第三楽章 ⑯ 楽長の問い

 昇降機が停止した下層の乗り場は、部屋ではなく通路だった。

 ルチアは素早く左右の道を見渡す。幸いにも人影はない。


 地下要塞の主要部に近いだけあって、そこは長らく歩き回った地下一階の坑道とはまったく異なる場所だった。

 天井には白色の照明が設置されて昼間のように明るく、床の掃除も行き届いておりほこりが見られない。


 純白の壁には磨き抜かれた看板があった。

《チロル区画》。


 この付近一帯を示しているのだろうが、矢印や通路の名前は見当たらない。限られた者のみが行き来する場所であるため、あえて道案内をしていないのだ。


 もう二手に分かれることは難しい。どちらに進むべきか迷うルチアをよそに、突然エーカは左の道へ歩き出した。

 何かを感じ取ったのかもしれない。


 あわててルチアは彼女を追い越し、数歩前を警戒しながら進む。

 エーカが行き先を導くのは構わないのだが、いつ会敵してもおかしくない状況である以上、先頭はルチアが歩くべきだ。


 しかし、エーカが自分で行き先を決め、進み出すとは思わなかった。

 彼女は地下に潜る以前から、誰かの背中に隠れながら後ろをついていくことが多い子だった。つい先ほども、見知らぬ機械の前でおびえていたばかりだ。


 いや。

 それでも十分な成長だろう。


 以前のエーカならば、地下要塞に進入して銃弾の中を走るなど考えられなかった。

 戦闘が始まり、地下を進撃する過程で、彼女はルチアが気付かぬうちに強くなっていったのだ。


 現に、昇降機の中から偶然目の当たりにした恐ろしい光景にも、エーカは悲鳴を上げなかった。あれは地下に避難していた行方不明者のれの果ての一つと思われるが、普通は大人でも腰を抜かすほどだろう。

 ルチアも本能的に目をらしたが、いまだあの醜悪しゅうあくな「人工林」が頭にこびり付いて離れない。


 しばらく進み、照明のまぶしさにようやく目が慣れた頃だった。

 ルチアは片手を上げ、後ろを歩くエーカをせいした。警戒を示す動作。それは彼女にも理解できたようで、無言で腰を落とし待機してくれる。


 前方にある曲がり角から、人間の足が出ていたのだ。

 よく目をらすと、どうやら王国軍の軍靴ぐんかだった。体の内側が冷えていくのを感じる。即座に奇襲きしゅう方法を立案していると、違和感がルチアの鼻をでた。


 敵兵の足は、座ったようにひざの辺りまで床に接している。

 仮眠をとっているのかとも考えた。しかし足と床を伝う赤黒い染みが、すでに彼が永遠の眠りについていることをルチアに教えてくれた。


 近づくと、予想通り死んでいた。まだ顔は見えないが、仰向けで倒れている様子が分かる。


 では一体、誰に殺されたのか。

 その答えは、左右に曲がった通路の先にあるのかもしれない。


「出てきたまえ」


 突然の声に、思わずルチアの体が一瞬、縦に揺れた。

 突き当たりを右に曲がった道から発せられた声だ。声質から判断するに中年の男性、六メートル圏内。軍人特有の覇気はきわずかににじんでいる。鉄の臭いがした。


 慎重しんちょうに曲がり角から顔を出すと、王国軍の将校が通路の壁際に座っていた。

 茶色の髭を生やした細身の男だ。彼のすぐ横には扉があった。


 こちらに視線を向けず、ただ遠くを眺めるように虚空こくうを見つめている。体は脱力して椅子に深く腰かけ、煙草を持つ右手だけが動いていた。


「どうして……」

 つい、ルチアは小さい声を出してしまう。


 彼の周りは、真っ赤なペンキをぶちまけたのではと思えるほど人間の血であふれていた。

 なぜ床を満たす水溜りが血液だとすぐに分かるのかと言えば、その上に十人以上の死体が転がっているからだ。


 煙草の香りに混じって硝煙しょうえんの臭いがするので、死因は銃撃と推定できる。

 反射的に彼の右腰に目をやると、そこには布製のケースが肩から伸びた革紐で固定されており、縦笛が中に収まっていた。拳銃は左腰にあるらしい。


 彼が装備しているのは【リコーダー】。それも、音域の異なる大小五本のセット。

 リコーダーはフルートと同じ木管楽器で、初心者から音が出せるために音楽の基礎を習うのに適している。とはいえ、決して容易たやすく熟練となれる楽器ではない。


 音響兵器としても、使いこなせれば能力の種類は幅広い。

 その分、威力が低いという理由で敬遠されがちな武楽器なのだが、やはり高級音楽将校とその愛器ともなれば【トランペット】と【フルート】各一器程度の戦力で対抗するのは不可能に近いだろう。


「私が殺したからだよ、小さい兵隊さん」

 ただ、王国語でそう言った男の目には闘志どころか生気すら感じられない。


 同時に十人以上の人間を抵抗なく、しかも拳銃で殺すのなら、催眠譜さいみんふなどを吹いて対象を無力化しなくては不可能なので、王国兵たちを手に掛けた犯人は言われるまでもなかった。


「……理由は?」

 一応、ルチアはフルートをいつでも演奏できるように構える。


「なぜかな。忘れてしまったよ」

 横にある扉を進めば、《テアトロ通り》に行ける。君たちが探している物も、おそらくアレだろうと彼は続けた。


 よく見ると、ルチアは男に見覚えがある。軍のお祭りなどでよく目にした。


「楽長さん……?」

 いつの間にか曲がり角から出てきたエーカが呟いた。


 そう、こいつは行方不明だったカマール奏兵部隊の幕僚ばくりょうの一人だ。とすると、他の高級将校も地下要塞の中だろう。あるいは、もうすでに……。

 ルチアは、昇降機の中で見た景色を思い出した。


 声を聞けば、彼に攻撃の意思がないことは明白。だからこそエーカが姿を見せたのだ。

 もし、彼が道を守るために侵入者を殺す気でいたのなら、すでに二人は死んでいる。


 できれば楽長に、扉の先の道筋やオルゴールについての情報を質問するべきかもしれない。だが、ルチアはこの惨劇さんげきの舞台から一刻も早く立ち去りたかった。

 彼の気が変わらないうちに血の絨毯じゅうたんを踏みつける。


「じゃあ、お言葉に甘えて通らせてもらうわよ」


 楽長は返事をしなかった。しかし、二人が横を通り過ぎる時。


「修道院は……」

 彼は口を煙草から解放して言った。

「修道院は、どうなっているね?」


 すぐにルチアは彼の考えを読み取れた。

 だから振り返り、通行税の代わりに事実を教えた。


「修道院は無事よ。誰も死んでいないと思うわ」


「そう、か。…………ありがとう」


 呟くと、彼は再び煙草を口に戻した。

 顔は見えなかった。


「あの、生きてください!」

 エーカが楽長に向かって言う。

「あなたの大切な人は死んでないと思います。だから、死なないでください!」


 彼は顔を少しこちらにかたむけたが、何も言わなかった。

 ルチアはエーカが中に入ったのを確認すると、楽長が門番をしていた扉を閉めた。


 扉の向こうは薄暗く、すぐそこに下へ続く短い階段がある。

 階下は大広間になっていた。太い柱が立ち並んだ四角い部屋で、広さ自体はマルコが待機していた場所と同規模だろう。


 天井の光は弱く、壁や柱に揺らめく無数の灯火がそれに力添えをしていた。

 広間の奥には、また一つ扉がある。見たところ無人だが、柱の陰に敵が隠れていないか警戒しながら歩く。


 すると突然、火薬の弾ける音が二人の通った扉から伝わって来た。

 残響が尾を引く。


 二人は静かに振り返る。

 柔らかい物が床に倒れる音がして、同じように顔の向きを戻した。


 やはりってしまったか……。

 ルチアは心の中で楽長に敬礼をした。


 そういえば、彼の周囲に広がっていた血の海と死体の山を前にして、よくエーカが声を上げなかったものだ。

 血潮で染まった床と無残な屍は、嫌でもルチアの目と鼻を引き、声を出させたというのに。


 その疑問の先へ考えをめぐらす前に、別の違和感が耳に届いた。


 後方に金属のこすれる響き。

 扉の開閉音だった──。







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