をたたえている。

「これは?」

「これがね、『河間がま』なんよ」

「えっ、これが?」

 棚田は息を呑む。言葉がつげなかった。

「この辺はねえ、こういう自噴水があっちこっちにあるの。それこそ、小さいのから大きいのまで、数知れずね」

「ぼくはてっきり、河と河にはさまれてる土地だから、『河間』なのかと」

「堤防もあるし、そう思われるのが普通かもね」

「これって、飲料用水になるんですか?」

 あまりの透明度に、吸い込まれていきそうだった。うっとりと、問いかけている自覚もなしに聞いた棚田に、ううん、とみくは首を振った。

「綺麗に見えるけど、お腹壊すよ。何とか言う、ダメな成分が含まれてるんだってさ」

「へえっ? こんなに綺麗なのにですか?」

「うん、今は調べるの簡単だからあれだけど、昔から、河間は農作業にしか使われてないんよ。井戸とは、別物」

「そう……なんですか」

「経験則で、飲んだらダメだって分かってるんだろうね、湧き水扱いできないって」

 みくは、ひなの手を握りなおすと立ち上がった。

「ぼちぼち始まるみたい。行こ、学者先生」

 カイロをもみほぐしている棚田にひなは、また、おいでおいでをする。

「……」

 無言のまま差し出されたもう片方のひなの手を、大いに照れながら棚田はとり、三人で歩きだす。

 ふと、小さなハミングが聞こえてきた。ひなが歌っているのである。ハミングなので歌詞は分からないが、音程からして民謡のような節回しである。

 ――奉納される神楽か何かの曲かな?

 こんな小さな子にまで、祭りが身に染み付いている。

 それだけでもう、感動ものではないか。

 改めて、棚田はこの取材にやり甲斐と意義を感じていた。


 八幡神社は河間町で一番大きな神社である。

 と、いう話だったが、見た目は日本全国どこにでもある素朴な神社で、特徴的には室町時代中期のつくりのようである。ただし、県下の一ノ宮である神社の影響下にあるのだけは、屋根の形や社の配置などからうかがえた。

 また、棚田たちが幼少期くらいまでは神社と公園が一体化していたものであるが、ひな達世代ともなると、ブランコや肋木、鉄棒や滑り台やシーソーといったいわゆる遊具というものは撤去されており、代わりに地面にはラインが引かれてゲートボール場に様変わりしているのも、全国共通のようである。

 こういう所にも、少子高齢化の波が押し寄せて来ているのが見て取れる。子供の場所はどんどん隅に追いやられ、大人の、それも老人の都合に合わせたものばかり幅を利かせておきながら、子供がいない、と嘆いても、そんなものは後の祭りというものだろう。

「みくさん、八幡神社、ということは、こちらの祭神さまは天照大神になるのですよね?」

「ほうや」

 てっきり、みくが答えてくれると思って気楽に疑問を口にした棚田の背後から、野太くしわがれた声がした。

 飛び上がり、悲鳴をあげそうになるのを必死で堪えて振り返ると、そこには、九十歳は楽に超えていそうな、皺深い老人の姿があった。背は低く、痩せだちで杖を手にしているが、しかし背筋はピンと伸びていて、眼光もしっかりしている。

 ――昔ばなしとかに出てきそうだ。

 そして、なるほど、長老とか古参、という表現がしっくりとくるご老人だ、と棚田は自問自答で納得した。

「おはんは何処の誰やな。呼ばれもしとらんのに出くさりよって」

「学者先生を連れてきてあげたのよ」

 みくは、老人に駆け寄った。常時、フレンドリーな態度であるみくが、それなりに背筋を正して話しかけているから、この老人はやっぱり長老格なのだろう、と棚田は納得した。

「おじっさだって、瀬古代表でもないのに、出てきてるやないの」

「当たり前や、西加にしかみ瀬古がどうとかの次元やない、わしが居らんかったら村の祭りが始まらんわい」

「でも、もうさすがに左義長やるのは、寒い、キツい、って文句言うとったって、お父さんから聞いとったから、来とらへんと思っとったの」

「けっ、としはの奴は、ええ年して、しょうもないこと娘に吹き込んどるんやな」

 ほぼ聞き取れないような早口の方言で、みくと話し、いや捲し立てあいながら、老人はあからさまに値踏みする目を棚田に向けてくる。

 さすがに居心地が悪くなる。

 辟易して、なんとかこの場を離れたいと思っていると、ひなが袖を引いてきた。

「ひなちゃん? どうしたの?」

「……はじまるよ……」

 棚田は、あわててデイパックの中をさぐった。

 デジカメを右手に、ビデオカメラを左手に構えてスイッチを入れた途端、集まっていた多くの人の間から、「そ~れい!」と、景気のよい掛け声があがった。人員は、ほぼ六十代以上のようであるが、棚田より十歳ほど年上とおぼしき若者も見受けられた。邪魔にならないよう、遠巻きにしつつ、慎重にカメラを向ける。

「よ~いさ! よ~いさ!」

「よっせい、よっせい」

「よっせいさ~!」

「ほ~れ、よ~いやさぁ!」

 それぞれに声を掛け合いつつ、太く立派な竹を担ぎながら、ゆっくりと弧を描きはじめる。

 足は摺り足で、どこか踊るような進めかたである。時折、一斉に持ち上げては先端を合わせる。バサッ、バサッ、と葉が当たって、鈴のような音が境内に鳴り響いた。

「よーいや、さぁっ!」

 一際大きく打ち鳴らし合ったあと、ぐるり、とその場で回ったかと思うや、境内の真ん中に、みるみるうちに円錐形状のやぐらに竹が組み上げられていった。

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