「1本の影」
人一
「1本の影」
今日は水泳部のみんなで海にやって来た。
うちの水泳部は、県内で見ても結構上位に入る。
なんたって、5年連続インターハイに出場しているくらいだ。
そんな中私も、毎日部活に明け暮れていた。
中学校時代に、大きな水泳大会で優勝したことがあったから正直余裕だと思っていた。
けれど、すぐに井の中の蛙だと思い知らされた。
私よりも早い人がゴロゴロといる。
他学年ならともかく、同級生でだ。
それでも埋もれず私はずっと頑張っている。
海に来たのは合宿という名目こそあれど、慰労会を兼ねていることは全員知っている。
だから今日は部活を忘れて、目いっぱい楽しむんだ。
――ザブン!
ここぞとばかりに、みんなで崖の上から飛び込む。
空に雲はなくよく晴れていて、海は蒼く綺麗に光り輝いている。
海面からでも海底が見えるくらいだ。
友人たちとじゃれ合っていると、海底に何か光る物を見つけた。
一息で潜りそれを回収すると、ラベルの貼られたボトルだった。
「ねぇ、これ見つけたんだけど。」
「なにそれ?ボトル?」
「うん、そうみたい。ラベルの文字は掠れて読めないけど、結構可愛いし私、水筒にしようかな?」
「へーいいんじゃない?ねぇ、もう1個落ちてない?」
「うーん……とりあえず無いみたい。」
「ちぇ~私も欲しいのに~」
「まあまあ、早い者勝ちだよ。」
翌日から、海という環境を利用した特訓が始まった。
正直合宿は名前だけだと思っていたのは、私だけじゃないようで非難轟々だった。
けれど鬼顧問は、全てシャットアウトして聞く耳をもってくれなかった。
みんなガッカリした様子で、自分の水着から指定水着に着替えて海に入った。
私は昨日拾ったボトルを、早速水筒にしていた。
やっぱり拾い物と言えど、可愛いからテンションも上がるし、パフォーマンスも良くなってる気がする。
……気がする。のではなく、本当に良くなっていた。
そのボトルで水を飲んだ後、長らく更新出来てないなかった自己ベストを軽く更新できた。
1種類だけじゃない。
自分がしている全ての種目で、自己ベストを更新した。
顧問でさえ驚いていた。
さすがに「このボトルの水を飲んだから、自己ベスト更新出来ました!」
なんて、オカルトじみたことは言えないしそんな訳もないので……たまたま運とタイミングが良かったんだろう。と納得して説明した。
大量に自己ベストを更新できた、今日の夜。
さらに事件は起こった。
晩御飯が終わって、共用スペースでボトルで水を飲みながらリラックスしていた。
すると、先輩に呼び出された。
ちょっとイイなと思っているその先輩に。
「どうしたんですか先輩?何かコンビニで買って来ますか?」
「いや……そんなんじゃない。大事な話があるんだ。」
「はぁ……」
これはもしかして!と、心臓が一気に高鳴る。
バクバクと鼓動する音が聞こえてきそうだけど、必死にいつも通りの平成を装う。
「いきなりだけど……俺と……俺と付き合ってくれないか?」
やっぱり。
こんな展開あるんだ。
溢れる涙を隠すことなく、「こちらこそよろしくお願いします。」
そうして、気になっていた先輩は彼氏となった。
今日は何もかもトントン拍子で上手く進んでいく。
人生最高の日だ。
その夜眠る前に、ボトルを手に取り話しかける。
「このボトル……これを拾ってからいい事づくめだけど、もしかして知らない幸運のアイテムなの?
……そんな訳ないか。」
ボトルをサイドテーブルに置いて、私は眠った。
翌日からも特訓だった。
私は心機一転、より一生懸命に取り組んだ。
あのボトルで水を飲みながら。
昨日程の劇的な変化はないけど、体調が良かったりツイていたりと色々あった。
そして夜は先輩とデートという、最高の合宿の日々を送っていた。
そしてあっという間に時は流れ合宿最終日。
今日は最終日というだけあって、特訓はお休み。
今日1日を自由に与えられた。
初日と同様に私は、友人と一緒に海に入って遊んだ。
今日は不思議な落し物はなかったけれど、あのボトルは首から提げていつでも一緒にいた。
しばらくして。
みんな夢中になりすぎて、日が暮れそうになっていた。
海は夕日によって橙に染め上げられている。
大急ぎで着替え片付けてバスへと向かう。
私を含めた1部の生徒は手間取っているうちに、すっかり日が沈み海は月に淡く照らされていた。
真っ黒な海を白く所々染めていた。
まだ全員集合していない。
そのほんの少しの時間を見つけて、私は砂浜に向かった。
何となく、この奇妙なボトルを拾ったお礼を言いたかった。
ボトルを手に抱えて波打ち際に立つ。
「……ありがとう。」
そう小さく言って立ち去ろうとした時、打ち付ける波が私の足に触れた。
その時――
不意にバランスを崩して倒れてしまう。
全身が海水に濡れる。
起き上がることができず、私は波に攫われた。
何も聞こえない。
波に揉まれ、海に遊ばれている。
藻掻こうとしても、手足の感覚が無い。
けれどなぜか息苦しさは無い。
ただ見えるのは、明るくて暗い海面に向かう大量の泡だけ。
ボトルは手をすり抜け、海底へと沈んでゆく。
――ゴボボ
ボトルは音をあげ、溶けて消えた。
最後の泡は、海面に辿り着く前に弾けて消えた。
そこには何も残っていない。
遠くから、バスが出発する音が聞こえる。
けれど、海の中は静寂が支配していた。
「1本の影」 人一 @hitoHito93
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