第3話 📜 殷周編:悪徳と忍耐

 序章:囚われの西伯

​ 時が流れて、殷王朝末期。

 ​殷の都、朝歌ちょうか。巨大な宮殿は、夏王朝末期以上に退廃的な享楽と、血の臭いが混じり合っていた。

​ 帝、**紂王ちゅうおう(小栗旬)**は、玉座に座り、血で濡れた革製の鞭を弄んでいた。彼の顔は、美しくも冷酷で、その眼差しには退屈と残虐性が宿っている。

​「ふむ…まだ生きているか、**西伯昌せいはくしょう**は」

​ 紂王の隣には、愛妾の**妲己だっき(橋本環奈)**が座り、蠱惑的な笑みを浮かべている。彼女の美しさは、宮殿の暗闇の中でさえ妖しく光っていた。

​「陛下、あの西の野蛮人の王を、いつまで遊ばせておくおつもりですか? 彼は、東方の諸侯たちから『徳の君』と呼ばれ、人望を集めています。まるで、かつての湯王のように」

​ 妲己は、優雅に酒杯を傾けた。

​「湯王、か。祖先の名を出すな、妲己。あの愚かな湯王は、弱さゆえに天命を得た。だが、朕は違う。力と美、そして恐怖こそが、この世の真理だ」

​ 紂王が指さした先には、七年間も紂王によって幽閉されている、西方の諸侯の長、**西伯昌の姿があった。後の周文王しゅんぶんおう(佐藤浩市)**である。

​ 周文王は、質素な服をまとい、鎖につながれながらも、座禅を組むように静かに座っていた。その顔には、長年の苦難による皺が刻まれていたが、瞳の奥には揺るぎない**「徳」**の光が灯っている。

​「西伯昌よ。お前は毎日、朕の暴政を諫める上奏文を送ってくるな。飽きないのか?」

​紂王が嘲笑した。

​「天子様」文王は、鎖の音を響かせながら、ゆっくりと顔を上げた。「臣は、陛下がお持ちの天命が、日ごとに薄れていくのを憂いているだけです。民の安寧こそが天命の礎。どうか、暴虐を改められよ」

​「天命だと?」紂王は冷笑した。「天命など、朕の力で握りつぶせる。お前が信じるその『徳』とやらで、この鎖を断ち切ってみよ。できまい」

​ 紂王は、文王の周囲に、文王の長男**伯邑考はくいこう**の肉で作ったスープを置かせた。そして、文王にそれを飲み干すよう強要した。

​「さあ、賢者よ。それを飲めば、お前を故郷に帰してやろう」

​ 文王は、愛する息子の肉であることを知りながらも、静かにスープを飲み干した。その行動は、**「天命を担う者は、いかなる屈辱にも耐えねばならぬ」**という、究極の忍耐の表れだった。

​「…ふふ、さすがは賢者。情などという無駄なものはお持ちでない」

​ 紂王は、つまらなそうに笑い、鎖を解くよう命じた。

​ 

 渭水の出会い

​ 故郷に戻った周文王(西伯昌)は、隠忍自重し、ひたすらに**「徳」を積み重ねた。彼は、紂王への復讐ではなく、民を救う「天命」**の成就だけを考えていた。

​ 西方の地は、文王の徳治により、秩序と豊かさを取り戻していた。人々は、夏王朝の湯王以来、久方ぶりに現れた**「聖王」**だと彼を称えた。

​ ある日、文王は狩りのため、**渭水いすい**のほとりを訪れていた。彼は、戦勝の武力ではなく、知恵と人望こそが、新しい時代を築くと信じていた。

​ 文王が川辺を歩いていると、三國連太郎に似た一人の老人が、釣り糸を垂れているのが見えた。その釣り糸には、餌も針もついていない。

​ 太公望(別名・姜子牙)(西田敏行)**である。彼は、釣り糸がピンと張らないように、水面から数尺浮かせていた。

 ​文王は、その奇妙な釣りの様子に興味を惹かれ、声をかけた。

​「老翁よ。あなたは、釣り糸を垂らしながら、何を釣っているのだ?」

​ 太公望は、文王を一瞥し、飄々ひょうひょうとした笑みを浮かべた。

​「わしが釣るのは、魚ではない。王の運命じゃ」

​文王は驚き、老人のただならぬ気配を感じた。

​「王の運命…? それは、一体どういう意味か」

​「餌も針も必要ない。ただ、運命が来るのを待つだけじゃ。周の西伯昌よ、わしは、お前がいつ訪れるか、七十年待った」

 ​文王は、その言葉に深い感銘を受け、馬から降りて跪いた。

​「老翁は、もしや、わが祖父・黄帝の時代から知恵を受け継いできた賢者では?」

​ 太公望は、静かに笑った。

​「わしは、釣師ちゅうしじゃ。そして、わしが釣ろうとしているのは、天命じゃ。今、この大地に新しい天命を運ぶために、わしは軍師が必要な王を待っていた」

​ 文王は、太公望のただならぬ知恵と、天命を掴むという強い意志を感じ取り、深く頭を下げた。

​「どうか、老翁、わが師となっていただきたい! 紂王を討ち、新しい秩序を打ち立てるための知恵を貸していただきたい!」

​ 太公望は、釣り竿を置き、文王に顔を向けた。

​「釣り糸は、水面に浮かせることで、王の欲望を映し出す。 紂王は欲望に溺れ、わしの釣糸を無視した。だが、お前は、この釣糸の真意を見抜いた」

​「お前こそが、天命を担う王。わしは、姜子牙。これより、お前を補佐し、殷を滅ぼし、周という新しい時代を築こう」

​ 文王は、ここに、不世出の軍師を得た。

 暴虐の極み

​ 太公望を宰相に迎え入れた周は、内政と軍備を着実に固めていった。しかし、周が徳を積むほど、 都・朝歌の紂王の暴虐は加速した。

​ 紂王と妲己は、宮殿の楽しみとして**「炮烙ほうらくの刑」**を考案した。

​ 宮殿の中庭。油が塗られた銅の柱が立てられ、その下には炭火が燃え盛っている。

​(小栗旬演じる紂王が、妲己を抱きながら、狂気的な高笑いをあげるシーン)

​「見よ、妲己!あの忠臣どもが、熱い柱の上を歩く姿を! 滑って落ちれば、火炙りだ! なんという滑稽な舞だ!」

​ 妲己もまた、ぞっとするような美しい顔で笑う。

​「ああ、陛下。この世の苦しみこそ、陛下の退屈を紛らわす最高の娯楽です」

​ 忠臣たちは、恐怖に怯えながらも柱の上を歩き、   次々と炎の中に落ちていった。

​ その頃、周文王は、遠く離れた周の都で、この暴虐の報告を受け、怒りと悲しみに打ち震えていた。

​「紂王…もはや人ではない。父祖の築いた殷王朝の、天命は完全に尽きた」

​ 太公望は、静かに言った。「殿、徳を積むこと、耐え忍ぶことは終わりました。もはや、武力をもって、天に代わって暴君を討つときです」

 ​しかし、文王は、紂王を討つという偉業の直前で、病に倒れてしまう。


 ​終章:武王の決断

​ 周文王の跡を継いだのは、彼の次男、**武王ぶおう**であった。

​ 武王は、父の遺志と、太公望の知恵を受け継ぎ、紂王討伐を決意する。

​ 太公望は、武王に最後の確認をした。

​「大王よ。放伐ほうばつは、天命に逆らう大事業。一度兵を挙げれば、後戻りはできませんぞ」

​ 武王は、父・文王の座っていた椅子に座り、毅然として答えた。

​「姜子牙よ。父は、私に**『徳』**の全てを示してくれた。しかし、紂王は、父の愛した兄を殺し、民を苦しめた。もはや、徳を積むだけでは、この暴虐は止められぬ」

​ 武王は立ち上がり、剣を抜いた。

​「私は、父の徳と、あなたの知恵、そして将軍たちの武力をもって、天に代わり、この暴虐の王を討つ! 周武王、ここに天下に号令する!」

​ 紀元前1046年。武王率いる周軍と、紂王率いる殷軍は、都の近郊、**牧野ぼくや**で激突する。

​(戦闘シーン:紂王は狂気の力を振り絞って戦うが、周軍の士気と太公望の巧みな陣形に押され、殷軍は次々と寝返り、戦いは一方的になる。)

​ 紂王は、宮殿に戻り、自ら火を放った**鹿台ろくだい**に上り、炎の中で絶叫した。

​「天命は…朕にあったはずだ!」

​ しかし、彼の声は炎の轟音にかき消され、殷王朝は滅亡した。

​ 周武王は、ここに中華三番目の王朝、しゅうを建国。ここに、黄帝以来の「天命」は、「易姓革命」**という形で完全に制度化された。

​ 物語は、この周王朝が、やがて諸侯たちの争いによって春秋戦国時代へと突入していく「春秋戦国編」へと続いていきます。

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