第53話 空断の跳躍
橋の両側から、黒い塊がせり上がった。
光を吸う。
形が分からないまま、ただ“近い”だけが増える。
「今度は……何だ!」
叫んだ声が、風に千切れた。
つかさの手が、ハンドルを離さない。
前を見たまま、息を鳴らす。
「いやな予感しかしない」
その瞬間。
空が、鳴った。
低いローター音。
胸の骨に触ってくる重さ。
影が落ちる。
橋の床に、丸い影が二つ。
回っている。
回っているのに、影の縁だけが鋭い。
無線。
「上」
クレアの声が短く落ちた。
「車列、維持」
続けて、呼吸ひとつ分。
「――並走。詰めろ」
次の瞬間、横に黒い防弾車が寄ってきた。
ぴたり。距離が狂わない。
金属の重さが、横に増える。
みゆの声が、インカムに小さく乗る。
「……風、すごいね」
それだけで切れる。
余計に動けないのが分かる。
ガロウも喋らない。
空を見ている気配だけがある。
エルが言った。
「スピード、上げて」
全員に聞こえる声。
命令だけが落ちる。
つかさがアクセルを踏む。
風が強くなって、光が前へ流れた。
橋の白い骨組みが、瞬きみたいに明滅する。
眩しさが目の奥に残る。
ローター音が近づく。
金属の羽が空気を削る音。
次に来たのは、光だった。
点滅。
橙の線が雨みたいに降る。
ガトリング。
音が遅れて追いかけてくる。
ババババ、と空気を裂く連続。
橋の床が跳ねた。
火花が散る。白い光が瞬く。
防弾車の側面で、硬い音が続いた。
叩かれるみたいに、鈍い音。
つかさが歯を噛む。
「うわ……」
エルは短く言う。
「私が止める」
怒りじゃない。判断。
ニャースケの尻尾が止まる。
「にゃ」
低い鳴き声。
刃の準備みたいな音。
もう一つのローター音が、別の角度から重なる。
空が二重になる。
俺の喉が渇く。
「エル——」
呼びかけるより先に、エルが俺にだけ言った。
「揺れる……ます」
一拍。
「目、閉じないで……です」
ローター音が頭上で膨らむ。
ガトリングの光が、また降る。
そして、エルが跳んだ。
空に影がひとつ。
落ちるんじゃない。張りつくみたいに消える。
音が近くなる。
刃と金属の距離が、ゼロになる。
空の影に、エルが吸い込まれた。
跳躍。
落ちるんじゃない。距離だけが消える。
ガトリングの光が、エルの背中をかすめた。
橙の点が流れて、空気が裂ける。
エルは止まる。
止まって見えるだけの、短い間。
ヘリの鼻先に張りついた。
ローターの風が、顔を殴る。
風圧で、視界の端が白く滲む。
エルの腕が伸びる。
ニャースケの形が変わる音が、空の中で硬く鳴った。
銃。
乾いた音が続く。
狙うのは機体じゃない。
左右のガトリング。
火花が散った。
撃ち出す光が、途切れた瞬間が見える。
ヘリが揺れる。
揺れたぶん、橋の影がぶれる。
つかさが叫ぶ。
「無茶すんな!」
俺の腹が浮いた。
叫びの後に来る静けさが、怖い。
エルは返事をしない。
返事の代わりに、動く。
ニャースケが、もう一度音を立てた。
今度は短く、鋭い。
剣。
刃が上がる。
光が一瞬、白く跳ねる。
火花が咲いた。
ローターが、弾けた。
金属の破片が雨みたいに散る。
太陽を拾って、眩しく光る。
そのうちの一つが、こちらへ来た。
ガツ、と鈍い音。
助手席の辺りで、何かが刺さる感触。
風が変な渦を作った。
俺の息が止まる。
エルの影が、外れる。
落ちるんじゃない。戻る。
オープンカーの後ろへ、鈍い着地音が一つ。
ヘリは、傾いた。
白い影が、橋の外へ流れていく。
見えなくなって——
遅れて、低い爆発音。
腹に来る重さ。
煙が上がる。
黒が、空の青を汚す。
つかさが舌打ちの代わりに息を吐く。
「……一機」
エルが、前を見たまま言う。
「撃破……完了、です」
後付けの敬語が落ちる。
その声が、妙に遠い。
だが、まだ終わらない。
ローター音が、もう一つ。
さっきより近い位置で唸っている。
防弾車の側面に、光が降った。
橙の雨。
クレアの声が無線に落ちる。
「次、来る」
短い。
それだけで十分だった。
もう一つのローター音が、橋の上を削った。
低い。
近い。
橙の光が、防弾車の側面を叩く。
点滅が速すぎて、線に見える。
金属が鳴く。
叩かれる音が、一定のリズムで続く。
みゆの息が、インカムに混じった。
言葉にならない重さだけ。
クレアの声。
「耐える。崩さない」
それだけ。
つかさが前を見たまま言う。
「こっちは、落とすしかない感じ?」
エルの返事は短い。
「落とす」
判断だけ。
エルの肩が動く。
シートの縁を蹴る音が一つ。
跳ぶ。
風が一瞬だけ、空になる。
次の瞬間、ローターの風が身体を殴る。
エルがヘリに張りついた。
今度は前じゃない。横でもない。
後ろへ回る。
影が、機体の腹を滑る。
ニャースケの形が変わる音。
硬い節が噛み合う音が、短く続く。
「……まずいにゃ」
ニャースケの声が珍しく長い。
「そこ、切るんじゃ——」
言い切る前に、火花が散った。
刃が入った。
金属が裂ける音が、遅れて耳に刺さる。
ヘリの姿勢が崩れる。
傾く、じゃない。
回る。
機体が後ろへ回転し始めた。
ローター音が歪んで、空気がうねる。
「最速で逃げるにゃ!」
ニャースケの声が跳ねる。
つかさが即座に踏んだ。
風が前から殴ってくる。視界が伸びる。
横の防弾車も、ぴたりと付く。
離れない。距離が狂わない。
背後で、空が崩れた。
ドン、と低い音。
続けて、もう一つ。
爆発は見えない。
でも、煙が追いかけてくる。黒い筋が風に引かれる。
熱が背中を撫でた。
髪が一瞬だけ乾く匂いがする。
つかさが叫ぶ。
「どうなるか、分かんなかったの~!?」
エルが、オープンカーに戻る。
着地の音は一回だけ。鈍い。
「撃破……完了」
一拍。
「……です」
その声に、やっと息が出た。
橋の骨組みが、少しずつ後ろへ流れていく。
白い線が遠ざかる。
前方に、出口の看板が見えた。
青い板が、陽を受けて光っている。
俺は看板を見たまま、喉の奥で息を吐いた。
まだ、終わってない気がした。
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