【毎日更新中】チートなんて無い。~貧乏男爵の跡継ぎに生まれ変わったので何とかしたい~

伽月リナ

第1話 逃げた兄

「母上! 父上がダンジョンで怪我をされたとか!?」

 ジェイドは勢いよく扉を開け放ち、室内に飛び込んだ。それに反応して室内にいた女性がハッと顔を上げる。ジェイドの姿を認めたその女性、ジェイドの母であるフリージアはほっとしたようにため息を吐いた。


「ジェイド、よく戻ってきてくたわ。これからどうしたものかと悩んでいたところだったのよ」

 フリージアは若かりし頃、社交界で妖精姫と呼ばれていたほど美女だ。困惑して眉を顰める顔も美しいが、淑女たるフリージアがそのような表情を表に出しているのは珍しい。


「父上の怪我は、それほどに酷いのですか?……それと、兄上は父上の側にいらっしゃるのでしょうか?」

 ジェイドは母の浮かない表情は父への心配故、と判断し、ついでにこの場にいるべき人物についても質問を重ねる。

 しかし、その質問にフリージアは忌々しそうに表情をゆがめた。

「旦那様のお怪我は、命には別条はないけれど、今後剣を振ることはかなわないでしょう。それから、アレは……ジェイド、今後アレを兄と呼ばぬようになさい」

「はっ?」


 ジェイドの兄、サレンディスは父が定めた男爵家の嫡子であり、現在は父の補佐として男爵領の運営を補佐しているはずだった。

 次子であるジェイドは、継ぐ領地もないため王都の貴族学院に入学し、手に職をつけるために学んでいた。そこに父が怪我をしたため領地に戻ってきてほしいという手紙を受け取り、駆け付けたのである。


「いったい何が……?」

 サレンディスは、有体に言ってしまえば「くず」だ。ジェイドも一応立場を踏まえて一歩引いた態度で接していたが、正直に言ってしまえばサレンディスが領地を継いだら、あっという間に領民が散逸して領がなくなるだろうと思っていた。

 しかし、それでも父がサレンディスを嗣子に定めていることは変えようもない事実であったし、フリージアもサレンディスの問題行動をよく咎めてはいたが、ここまであからさまに拒否をしたことはこれまでなかったはずである。


「詳しい話は、旦那様と一緒に話しましょう。ついていらっしゃい」

 フリージアに促され、ジェイドは困惑しつつも父の寝室へと足を向けた。

 サレンディスについて父と話をするのは……ジェイドにとっては、あまり嬉しくないことではあるのだが。



「旦那様。ジェイドが帰ってまいりましたので、お目通りを」

 ジェイドがフリージアに従って父の寝室に入ると、父であるラムズ・ティムバー男爵はベッドから身を起こしたところだった。


「ジェイドか……」

 ラムズはジェイドの顔を見ても好意的な表情を見せることは基本的にない。現在ラムズが怪我を負っており、状況が良くないことを差し引いても、歓迎されるわけもないな、とジェイドは思った。

「ただいま戻りました」

 ジェイドが軽く頭を下げてもラムズはジェイドに視線も寄こさない。

「サレンディスのことを聞いて、これ幸いと駆けつけたか」

「旦那様。ジェイドにはサレンディスが何をしでかしたかなど、何一つ教えてはおりません。旦那様がお怪我をなさったとだけ手紙を送り、駆け付けたのです」

 フリージアの声が固い。ラムズとフリージアは本来非常に仲の良い夫婦である。フリージアはラムズによく尽くしているし、ラムズもフリージアを尊重している。しかし、サレンディスとジェイドに関する話題になると、途端に険悪になるのだった。

「……そうか」

「そうか、ではありませんわ。思い込みで酷い言葉を投げつけた子に言うことはありませんの?」

「……」


 埒が明かない、とジェイドはため息をつく。このままではまたいつもの喧嘩になるだけだ。

「母上、気にしておりませんので。それより、今何が起こっているのか俺には全く分かっていないのです。結局、兄上はどちらにいらっしゃるのですか?父上と同じく怪我でも召されたのでしょうか」

 ジェイドが疑問の声を上げれば、ラムズはますます眉間のしわを深くした。

「サレンディスは、逃げたのです」

「はい?」

 端的なフリージアの言葉にラムズが異を唱える。

「逃げたと決まったわけではない、きっとすぐに戻る」

「いなくなってからもう何日経ったと思っておりますの?あの日、旦那様と一緒にダンジョンに入り、一人だけ逃げかえってきて。怪我を負った旦那様を、共に潜った兵たちが運び出してくる頃には出ていきましたのよ」


 フリージアの言葉からジェイドは状況を推察する。時期的に、そろそろ王家に収める税を用意しなくてはいけない季節だ。ティムバー男爵領は目立った産業に乏しく、領民から集める税だけでは王家に収める税に足りない。そのため、毎年ラムズが幾人かの兵を連れてダンジョンに入り、売り物になる魔獣を何頭か狩ってくるのだ。昨年まではサレンディスが着いていったことはなかったはずだが、領主の役目を教えるためか何か、そういった理由で今年はサレンディスも連れて行った、ということなのだろう。

 しかし、とジェイドは首を捻る。

「昨年までと同じメンバーでダンジョンに入ったのなら、問題なく魔獣を狩れるはずですよね?であればサレンディス兄上が増えても悪くなることはないはずですが、何故怪我など……。もしやダンジョンに異変でもありましたか?」

「そんなことはどうでもいい」

 どうでもいいはずはないのだが、ラムズは語るつもりはなさそうだ。

 そんな様子を見て、ジェイドは大まかな予想をする。おそらく何らかの形でサレンディスが足を引っ張り、その影響でラムズが怪我をしたのだろう。ラムズはとにかくサレンディスに跡を継がせたいらしく、こうしてサレンディスのやらかしを握りつぶすのはいつものことであった。


 とは言っても、ジェイドの問いはどうでもいいと片づけていいものではない。もしも領内のダンジョンに異変があり、魔物の氾濫の兆候があったのであれば、その対応はティムバー男爵家が行わなくてはならない。

 領内にダンジョンを抱えるということは、その領を治める貴族家が責任をもってダンジョンを管理しなければならない。それは国の法で定められていることなのだ。

「何があったかは聞いておりません。ダンジョンに氾濫の兆候があったのかどうかだけを知りたいのです」

「……いや、それは……なかった」

 たかがそれだけのことを言うにも嫌そうなラムズに、ジェイドは内心でため息をつく。まあ、何故言いづらかったのかは予想がつく。昨年までと何も変わらないのであれば怪我をする状況になどなるわけがないのだから。

「そうですか。であれば、現状で直近の問題は今年度の王家への納税の目途が立っていない、というところですね」

 ラムズが怪我をして、歩くこともままならない状態であるのを兵たちが担いで連れ帰ったならば、狩った獲物を持ってくる余裕などなかっただろう。ということは、再度ダンジョンに狩りに行かねばならないのだが、困ったことに兵だけではダンジョンで狩りをすることは無理なのだ。


 ダンジョンに出る魔物、魔獣と言った存在は、倒せればその素材はいい金額で売れるのだが、そもそもそう簡単に倒せないからこそ高値が付くともいえる。魔獣の体表には魔力が通っており、魔力を込められていない攻撃は髪の毛ほどの傷さえつけることが出来ないのだ。ラムズは、ジェイドからすれば父親としては評価できない人物ではあるが、ダンジョンで狩りができるだけの実力があること、それも自領のダンジョンで氾濫が起きないように調整できるだけの能力があるという点については認めている。


 この世界において、生きとし生けるものは全て魔力を持っている。その能力は生まれた瞬間にある程度決定されており、人間においては貴族階級がその魔力の扱いに長けている、と言われている。平民も魔力を持っていないわけではないが、強い魔獣を狩れるほどの者はそうはおらず、ティムバー領のような小さな領で兵をやっているような者は、当然平民ばかりでそんな能力がある者はいない。

 つまり、ダンジョンに狩りに行くのであれば、ラムズが行かねばならず、そしてラムズが行けなくなったならば嫡子であるサレンディスがその役割を負わねばならないはずなのだった。


「俺もある程度は魔力の使い方を覚えましたが、王都で高値がつくほどの魔獣を狩るのはまだ難しいです。何か税を納める手段を考えないと……」

 魔力の使い方は、各貴族家で家庭教師をつけるか、学院で学ぶかのどちらかだ。サレンディスはラムズの意向で家庭教師がつけられていたが、ジェイドにはその機会は与えられず、母のフリージアや、フリージアの侍女のアザレアから教わっている。

「案じる必要はありません。私が狩りに参加します」

 きっぱりと言い切ったフリージアにジェイドもラムズも目を丸くする。

「フリージア! 何を言い出すのだ、お前にそんなことさせるわけにはいかん!」

「他に狩りが出来る者も居りませんでしょ? その役を担えるものを雇うとなれば、その者に支払う賃金も必要になります。我が家にそのような余裕はございません」

 止めようとしたラムズにフリージアがぴしゃりと言い返したが、ジェイドもこの件についてはラムズに賛成だ。完璧な淑女たる母が、戦っているところなど見たことがない。

「母上、流石にそれは……」

「あらジェイド、貴方まで止めるというの」

「魔獣を倒すには魔力が必要ですが、魔法が使えさえすればダンジョンに入って大丈夫というわけでは無いでしょう?」

 まだ通い始めたばかりの学院の授業で、そのように習った。と言うことはそれは一番重要な基礎であるということだ。

「大丈夫よ、ダンジョンと言っても難易度が高いものではないし、深くまで潜るわけでも……」


 会話の途中で、唐突に勢いよく部屋のドアが開かれ、少女が駆け込んでくる。

「お兄様が帰っていらっしゃるって本当ですの!?」

「クリスティナ」

 飛び込んできたのは、ジェイドの妹、クリスティナだった。

「クリス、何ですかはしたない。ノックもなし、走ってくる、マナーの授業をやり直しだわ」

 苦言を呈するフリージアに、クリスティナが誤魔化すように笑みを浮かべる。

「だって、お兄様がいらっしゃるって聞いたんですもの。今日くらい見逃してくださいな」

 入室するなりジェイドにしがみついたクリスティナに、ジェイドも苦笑いするしかない。ジェイドが扉の方に視線を向けると、メイド見習いのマリーが部屋の扉を閉めるところだった。恐らくクリスティナにジェイドの帰還を告げたのはマリーで、そのままクリスティナについてこの部屋にやってきたのだろう。

「ただいま、クリス」

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