第3話◇嫁ぎ先でも薔薇を育てたいけれど……
震えているのは、道の悪さによる馬車の振動のせいか、北の土地特有の寒さか、それともまだ見ぬ高位貴族・ゾクラフ公爵家への恐怖か……。
ただこの身を縮めるようにして、耐えるしかない。
「このゾクラフ領の気候だと、薔薇は上手く育たないかもしれないわね……いえ、わたくし、諦めるつもりは決してないのだけれど!!でも、これは設備投資が大変そうだわ」
嫁ぎ先でも、これまでと変わらずに薔薇と関わるつもりでいた。
むしろ「両親のお手伝い」程度ではなく、独り立ちして自ら商売をしたいと、子供の頃から考えていた。
お父様とお母様のように「マイスター」として国から正式に薔薇栽培の従事者として認められて、わたくし自身のお店を開いて……。
そうやって、ずっと薔薇と共にあるために生きてきたんだもの。
しかし、この気温では、なかなか厳しいかもしれない。
本格的な商売、となると、決して「ささやかな出資」とはとても言えない額がかかってしまうに違いない……。
元々のゾグラフ家の事業計画との兼ね合いだってあるだろう。
決して、諦めるつもりはないのよ!?
でも、さすがに不安にはなるわね。
そんな嫁のわがままとも言える希望を、ゾクラフ家のご当主と跡取りのご子息は叶えてくれるものかしら……と。
考えたわたくしは目を伏せて、くじけそうな心持ちでカーテンを閉めた。
いくらか乱暴な手つきに侍女のマルタは少し咎める顔になる。
けれども、あえて何も言わない。
そんな令嬢らしくない態度にならざるを得ない、その理由をマルタも理解してくれている。
あえて何も言わず、ただ「お痛わしい」と言いたげなその視線だけを送って来られることに、かえってわたくしの胸の痛みは増大した。
しばらくすると、目指す領地に馬車は入った。
大きな街に入ったと悟ったのは、馬車の振動がぐっと小さくなったからだ。
荒れ地ではなく、大量の軍馬や馬車を走らせることに向いた、整備された道。
やがてわたくしたちはゾクラフ家の屋敷がある街に到着した、らしかった。
そろり、と再びカーテンの隙間から外を見てみる。
「ひえっ、すごいわね、なんて大きな門……!」
「兵士もあんなに。国防の要となると、ここまで頑強なのですね……」
思わずマルタと手を取り合って叫んでしまうほどに、かつて見たこともない大きな石造りの城門が、この目に飛び込んできた。
国境の守りを固めるための門はひどく物々しくそびえていて、威圧感で押し潰されそうになる。
そして、幾人もの甲冑を身に纏った兵士が規則正しく整列して立ち、わたくしたちが乗る馬車を待ち構えていた。
城下町に入る前に厳しく検問が敷かれているらしい。
「こ、これはちょっと、無理かもしれませんわ……」
とても花がどうとか言っていられる状況ではなさそうな街で、再度わたくしは目を伏せた。
ふと思い出されるのは、あの日ひとりぼっちで佇んでいた少年のこと……。
それはわたくしがまだ七歳の頃に開催された王家主催の貴族の子供たちの集まりで、未来のために年若い王子との交流を深めさせることを目的としたものだった。
みんながそれぞれ楽しそうにおしゃべりに興じている中、ひとり遠巻きにされて寂しさに涙ぐんでいる少年がいた。
わたくしは彼に話しかけて、少しの時間だけ交流したのだけれど、その時にお近づきの印として、ちょうど手に持っていたブーケから一輪の薔薇を渡した。
「はいっ。あげるわ!」
「え……っ、お花?」
唐突に目の前に差し出された薔薇に、少年はびっくりしていた。
彼がその目を見開いた瞬間、ぽろりと涙の粒が両目の端からこぼれ落ちるさまを見て、「我が家の薔薇を目にした人には幸せになって欲しいのに」と強く思った。
だから――わたくしはその気持ちを、素直に少年に言い切った。
「わたくし、我が家の薔薇を受け取って下さった方には笑って欲しいですわ!だって、そのために苦労して育てているのですもの!」
そうしたら、彼はまだ涙目のままだったけれど、それでもにっこりと笑ってくれたのよね。
懐かしい思い出……。
ああ、わたくし、あんなにはっきりと、あの少年の前で誓ったのに。
素晴らしい薔薇を生み出してこの国、いえ世界の国の人々に笑顔を届けたい、と。
それがわたくしの一生の夢だったのに。
単に目の前の少年の涙を止めるためだけに口走ったのではなく、わたくし自身の心から生まれた、キラキラした夢。
今後は全て潰えてしまうかもしれないのだわ……。
ゾクラフ家の一存次第で閉ざされてしまうかもしれない自らの未来を思うと、つくづくルーカスが恨めしかった。
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