佐々木ひよりには狙いがあった

ゆにくろえ

しかし、佐々木ひよりには狙いがあった

夕暮れの図書館は、いつもより静かだった。

 閉館五分前。ページをめくる音さえ、どこか遠慮がちに響く。


 渋谷はカウンターへ本を返しに向かい──そこで、彼女を見た。


 佐々木ひより。

 大学時代に別れたまま、それきりになっていた人。


 セミロングの髪、ベージュのワンピース。何ひとつ変わっていないのに、そこにいるだけで胸の奥がざわつく。


「……久しぶり」


 ひよりの声はあの頃より少し大人びていた。

 渋谷は気持ちを整えきれないまま、どうにか返事をする。


「こんなところで、偶然だな」


 ひよりは首を横に振った。


「偶然じゃないよ。──狙いがあったの」


 唐突な言葉に、渋谷は思わず眉を寄せる。


「狙いって……何だ?」


 ひよりは図書館のガラス越しに夕焼けを見つめながら、静かに口を開いた。


「今日ここに来れば、あなたが本を返しに来るってわかってた。大学の頃からずっと、週の終わりに返却する癖、変わってないでしょ?」


 渋谷は言葉を失う。

 覚えていたのか──そんな細かいことまで。


 ひよりは振り返り、少しだけ切なそうに微笑んだ。


「あなたと別れたとき、『すれ違いだった』って言ったよね。でも……私、本当はちゃんと話したかったの。あのときは言えなかったことがいっぱいあったから」


「……ひより」


「でも、今日で終わりにするつもりだったの。伝えたいことを伝えて、もう会わないつもりで」


 ひよりは深く息を吸い、小さく震える声で続ける。


「だけど顔を見たら……なんだか、だめだった。忘れたつもりでいたのに、まだ好きなんだって気づいちゃったから。だから──狙いがあったのはね、あなたに会うことじゃなくて…」


 一拍置き、ひよりは胸の前で指をぎゅっと握る。


「“ちゃんと諦める”こと。それが今日の狙いだったの」


 その告白は、刃のように鋭くて、涙のように優しかった。


 渋谷は気づく。

 あの日別れたのはすれ違いなんかじゃなかった。ただ、どちらも不器用すぎただけなのだと。


 気づけば、言葉が零れていた。


「……諦めなくていい。終わりにしなくていい。ひよりの狙いは、今日ここで変わってもいいんじゃないか?」


 ひよりの瞳が、驚きで大きく開かれる。

 夕日が差し込み、ふたりの影が静かに重なった。


「もし良かったら……もう一回、初めからやり直さないか」


 ひよりは唇を震わせ、涙を隠すようにうつむく。

 そして──小さな声で答えた。


「……そんなのずるいよ。嬉しいに決まってるじゃない」


 図書館の閉館アナウンスが静かに流れる。

 夕暮れの中、ふたりは並んで歩き出した。


 狙いは果たされなかった。

 けれど、その“狙いの外側”に、静かな再会の奇跡が待っていた。

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