目の前に立つ女性、ミユキは、仁の平凡な現実には存在し得ないような、あまりに完璧な美しさを持っていた。彼女の瞳は透明な琥珀色で、仁を見つめる眼差しは、彼がずっと求めていた承認と安らぎを与えてくれるようだった。

「僕のことを、知っているんですか？」仁は震える声で尋ねた。

ミユキは優しく微笑み、仁の手を取った。その手の温もりは、夢の中だというのにあまりにもリアルだった。　

「ええ。私たちはここで、ずっとあなたを待っていたわ」

ミユキは仁を導き、群青色の空の下、幻想的な街並みを歩いた。この街には、現実の東京のような喧騒も、プレッシャーも、冷たい視線も存在しない。人々は皆、穏やかで、自由で、互いを尊重し合っているように見えた。仁は初めて、誰にもジャッジされない、本当の自分として振る舞える場所を見つけた気がした。

この世界では、思考が現実になる。

仁が「空を飛びたい」と願えば、身体がふわりと浮き上がり、彼は鳥のように大空を滑空した。現実の無力感が、ここでは途方もない力に変わる。

ミユキは言った。「ここでは、あなたは何にでもなれるし、何でも手に入る。現実のルールや重力に縛られる必要なんてないのよ」

仁は熱狂した。現実の生活で感じていた孤独や、自己評価の低さなど、どうでもよくなった。ここは、彼がずっと渇望していた安息の地だ。ミユキという、彼を心から受け入れてくれる存在もいる。

数日、いや、数週間が経ったのかもしれない。仁は現実の生活を思い出す努力をしなくなった。夢の中での生活が、彼の「日常」となった。

ある日の夕暮れ時、二人は、海辺に立つ大きな白い塔の頂上に座っていた。ミユキは静かに遠い水平線を見つめていた。　

「ねえ、仁」と彼女は言った。「あなたは、ここが永遠に続けばいいと思っているわね」

仁は即座に答えた。「ああ。ここが僕の本当の場所だ。現実なんて、もうどうでもいい」

ミユキは彼の顔を見つめ、初めて、その表情に微かな悲しみを滲ませた。「でも、ここはあなたの全てではないわ。いつか、あなたはここから出て、あなたの本当の場所を見つけなければならない。この美しさに酔いしれて、目を閉じてしまうのは、あまりにも惜しいわ」

仁の胸に、冷たい水が落ちたような感覚が走った。彼はミユキの言葉を理解しようとはしなかった。ただ、この楽園を失うことへの恐怖だけが、彼の心を満たした。

「なぜそんなことを言うんだ？君は、僕がここに来るのを待っていたんじゃないのか？」

ミユキは首を横に振った。

「待っていたのは、あなたに気づいてほしかったからよ。ここにいても、あなたという存在は未完成のままなの。さあ、仁。ここから出て、本当のあなたを見つけて。私は、それができると信じている」

仁は彼女の言葉に耳を貸さず、その手を強く握りしめた。彼は心の底で、ミユキが自分を現実に戻そうとしているのだと理解し、拒絶した。

その夜、仁は目を閉じた。夢の中で眠りにつこうとしたのだ。だが、微かな違和感が彼を捉えた。目を覚ましても、彼は再びこの群青色の空の下にいた。

「おかしい……」

彼はもう一度、強く目覚めようと試みた。しかし、何度試みても、景色は変わらない。目の前の光景は鮮明なままだ。

彼はパラドックスに陥った。夢の中で目覚めても、また夢の中。

その時、彼の脳裏に、現実の自分の顔が思い浮かびかけたが、まるで濃い霧のように見えなかった。そして、彼は戦慄した。

自分は、一体、どれほど長い間、ここで過ごしているのだろうか？