第2話 家庭内派閥

「おかえりなさいませ、お兄様」

 ジェイドを見上げるクリスティナは満面の笑みだ。クリスティナは、ブラコン……いや、『ジェイド限定』ブラコンなのだ。


「クリス」

 一方で、声を掛けたラムズに対してはクリスティナは非常に冷めた視線を向ける。

「あら、ティムバー男爵様。いらっしゃったのですね」

「またお前は父に対してそのような」

 クリスティナを窘めるラムズに、クリスティナは思いきり顔を顰めた。

「父? 私に父などおりません。三年前から」

 クリスティナの言葉にラムズが押し黙る。


 クリスティナの主張する、「三年前にラムズがクリスティナという娘を見捨てた」事件は確かにそう言われても仕方がない事件で、あれ以来クリスティナはラムズに対しずっとこういった態度を取っていた。それまでティムバー家唯一の娘であったクリスティナは、ラムズに溺愛されていたため……ラムズに取っては相当堪えただろう、と言うのはジェイドにも予想できる。

 だが、あの件以来、それ以前から仲が良かったジェイドにクリスティナがさらにべったりになったからと言って、ラムズのジェイドに対するあたりがさらにきつくなったのはあまり納得できないことではあった。

 そもそもジェイドを大好きなクリスティナの前で、ジェイドを粗雑に扱い、嫌味を言うような言動を繰り返しておいて、クリスティナに慕われると思う方がどうかしている。


 ジェイドにしがみ付いてラムズに威嚇しているクリスティナを見て、フリージアがため息をついた。

「仕方ないわねぇ……ジェイド、クリスを連れて先に談話室に行ってくれるかしら。母は旦那様と少しお話をしてから向かいますから」

「分かりました」

 ラムズのジェイドに向けた態度に改善が無い上に、ラムズに反抗的なクリスティナが居てはまともに会話にならないと判断したのだろう。フリージアがジェイド達に退室を促し、ジェイドも素直に頷いた。

「クリス、行こう」

「はい、お兄様♥」


 クリスティナがジェイドの腕を掴む。部屋を出るとマリーの他に、室内に居た執事見習いのトールもついてきた。

「トールも来るのか?」

「人手が足りないから、義理で手伝いをしていただけです。私の主たるジェイド様が戻られて居るのにあそこの手伝いをする義理はありません」

 しれっと言い放つトールに、マリーも頷く。

「私もトール兄さんも、ジェイド様だからついてるんですからね!」

 トールとマリーは兄妹で、本来はティムバー家で預かっている人間なのだが、人を雇う余裕のないティムバー家で執事とメイドの真似事をしてくれている。衣食住こそ彼らに用意しているのはティムバー家当主のラムズということにはなっているが、給料を払って居ないのだから彼らは執事としてメイドとして、この家に仕える筋合いはない。それは純然たる事実ではある。


「だからトールもマリーも好きなのよ!絶対にお兄様を裏切ることはないのですもの!」

 嬉しそうなクリスティナにジェイドは肩を竦めるしかできない。給料を支払えないのはジェイドも一緒なのだが、トールとマリーは過去にジェイドに助けられたことに恩義を感じているのか、ずっとジェイドに仕えてくれている。

「有難いけど……3人とも、あまり派手にやらないでくれると嬉しいな」

 ティムバー家は、とても小さな家であるというのに、実質的に二つの派閥に別れてしまっている状態である。当主であるラムズの派閥と、不本意ながらジェイドの派閥と。ラムズ派はラムズ、嫡子サレンディス、ラムズが子供のころからこの家に仕えているという執事のモルト。フリージアはジェイド寄りだがラムズと決定的に仲違いしているわけでもないので中立だろうか。フリージアの侍女のアザレアはジェイドに肩入れしてくれているし、ラムズと親しくはないのでジェイド派になるだろう。そして他のジェイド派は、ここにいるクリスティナ、トール、マリー。

「あのクソジジイが改心したら考えますわ!」

「クリス、クソジジイは止めなさい。どこでそんな言葉を覚えたんだ」

「事実を述べているのだから問題ないのではありませんか?」

「教えたのはお前かトール」


 和気藹々……と言えるのかどうかはおいておくとして、会話しつつ談話室に到着する。すぐにマリーがお茶の準備を始め、トールはテーブルと椅子を整える。トールとマリーは、この家の主人に対して隔意があるだけで、執事として、メイドとして考えれば優秀な部類だとジェイドは思っている。


「それで、一体現状は何がどうなっているのか、知っていることを教えてくれないか?」

 ジェイドの言葉に、三人はしばし顔を見合わせる。そして代表するようにトールが口を開いた。

「結論から申し上げれば、ラムズ様が怪我をされ、その直後にクソや……失礼、サレンディス様が出奔されました」

「出奔?」

「はい」

「経緯は?」

「10日程前、今年度の税を納めるために、ラムズ様がダンジョンで狩りを行う、と仰いました。そして、今年から狩りにはサレンディス様が参加する、とも。……私も一緒にどうかと言われましたので、私も同行しました」

「トールも!? 大丈夫なのか!?」

 トールは数年前に怪我を負った影響で、利き手の握力が殆どない。持ち上げられるのはせいぜいがカトラリーくらいで、武器も持てないし荷物運びも無理なのだ。

「かごを背負うくらいは出来ますから、荷運び要員でしたよ。それとまあ……あわよくば私とサレンディスの間を取り持って、私がサレンディスに従うようになったら良いとでも思っていたのではないですかね」

 ハッと吐き捨てるように告げたトールの言葉からは、サレンディスへの敬称が消えている。

「兄さんがアイツを許すわけないのにね。バッカじゃないの」

 マリーの方もケッとか吐き捨てそうな様子だ。しかし、トールやマリーがサレンディスに対して敵意を向けるのは経緯を考えれば当然のことだ。むしろ一緒にダンジョンに付き合ってくれただけ大分歩み寄っているとさえ言える。


「ねぇ、私もあっちの兄は嫌いだから今まで疑問に思ってなかったのだけれど、二人は嫌いになったのに何か大きな理由があるの?許さない、ってどういうこと?」

 当時の事件を知らないクリスティナが首を傾げる。外聞のいい話では無い上に、サレンディスを庇うラムズによって緘口令が敷かれていたのだが、この際クリスティナにも教えてしまった方がいいだろうか、とジェイドは思案した。

「いや、でもな……マリーにとっては知られたい話じゃ無いよな」

 ラムズがどう言うかよりそちらの方が気になって、ジェイドがマリーに視線を向けると、マリーは微笑を浮かべた。

「大丈夫ですよ、兄さんとジェイド様のお陰で大事には至ってないので」

「マリー」


 しかし、トールの方も気が進まない様子であるのを見てとって、マリーがクリスティナに向き合った。

「お二人が言いづらそうなので、私からお伝えしますね。数年前……あのクソ野郎が13歳、私も同じ年齢ですので13歳の時の話です。色気付いたクソ野郎が、私を襲おうとしたのです」

「えっ」

 クリスティナは現在13歳。一般的にどこの貴族家でもそのくらいの年齢で色事についての教育を始める。故に、クリスティナにも「襲う」の意味がどういうことであったのかは理解できたようだ。

「すぐに状況に気がついた兄さんが止めに入ってくれました。でも、あのクソ野郎、私を庇う兄さんのことを、魔力を込めて殴る蹴るをしやがったのです」

 指が白くなるほど強く握り締められたマリーの手を見て、やはり思い出したい話では無いよな、とジェイドは小さく息を吐く。言い淀んでしまったせいでマリー本人に語らせることになったことに、少し胸が痛んだ。


「クリス、魔力を使えない者に対して、魔力を込めて攻撃するとどうなるか知っているか? 殴られた側にな、ひどい後遺症が残るんだ」

 ジェイドの言葉に、クリスティナが顔を顰める。トールもマリーも平民であり、貴族のように魔力を扱うことは出来ない。それが分かっていて、魔力を込めて暴力を振るったのだ、サレンディスは。

「すぐにジェイド様も駆けつけてくださって、ジェイド様がクソ野郎を突き飛ばしてくださったから、そこまで酷い後遺症は残らなかったですけどね」

 困ったように微笑むトールに、クリスティナがハッとして顔を向ける。

「じゃあ、もしかして握力が無いっていうのは」

「ええ、その時の後遺症です」

 その後騒ぎを聞きつけた両親が駆けつけ、流石にあまりのやらかしの内容に、サレンディスはラムズにもガッツリ叱られていた。しかし、ラムズは……『叱っただけで終わりにしてしまった』のだ。そして、そのような瑕疵があると領主を継がせるのに障りがあると、緘口令を敷いて無かったことにした。

「アレが13の頃、だと……私が8歳の頃ね?お兄様は10歳?」

「そうだね」

「そういえばそのくらいの頃から、お母様がアレの事を毛虫を見るような目で時々見ていたわ……」

 それについてはジェイドも覚えがある。フリージアは非常に美しいため、結婚する以前はよく変な男に絡まれて苦労していたと、古馴染みのアザレアから聞いたことがある。そんなフリージアからすれば、サレンディスのやった事は受け入れ難い事だった、ということだろう。


「でも、確かアレはその頃にはもう体格が良かったでしょう? それで剣の才能があるかもと男爵様が期待を掛けていたって聞いてるわ。お兄様、よく突き飛ばせましたわね?」

 当時は幼かったクリスティナだが、その印象は残っているらしい。サレンディスは昔から体格が良く、さらに領主の子であるということを笠に来て周囲の子らを良く虐めていた。それは年上の領民の子らやトール、そして当然弟妹であるジェイドやクリスティナに対してもそうであったから印象に残ったのだろう。

「俺はもうその時には魔力を扱えたからね」

「え!? 10歳でしたのでしょう!? 私、まだ殆ど魔力を扱えませんわ!?」

 慌てだしたクリスティナにジェイドは肩を竦める。

「それは別に遅いわけではないよ。サレンディスも魔力の使い方を学び始めたのは13の頃のはずだ。恐らく、習った事を使ってみたかったとか、そういう理由でやらかしたんだと思うよ」

 目をぱちぱちと瞬かせているクリスティナに、トールが少し笑みを漏らした。

「ジェイド様、サレンディスはもうこの家に居ないのですから事実を明かしてしまっても良いのでは?」

「うーん。いやまあ、そうだな……でもサレンディスが居ないと言っても父上がな」

「肩入れ先が失踪してる以上、何を言ってもどうしようもないのでは?」

 それはそうか、とジェイドは息を吐いた。

「実は、俺の勉強の進み具合はずっと隠していたんだ。把握していたのは俺自身と教師役だった母上とアザレア。トールには隠してることだけ伝えて、実際にどのくらいなのかは教えてない」

「ええっ? 何故そんな?」

 普通に考えれば、貴族家の子息の学習進度は当主が把握してしかるべきだ。しかし、ジェイドにはそうできない理由があった。

「俺の方が、サレンディスより学習速度が早かったんだ。アイツが5歳から家庭教師をつけられて勉強をするようになって、その1年後、俺が3歳になった時には俺は一人で本を読むこともできたが、アイツは1年学んでも読み書きが覚束なくてね」

 そもそも読み書きについては大人に教えられるより前に、ジェイドは本が読みたくて勝手に覚えてしまったと言うのはある。……興味もあったし、ジェイドにはそれが必要だったのだ。

「それに気がついた母上が、喜んで父上に報告したのだけれど、サレンディスは癇癪を起こすわ父上はサレンディスの立場を脅かす気か、なんて3歳に向かって怒鳴りだすわまあ酷いことになったんだよ」

「わぁ……」

 クリスティナがドン引きしている。そういえば以前トールとマリーに同じ話をした時、二人もこんな顔をしていた。

「その結果、俺には家庭教師はつけない、と父上が言い出して、母上と大喧嘩になって。それで最終的に、俺への教育は母上とアザレアでやる、その内容に父上は一切干渉しないという話で決着したんだよ」

「家庭教師が居ないのは、お金が無いからだと思っていましたわ」

「まあ節約になったことは否定しないね。それと、俺にとっては家庭教師をつけられるより良かったかもしれない」

「えっ、どうして?」

「今クリスも言っただろう? 家庭教師を雇うには金がかかる。そしてうちはいい家庭教師を呼べるほど裕福ではないんだよ」

 ジェイドはマリーが淹れてくれたお茶に口をつけて一息入れる。このお茶だって、購入したものではなく、領内で収穫して作った茶葉で淹れている。嗜好品を購入する余裕など無いからだ。

「サレンディスについていた家庭教師はうちと同じ男爵家の出で、王宮の文官採用試験に落ちて、試験勉強の傍ら家庭教師で食い扶持を稼いでいた人だよ。逆に俺に勉強を教えてくれた母上は、元は侯爵令嬢で貴族学院での成績は30位を下回ったことがないし、アザレアは本当は文官採用試験に受かったのに事情で文官になれず、母上の侍女になった人だ。多分俺の方がいい教育を受けているよ」

「ええー……お母様が侯爵家の出なのは知っていたけど、そんなに成績が良かっただなんて初めて聞きましたわ」

「俺も本人から聞いたわけではないよ。貴族学院の図書館にね、歴代の優秀者のアルバムが収められていて、そこに母上のことが乗っていたんだ」

 学院に入学して、図書館で何の気なく手に取った優秀者名簿に母が乗っていたので、ジェイドも大変驚いたのだ。母に勉強を教えてもらっていた時、知識の幅の広い人だなとなんとなく思ってはいたのだが、かなり優秀な令嬢であったらしい。

「そういう意味では、クソ野郎の学業が振るわなかったのは、教師が悪かったのもあるんですかね?」

 サレンディスが事実を知ったら、絶対にそれを言い訳にするであろう内容をトールが口にする。しかし、ジェイドはそれとは違う意見だ。

「それはないだろう。というか、恐らく母上やアザレアの説明を聞いてサレンディスに理解することは無理だ。あの二人、物事の説明するときに、自分にとっては知っていて当然な事は飛ばしがちなんだ。理解力が高くないとついていけないぞ」

「それはジェイド様が優秀だから飛ばして大丈夫だと思われたせいなのでは……?」

 苦笑しながらマリーのツッコミが入るが、仮にそういった部分はあったとしても無意識に飛ばしている部分の方が多いとジェイドは思っている。

「まあ、それはいい。そんな感じで、13歳頃に学ぶような内容はその頃もう学習済みで、魔力による身体強化もその当時普通に使えるところまで行ってたからこそ、サレンディスを問題なく取り押さえることも出来た、と言うわけだ」

 クリスティナが感心したようにジェイドに熱い視線を向けた。

「やっぱりお兄様は凄いのですのね。私ももう少し頑張らないと」

「クリスは今家庭教師についているのだったか?」

「いえ、お母様がご自分が教えるので家庭教師は要らないとおっしゃって。確かにお兄様がおっしゃる通り、説明が飛ぶ事は有るように思いますけど……そこが分からない、と言えばちゃんと細かく説明して貰えますし、特に問題は無いように思います」

「それなら良かった」

 しかし、あの母を教師役として学んで、問題無くついていけているのであれば、クリスティナも貴族学院に進学したら上位の成績が取れるだろう。

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