第52話 鋼鉄の疾走
空が澄んでいる。
橋の白い骨組みが、陽を拾って細く光った。
オープンカーのフロントガラスに、光が流れる。
視界の端で、反射が一瞬だけ跳ねた。
ミラーの中で、黒い車が迫る。
黒は黒なのに、輪郭だけがやけに鋭い。
「来るよ」
つかさの声。
軽さがない。
エルは前を見たまま言う。
「押す」
短い。
怒りじゃなく、通知みたいに落ちる。
黒い車が横に並んだ。
影が車体にかかる。光が半分消える。
次の瞬間。
ガン、と金属が噛んだ。
衝撃が背中に入る。
シートが叩かれて、視界が斜めに揺れた。
タイヤが鳴いた。
乾いた悲鳴が、風を突き抜ける。
つかさは急に切らない。
ハンドルをほんの少し、撫でるみたいに動かすだけ。
「……押させる」
言って、アクセルをほんのわずか抜いた。
速度が落ちる。
落ちた分だけ、押される感触がはっきりする。
焦げた匂いが薄く混ざった。
熱を持ったゴムの匂い。
白い煙が、細い線になって後ろへ引かれる。
陽に透けて、いっそ綺麗に見えた。
「速度、上げて」
エルの声。インカム越し。
全員に届く、短い命令。
つかさが踏む。
風が一段、強くなる。光の筋が前へ流れた。
ミラーの端で、後ろの防弾車がぴたりと追従する。
距離が変わらない。影の位置だけが同じ。
黒い車は前へ出られない。
押すしかない。
「……今」
つかさが息だけで言った。
視界の端で、エルの影が消える。
跳ぶ気配が、風を裂く。
次の瞬間。
後ろで、鈍い着地音が一つ。
金属を叩く低い音が、腹に来た。
押していた黒い車が、ふっと揺れる。
押す力が抜けて、鼻先が迷う。
ニャースケが鳴く。
「にゃ」
鳴き声が短い。
その短さが、刃みたいだった。
光が走った。
横へ薙ぐ、細い線。
バンパーが裂ける。
裂けたまま車体が横を向いて、橋の白線を踏み外した。
タイヤが空を掻く音。
一回転。空が一瞬だけ逆さに見える。
火が咲いた。
爆ぜるというより、燃え上がる。煙が黒く立つ。
熱が風に押し返されて、頬を撫でる。
焦げの匂いが舌に残った。
エルが戻ってくる。
落ちたみたいに後方へ着き、すぐ姿勢を整える。
「戻った……ます」
一拍遅れて、敬語が落ちる。
だが終わらない。
別の黒い車が、今度は前へ出た。
真正面に割り込み、横へ滑る。
タイヤが叫ぶ。
白い煙が薄い幕になって、陽を滲ませた。
つかさが速度を殺さず、距離だけを保つ。
近い。近すぎて、ライトの形が読める。
無線が割れた。
「右。来る」
クレアの声。短い。
次の瞬間、後ろの防弾車が角度を変える。
幅寄せ。動きは静かで、迷いがない。
割り込んだ黒い車が逃げる前に、側面が挟まる。
金属が、じわ、と鳴いた。
みゆの声が軽く跳ねる。
「上、いくね」
一瞬だけ、空気が冷える。
光が白く薄くなって、影が鋭く落ちた。
白い影が現れて、拳が落ちる。
ドン、と空気が潰れる音。
屋根が沈む。
音が遅れて、金属の呻きになる。
白い影はすぐ消える。
残るのは、潰れた車体と、揺れる熱だけ。
「お嬢様、助かりました」
クレアの声が、少しだけ柔らかい。
「へへ」
みゆが短く笑う。
ガロウが息を吐くみたいに言った。
「見た目との落差、すごいわねぇ」
つかさが前を見たまま、短く言う。
「次」
残った黒い車が、正面に構える。
逃げない。避けない。
つかさがブレーキを踏む。
減速。
風の音が一瞬だけ薄くなって、その代わりにエンジンの唸りが近づく。
前が軋んだ。
ハンドル越しに、骨に伝わる嫌な振動。
エルが前へ出る。
跳ばない。車体の前に“居る”。
ニャースケの形が変わる音。
硬くて短い、機械の節が噛み合う音。
エルの声。
「止める」
一拍。
「……大丈夫、です」
乾いた発砲音が一つ。
光が一瞬、白く弾ける。
続けて、金属の奥が破れる音。
鼻先が跳ね、火が噴いて、前が沈んだ。
つかさがハンドルを切る。
視界が回り、光が円になって流れる。
次の瞬間、正面が戻る。
息が、やっと出た。
ふう、と誰かが吐いたのが風に混ざる。
そのとき。
橋の両側が、暗くなった。
影が落ちるんじゃない。
“黒い塊”が、せり上がってくる。
左右から。
「今度は……何だ!」
俺の声が、光の中で裂けた。
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