第3話:犬の告白と最初の契り

翌日、桃谷は昨夜祖父母から託されたきびだんごの御守りを胸に、犬飼が経営する山奥の訓練所へと足を運んだ。


彼は、鬼に関する情報を得るという使命に加え、犬飼がなぜ刑事を辞めたのか、その理由を知りたいという衝動を抑えられなかった。


​訓練所は、桃ノ木町の最奥、切り立った崖の中腹にひっそりと佇んでいた。


周囲には人工物はほとんどなく、冷たいコンクリートの建物が、荒れた山肌に張り付いている。


そこは、世間の目から完全に切り離された場所であり、まるで犬飼権三が過去を封印するために建てられたような場所だった。


​桃谷が錆びたフェンスの門をくぐると、広場にはタイヤや丸太が雑然と積み上げられ、厳しい訓練の痕跡が生々しく残っていた。


彼は訓練所の扉を開けて部屋に入ると、床はコンクリートがむき出しになっている。


壁には古びたサンドバッグがぶら下がっていた。


指導者用の机は、緑色に塗られた簡素なスチール製で、無愛想な簡潔さが犬飼の性格を物語っていた。


「こんにちは。」


犬飼は山奥の訓練所までわざわざ足を運んできた来客を歓迎する雰囲気は微塵もなく、冷たい口調で応対した。


「どちら様ですか。」


「私は桃ノ木署巡査部長の桃谷と申します。」


「昨日はお電話ありがとうございました。」


犬飼は桃谷を見ると、「入れ」と短く言い放った。


その後、訓練所の奥にある部屋へと向かい、桃谷にも続くように促した。


桃谷は少し驚いた。


前日の電話の内容からして門前払いを喰らうものだとばかり思っていたのだ。


桃谷が部屋の中に入ると犬飼が話を始めた。


「何しにきた?」


桃谷は目の前に立つ屈強な男の冷たい口調とは裏腹に、その目からは暖かさのようなものを感じた。


「犬飼さんにお願いがあって来ました。」


「犬飼さん、昨日もお話ししたように鬼退治にはあなたの力が必要です。」


「僕に力を貸していただけませんか?」


「このままでは町民の安全が守れません。」


犬飼は冷たくあしらう。


「昨日も言ったはずだ。鬼退治など馬鹿げたことを考えるなと。」


「それに所轄の巡査部長であるお前がどうしてそんなことまでする必要があるのか。」


「警察本部ですら、静観しているのだ。」


「お前が動いたところでどうにかなる問題ではない。」


桃谷は引き下がらない。


「わかっています。しかし、僕はおじいさんとおばあさんと約束しました。」


「この御守りを正義の信念としていかなる時もその信念を貫くと。」


「せめて2年前に見たという鬼に関することだけでも教えていただけないでしょうか?」 


しばらくの間、沈黙が流れた。


犬飼は桃谷の真剣な眼差しを見ると、ゆっくりと語り始めた。


「正義の信念か。お前はアイツにそっくりだ。」


「2年前、俺が刑事だったころある事件を後輩と追っていた。その後輩はちょうどお前くらいの年齢だったよ。」


犬飼の眼は後輩を思う優しい眼になっていた。


「その事件には目撃者がいてその目撃者は鬼が金品を家から持っていくのを見たと証言していた。」


「当然、最初は事件を目撃して気が動転しているのかと思ったが、どうもそんな様子でもなさそうだった。」


当時の事件を振り返り始めた時、犬飼の口調は力強くなっていた。


「俺はそういった勘はよく当たる。」


「そして俺はあらゆる情報を収集していくうちに鬼の存在とその鬼は絶海の離島に住んでいることがわかった。」


「それを警察本部に報告すると、案の定、『鬼なんて存在する訳がない』と鼻で笑われ相手にもしてもらえなかったよ。」


犬飼の口調から警察本部への不信が滲み出ていた。


「だが、まあそうだろうな。」


「その事件についても警察は何かの動物が留守の家を荒らして金品などを持っていったと見解を出している。」


「しかも幸いにも怪我人は出なかったということですませているしな。」


「しばらくして、俺が後輩と捜査していた時だった。」


「近くで何か物凄い音がして駆けつけてみると棍棒を持った鬼が金品を持って走っていた。」


桃谷は犬飼の鬼の緊迫した目撃証言について静かに聞いている。


「話には聞いていたが鬼が本当にいるとはな。」


「鬼を見た後輩は悪は許せないといって鬼を追いかけ山の方へ走っていった。」


「鬼が棍棒を振り回し始めたため、後輩はそれを避けようとしたところ足を踏み外してしまい崖から転落してしまった。」


「俺は後輩を助けるのに必死だったから鬼の行方は分からなくなった。」


「それを警察本部に報告した。さすがに鬼の存在など公にはできないと後輩は山中での事故死で片付けられた。」


犬飼の表情は怒りに満ちていた。


「あいつが貫いた正義の結果がこれかよ、だから刑事を辞めたんだ。」


桃谷は返す言葉が見当たらなかった。


「だから昨日お前から電話がきた時に言ったんだ、鬼と関わってもろくなことがない。」


「どんなに正義の信念を貫こうとも良い結果で返ってくるとは限らない、だから協力を拒んだ。」


「わかりました。でも、今は犬飼さんは全てを話してくださいました。」


桃谷は真っすぐな眼で犬飼に問いかけた。


「それは犬飼さん、あなたにもまだ正義の信念があるからじゃないですか?」


「…。俺にもお前の言う正義の信念とやらが残っているのかな。」


***


悩んでいる犬飼に桃谷は懐からきびだんごの御守りを取り出した。


「もちろん。このきびだんごの御守りは僕がおじいさんとおばあさんからもらった『正義の信念』の証です。」


「是非、この御守りをもらって下さい。そして僕と一緒に鬼退治に行きましょう。」


犬飼は御守りを見つめながらつぶやいた。


「お前の無念、俺が晴らしてやるからな。」


「桃谷巡査部長、俺はお前に協力するよ。」


「ありがとうございます。」


桃谷と犬飼はがっちりと握手をして、鬼退治へ向けての第一歩を踏み出した。

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