第44話 地図と設計図
視界が、ゆっくり戻る。
最初に見えたのは、天井の非常灯だった。
白く、低い光。影が長く伸びている。
音が少ない。
空調の風切り音がない。
いつも聞こえていた微かな駆動音も、戻ってこない。
誰も、状況を口にしない。
クレアは立ったまま、周囲を一度見渡す。
端末を操作するが、画面は反応しない。
一度、深く息を吸って、それだけで止めた。
ガラスの向こうの取調室も、静止している。
監視用のランプは消えたまま。
カメラの黒いレンズだけが、こちらを向いている。
エルが一歩、前に出る。
床を踏む音が、やけに大きく聞こえた。
ニャースケが、俺の肩で身じろぎする。
何かを探るように、耳を伏せたまま動かない。
空気が、冷たい。
冷房が落ちたせいじゃないと、分かる。
――落ちた。
通信も、監視も、制御も。
その事実だけが、部屋に残っていた。
ガラス越しの取調室で、淡い光が滲んだ。
ガロウの体だ。
拘束されたまま、内側から薄く発光している。影が歪み、姿勢が少しだけ正される。
声が、変わった。
「……久しぶり」
それはガロウの声じゃない。
近い。距離感が、あの時と同じだ。
「ゆうとの部屋で会って以来ね」
息をする間もなく、続く。
「時間がない。長くは話せないの」
照明が不安定に揺れる。ノイズが混じり、音が欠ける。
「ここは……繋がっただけ」
言葉が、急ぐ。
「覚えて。今は、覚えるだけでいいわ」
発光が強まって、また弱まる。
「……いい?」
返事を待たず、次の言葉が押し込まれた。
光が、わずかに脈打つ。
ガロウの口が動く。
でも、その中身は別だ。
「……聞いて」
急かす声。
優しさはある。けれど、余裕はない。
「おじいさんは――」
ノイズが一瞬、強くなる。
「仮想記憶」
言葉が、落ちる。
「あなたに必要だったから」
間を置かず、続く。
「私が用意した設定」
短い沈黙。
「……ごめん」
一言だけ。
それ以上は、ない。
喉が鳴る。
言葉は出てこない。
周囲も、動かない。
誰も反応できないまま、非常灯の白が床に伸びている。
光が、また弱まる。
時間が、削られていくのが分かる。
光が、不規則に揺れる。
ノイズが混じり、声が削れる。
それでも、言葉は続いた。
「……本題」
短く、切り替わる。
「エクスターナル・シード」
聞き慣れない名が、空気に残る。
「それを……」
発光が一段、弱まる。
「ニャースケに咥えさせて」
ニャースケが、ぴくりと動いた。
俺の肩で、爪が立つ。
「もう一つが、ある」
声が遠くなる。
「……探して」
間。
「奴らより、先に」
何者かは、言わない。
説明も、ない。
ノイズが強くなる。
言葉が、途切れ途切れになる。
「それ……だけ……」
最後に、かすれた声。
「……ごめん……」
光が、消えた。
ガロウの体から、発光が抜け落ちる。
取調室に、ただの非常灯の白が戻る。
音が、ない。
非常灯の白が、わずかに揺れる。
次の瞬間、天井の照明が戻った。
音が一斉に帰ってくる。
空調の低い唸り、機器の起動音、足元の微かな振動。
ガロウが、息を大きく吐いた。
「……は?」
拘束具が鳴る。
肩をすくめ、首を振る。
「……ちょっと、待って。何、今の」
視線が泳ぎ、周囲を見回す。
さっきまでの余裕は、ない。
クレアが一歩前に出る。
「あなたは、何もしていません」
淡々と告げる。
「そして、何も覚えていない」
ガロウは口を開き、閉じた。
言い返す言葉が見つからない。
監視ランプが安定した赤に戻る。
通信端末が、まとめて復帰音を鳴らす。
「……もう安全です」
クレアの声は、元の調子に戻っていた。
誰も、さっきのことを口にしない。
でも、なかったことにはならない。
現実だけが、静かに続きを始めていた。
場所を移した。
照明の色が変わる。
床の質感が硬くなる。
白衣の背中が二つ、並んでいる。
ニャースケは作業台の中央に座らされた。
小さな体が、固定される。
嫌がらない。ただ、尻尾だけが一度揺れた。
クレアが短く言う。
「解析に回します」
博士の一人が頷き、もう一人が操作を始める。
言葉は交わさない。手だけが動く。
——咥える。
それだけの動作。
次の瞬間、視界が重なった。
俺の目の前に、映像が開く。
平面図でも、立体でもない。
“場所”の感触だけが、浮かび上がる。
大きな河。
広い土手。
水と陸が交わる、曖昧な線。
そこから、反応が伸びる。
北へ。
まっすぐではない。
迷いながら、確実に。
重ねて、別の像。
設計図。
番号が振られている。
見覚えのある配置と、見たことのない空白。
線が、跳ぶ。
つながっていないはずの箇所が、同時に反応する。
誰も説明しない。
誰も質問しない。
クレアが、即断する。
「設計図を最優先で解析。
こちらの能力向上に直結するなら、速やかに装着してください」
博士たちは黙って頷く。
反論は、出ない。
「――そのあと、現地確認へ」
映像は消えない。
目を閉じても、残ったまま。
そのまま、暗転。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます