第9話 和やか(ではない)朝食の席
翌朝、ジェイドが身繕いを整えて食堂に行くと、トールに「昨日はぐっすりでしたね」と声を掛けられた。どうやらトールが食事を届けに来てくれたらしい。
「悪い、食事を届けてもらう前に寝てしまった」
「いえ、お疲れだったのでしょう」
ラムズ、フリージア、クリスティナはもう席に着いており、ジェイドもトールに椅子を引いてもらって席についた。
ティムバー家には専門の料理人はいない。領都と言う名の村で、パン屋を営んでいる男性が、通いで食事を作りに来てくれている。
ダンジョンで食材が取れるので、素材は割合良い。しかし調理に手をかけていないので、まあ出てくる物は「それなり」の料理になる。
ジェイドとしては料理の改善に手をつけたかったが、通いの調理人の仕事を手伝わせてもらった時に、前世のように気軽に料理をできるわけではないことに気がついた。
つまみ一つで火力調節が出来るコンロも、火加減を見守らなくていいオーブンもなく、フライパンすらない。調味料も塩くらいしかなく、砂糖はとんでもない高級品。この状態でまともな料理をするのは不可能だった。
ラムズの目を盗んで食材を調達するのも難しかったこともあり、現在そこは保留中になっている。
「ジェイド、疲れはしっかり取れたかしら?」
フリージアに話しかけられ、ジェイドは笑顔を返す。
「はい、ゆっくり眠れましたのでもう大丈夫です」
「良かったわ。学院の授業も無理に早めに切り上げさせることになってしまったし、苦労を掛けるわね」
「昨日も言いましたが、試験は終わっていましたから大丈夫ですよ」
この国の貴族学院は、実は出席日数という概念がない。期末試験を受けて、合格さえしていれば試験の日以外学院に通っていなくても問題ないのだ。しかしこの国で学業をおさめようとすると、学院に通って授業を受けるのが最も効率のいい手段であるので、大抵はちゃんと出席して学ぶことを選ぶ。
「通わせてやってるのだ、きちんと学べ」
急に口を挟んできたラムズに、ジェイドのナイフとフォークが動きを止めた。フリージアも同様である。
今まで、フリージアとジェイドが談笑している時、基本的にラムズは口を挟んでこなかった。例外は、ジェイドが何か功績を出し、フリージアがそれを褒めた時。調子に乗るなと怒り出すのだ。
今回はその条件に当てはまらないので、少し対応に悩む。が、それ以前に言い回しについてジェイドは引っ掛かりを覚えた。
「通わせてやっている、とは?」
貴族学院に通うには学費が必要で、貴族として籍を残さねばならない子以外は通わせない、という貴族家はそれなりにある。過去、ラムズもジェイドが貴族学院に通うことに反対し、学費は出さないと言われていた。
「お前は通う必要はないと言ったのに、どうしてもと言うから学費を出してやっているだろう」
「もらってません」
即答したジェイドに、ラムズは目を見開いた。
「そんなはずはない。サレンディスにことづけたはずだ」
その瞬間、ラムズ以外の家族の心中は一致した。それでジェイドに金が届くわけがないだろう、あのバカ学費をふところに入れたな。
「ええとですね、その学費がどこに消えたのかは俺にはちょっと分かりませんが、そもそも俺は入試で上位だったので奨学生として学費が免除されてます」
「何……?」
「父上が学費は出さないとおっしゃったので、奨学生になったんです。入試に向かった時の費用は、母上が私費から補助してくれました」
フリージアやアザレアが優秀であるとはいえ、この家の中だけで手に入る情報では、ジェイドの知りたい情報が十分に入手できるとは思えなかった。故に、レベルの高い教育を受けられる学院に何としても通うために、試験勉強を頑張ったのである。
「き、聞いてないぞ」
何か動揺しているラムズに、ジェイドは首を傾げた。
「父上に迷惑は何もかけていないと思いますが、何か問題がありましたか?」
「ジェイド。流石にその言い方は、少し嫌味だわ」
黙り込んでしまったラムズをフォローするようにフリージアがジェイドを嗜める。
「申し訳ありません。他意はなく、不思議に思ってしまったので」
むしろジェイドが功績を出すたびに怒り出すラムズにとっては、入試で好成績を取ったなんて聞きたくもない話だろうと気を使ったつもりだった。が、そう告げるのもやはり嫌味になってしまうだろう。
「旦那様も。自分のこれまでを、もう少し振り返ったほうがよろしいですわね」
「……うむ」
どうもフリージアとラムズの間では、今後のジェイドの扱いについてなどの話がなされているらしい。癇癪を起こすサレンディスさえ居なければ、ラムズも少し歩み寄ってくるみたいな話なのだろうか。
「ええと、では報告だけ。今回の期末試験でも、問題なく上位10名に入ったので、継続して奨学生になります。だから改めて学院の学費を用意していただく必要はありません」
何故だかは分からないが、視線を落としたラムズは落ち込んでいるような気がする。サレンディスの入試の成績は下から数えてすぐだったと聞いているので、それでも思い出したのだろうか。
「ジェイド、学費以外にも入り用だったりはしないの? 学費が免除ということなら少しは用立てることもできるわよ」
フリージアがとりなすように提案をしてくれる。今後ジェイドが嫡子になるというなら、嫡子に金を出すのは家として当然のこと。状況が変わるということだろう。
「奨学生に対する援助は、教科書、文具、制服、授業で使用する道具の全てと寮費、食費と学院から出ずに勉強だけに励む分には、全く金銭を必要とせずに生活できるようになっていますよ。他に必要なものというと……直ぐには答えられないので、後ほどまた相談させてください」
「分かったわ」
金銭的には特に不都合はないが、普通の貴族家である程度裕福な家は、生徒の世話をする従者をつけているところが多い。そうでないと身体を拭く水を遠くの井戸まで自分で汲みに行ったり、暖炉の薪を取りに行ったり何かとやらなければならない事が多くなるのだ。しかし奨学金には従者の生活費は入らないので、従者をつけるなら従者の生活費は生徒側の負担になる。ジェイドにはその費用は賄えないので仕方がないことと自分で対応していた。
(とは言ってもサレンディスが学院に通っていた時も従者はつけなかった筈だしな、いくら授業料が浮いていると言っても駄目だと言われそうだ)
そうなったらそうなったで、現状維持なだけである。ジェイドは意識を切り替えて話題を変えた。
「今日はこの後ダンジョンに行くという話になっていましたが、母上はダンジョンに入ったことはあるのですか?」
「数回だけど、一応あるわよ。深くまで探索する予定は無いのだし、心配はないわ」
よくよく見れば、今日はフリージアはドレスではなく、動きやすそうな女性用乗馬服を身につけている。クリスティナも同様だ。
その程度のことではあるが、きちんと準備をして向かう気があることが知れて、ジェイドも少し安心した。
「本当はフリージアがダンジョンに入るなど反対したいのだが」
再びラムズが会話に混ざろうとしてくる。
「旦那様、今更ですわ。他にやりようが無いのですから」
「ジェイドがもう少し剣を扱えるならまだ心配しなくて済むのだがな。戻ってきたら少し剣を見てやる」
唐突なラムズの申し出に、再度ジェイドはしばし硬直した。ラムズは、どうも色々忘れているような気がする。
「……父上に、最後に剣を見てもらったのは俺が6歳の時でしたか」
「そうだな。たった一度の訓練で音を上げて、訓練に来なくなったからな、お前は」
やはり認知が曲がっている。当時この家に居なかったトールとマリーは分かっておらず無言で後ろに控えているが、フリージアに給仕をしているアザレアが、今にもブチ切れてスープをラムズにぶちまけそうだ。
対応に困ってフリージアに目配せをすると、フリージアは大きくため息を吐いた。
「旦那様。記憶が改竄されているようですわ。ジェイドが旦那様の指導を受けなくなったのは、私が辞めさせたからです」
「……そうだったか?」
「そうですね。ですから父上の指導は受けずに剣の鍛錬はちゃんとしていますよ」
あの時、ラムズは木剣を初めて握った6歳のジェイドと、3年以上ラムズに指導されている9歳のサレンディスに打ち合いをさせたのだ。当然ジェイドはボコボコにされて、ラムズは剣をきちんと学ばないとこうなるからちゃんと学べとかなんとか当時言っていた。
その後当然ながらフリージアがブチギレた。アザレアも剣の型すら教えずに、いきなり打ち合いをさせるなんて頭がおかしいとこちらもキレていた。
身体中アザだらけになったジェイドは熱を出し、しばらく寝込んだ。その後回復するまでのことはあまりよく覚えていないが、水を飲もうと起きた時に、庭の鍛錬場でフリージアとアザレアが攻撃魔法を撃ちまくり、ラムズが必死で逃げている光景を目撃したような気がする。熱があって朦朧としていたので、あれは夢だったということにしておいた。
回復後、フリージアからラムズから剣の指導は受けないようにと厳命された。「受ける必要はない」ではなく、「受けてはならない」、禁止である。
しかしそうは言っても貴族である以上、魔獣と戦える力を身につけるのは義務だ。そして女性であるフリージアは剣技をおさめておらず、指導ができない。
仕方がないので前世に動画で見た武術を見様見真似でやってみることにした。ジェイドは前世、空手の有段者であったが、剣道は全く未経験。剣道もやっておけば良かった、と少し後悔した。
「……母上から父上の剣の指導は受けないように、と言われたのはまだ有効かと思うのですが、どうでしょうか」
まあサレンディスもおらず、ラムズ自身も立って剣を振れないなら、あの時のような事態にはならないだろうから受けてもいいのだが。
「その指示を撤回する前にもう一度しっかりと旦那様とお話し合いをするから、それが済むまではやらなくていいわ」
にっこりと笑ったフリージアの表情が、何故かあの時ラムズに魔法をぶちかましていた時の表情と重なって見える。ラムズは現在歩けないので、魔法は打ち込まないであげてほしい。でもアザレアも一緒に打ち込みそうな顔をしている。
「ええ、と、それでは、その」
話題を変えてラムズに助け舟を出そうかと思ったのだが、先ほどから会話をするたびにラムズが墓穴を掘っているようにジェイドには思える。歩み寄ろうとして失敗しているというか。
「ダンジョンに行く準備をしますので、俺は先に失礼します」
結局、話を打ち切るのが一番傷が浅そうなので、さっさと切り上げることにした。
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