第一話 河間町 その4


 一通りの説明を終えて、和室に戻った。

 ふと、柱にかけてあるカレンダーが目についた棚田は、脱ぎかけたコートのポケットに手をつっこんでまさぐり、メモ帳を取り出した。今日と明日に赤まる印がつけられたカレンダーと、棚田はにらみ合う。

「みくさん、すいません、今日と明日の土日に行われるのは、左義長、ですよね?」

「え? あ、うん」

 そう、今回、棚田の取材の第一目的は『左義長祭り』であった。

 わりあい日本全国何処ででも行われている祭りであるが、これをかわぎりに河間町の年間のまつりが封切られる事と、今は逆にすたれていっている左義長がなおも大切に守られている、という点を重点において取材を行いたい、と棚田は密かに計画を練っていた。

 勿論、土井教授の意向でもあるが、ともかく棚田は今日が村の人々との初顔合わせとなる。

 この顔合わせを、まずは第一段階として好印象を持ってもらい、この先の取材はさらに充実したものにしたい、と目論んでいた。

 カレンダーのほぼ真上、本来であれば欄間部分の壁に、航空写真が飾ってあった。

 ――かなりの年季ものだなあ。

 一応、カラー撮影だったのだろうが、日に焼けて白黒写真かと見紛う退色があり所々不鮮明な箇所があるが、それでも、大きな川筋と、それを遮断するかのように挑み立つ東西に細長い小判形をした堤防と、それに護られて並ぶ家屋と田畑、寺社の配置、そして堤防内外に敷き詰められた四角いタイルのような田んぼの群れ、と目で追える。

 河川が三本見えているので、そこそこ上空から撮られているようだ。

 上に二つ下に一つと円が三つ集まって三角形を作っている状態を脳内に描くと分かりやすい。向かって右側の円に相当する河川が三輪川といい、河間町の堤防がつくられている。左側の河川を奈河川、下の円に相当する河川を奈多川と言う。この二河川にも堤防が作られており、その間にも田は広がっている。

 古い時代、この三本の河川は、入れ替わり合流しを幾度となく繰り返していたに違いない。

「古い写真ですね」

「そうね、ウチのお父さんが子供の頃だっていうから、五十年以上前?」

 空から映し出された町内の姿は、出発前に資料として手にしてきているグーグルマップと入れ替えたとしても、きっと気が付かないだろ。つまり、この河間町は半世紀以上も姿形をほぼ変えずに存在しているのだ。

「左義長は旧正月に行うところが多いですけど、ここは違うんですね?」

「私たちが小学校くらいまでは、旧正月にやってたのよ。でも、時代の流れっていうのかな、お世話係のひとも会社勤めあるし大変だからって、一月の第二の土日って決まったの」

 昨今、よく聞く田舎の事情である。田舎でなくとも、こうした行事はもはや邪魔物でしかなくなりつつあるのが今の日本の現状だ。

「最も今年は、お正月の二日三日が土日だったから、第三土日に延ばしたんだけどね。左義長だけじゃなくて、この二十年くらいの間に、お祭りは土日にやるようになったわね」

 冷蔵庫の戸を開けながら「なんか飲む?」とみくに聞かれた棚田は、「じゃあ、ミネラルウォーターをお願いします」と小さく答えた。

「はーい、了解」

 みくは笑いながら、ミネラルウォーターとグレープ味の炭酸ジュースを出してきた。

「今日のお昼すぎから、神社の境内で竹を組まれるんですよね?」

「うん、一応ね」

 荷物の中から名刺入れとデジカメやビデオカメラなどの取材用機材を棚田が引っぱりだしていると、みくが隣に来て座り、ミネラルウォーターの蓋を捻ってから畳の上に置いてくれた。

「それ、取材道具?」

「はい、高校時代から愛用してる、相棒です。もっとも、どれもこれも父や友人からのお下がりとか、もらい物なんですけど」

 それぞれの道具のバッテリー状態をチェックしつつ返事をする棚田に、「ふ~ん?」といいながらみくは小首をかしげた。そして、メモ帳とは反対側のポケットに入れていたボイスレコーダーに手を伸ばしてきた。

「ビデオカメラで撮影して取材するならさ、これはいらないんじゃないの?」

 手の内側でポケットサイズのボイスレコーダーをもてあそびながら、みくは心底不思議そうな顔をした。

「いやあ、それがそうでもないんです。カメラとか向けると、反射的に身構えてしまう方って、結構いらっしゃるんですよ」

「そうなの?」

「うまく話せなくなってしまわれたりとか、本心が聞けなかったりとか」

「へえ?」

「でも、コイツをポケットにしのばせておくと、緊張されないからか、口頭取材で意外とおもしろいあれやこれやなんかを、聞けちゃったりするんです」

「そんなものなの?」

「そんなもんなんです」

 どこかウキウキしている棚田に対して、みくは腑に落ちなさそうである。

 かと思うと突然、ボイスレコーダーを口元に当てて「マイクのテスト中~」とおどけてみせる。二人でひとしきり笑いあってから、そういえば、と棚田はこのコミュニティーセンターについて気になっていた事を聞くことにした。

「みくさん、こちらの建物、大きさもですけど設備も相当しっかりしてますよね? キッチン・バス・トイレつきだなんて、珍しいというか変わってますけど、何か理由があるんですか?」

 正直、今日の昼から明日の夕方まで取材するにしても、ベースとして貸してもらえる建物は適当に古めかしい建物だろう、と覚悟していた。設備など、はなから期待していなかった。だが、こんな、道路の舗装もままならないような田舎の集会所が簡易宿泊施設として十分機能するだけの設備をそなえているとは、心底、驚きだった。

「理由……ねえ」

 いいながら苦笑いし、みくはペットボトルのフタを開けた。シュワシュワとはじける音をたてながら濃い紫色の炭酸ジュースを、のどの奥に落とすように飲んでいく。

「私たち世代の、ちょっと上くらい、からかな? 市内にも碌な仕事がないからって、他県や首都圏に出ていってしまう人ってね、かなり多くて。ううん、殆ど皆って言えちゃうかな」

「……」

 どう答えて良いのか分からず、棚田は、結局なにも言えずに口ごもる。

「ま、それは、出て行っちゃった最先鋒だったみたいな、私が言える義理じゃ、ないんだけど」

 ここで初めて、みくはバツの悪そうな顔をしてみせた。

 どうしたって、同じ学歴であるのなら、より都会に出たほうが稼ぎは良い。家庭と家族を持ったならなおさらである。こういった田舎では、共働きをしようにも物理的に無理なのだ。少ない正社員の仕事のパイを取り合い、結果、パートなりバイトなり時短の契約社員なりに落ちねばならない。いや、それすらも、見つかるかどうかも怪しい。それくらいなら、最初から戻らない選択をするのが当然だろう。

「ここに残ってるのは、親や祖父母世代だけってお宅、結構あるの。そういう家にご不幸があったときにさ、最近の人たちはさ、旦那さんの実家に寝泊まりするのを嫌がるのよね。……ま、気持ちはね、私だって逃げ出したくらいだから、よく分かるけど」

 みくの、すぼまった唇あたりから、甘ったるいブドウ味の香りが漂ってくる。何故か、意味もなく照れてしまった棚田は、誤魔化そうと、頷きつつ小さくなる。

「駅前にビジネスホテルとかはあるけど行き来に不便だしさ、お金だって家族数人になるとバカにならないじゃない? で、まあ、そういう人達に開放して寝泊まりできるように、建前はいざという時の避難場所っていうご大層な名目たてて、自治会費から費用捻出して、チョイチョイっと設備を整えたの。家族何人でも、電気ガス水道使い放題コミコミで一泊三千円だったら安いでしょ?」

「安すぎますよ」

 驚く棚田に、みくは今までと違い、どこか裏のある、小悪魔的な目つきで笑った。

「座布団とか机は自治会費で買ったんだけど、布団とかはレンタルなの。利用した分だけレンタル業者が引き取りに来て新しいのと交換してってくれるし、コミュニティーの掃除は、村の人らが持ちまわりでやろうってなってるのね。だから、このお値段設定なの」

「あ、じゃあ?」

「そう、今日は私のとこが持ちまわりの当番、てわけ。でも、子どもの下校時間と待ち合わせ時間が同じになっちゃって」

 ペットボトルにフタをし直すと、みくは膝の服の皺を軽く叩いて伸ばし、「遅れちゃってゴメンね」とウインクしつつ立ち上がった。

 ――ウインクする女の人って、初めて見たかも。

 妙に、どぎまぎしてしまう。声が上ずりそうになるのを抑えるのに、必死にならねばならなかった。

「じゃ、そろそろ子供が帰ってくるから、一度、家に帰らせてもらうね」

「はい、ここまでありがとうございました。あ、準備は何時からでしたっけ?」

「五時からだけど……なんだったら、乗っけてってあげるよ?」

「本当ですか?」

「遅れてちゃった、お詫び。どうする?」

「ぜひ、お願いします」

 これぞ、棚ぼたと言うべきだろう。

 棚田はみくに頭を下げ、好意に甘えさせてもらうことにしたのだった。

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