第35話 番号で話す、ということ

 暗い。


 リンク越しに流れ込んでくるのは、色のない感覚だった。

 光量が足りないというより、光が意味を持たない。


 水流が乱れている。

 一定じゃない。渦を巻いて、押して、引いてくる。


 姿勢が、安定しない。


 エルが体勢を立て直そうとしているのが分かる。

 動きは正確だ。でも、余計な補正が多い。


 ――想定外。


 視界の端に、ニャースケ。


 距離がある。

 思ったより、離れている。


 位置関係を整理しようとした瞬間、

 別の影が割り込んでくる。


 サメに似た輪郭。


 ただし、サイズが違う。

 知っている“サメ”のスケールじゃない。


 速い。


 速すぎる。


 リンクが、危険を先に伝えてくる。

 まだ接触はしていない。

 でも、時間が削られている。


 つかさの声が、艦内で重なる。


「サイズ、出た……全長、推定十五以上」


 指が走る音。


「速度、異常。最大値が……待って、これ」


 言葉が詰まる。


 クレアは、同時に複数の指示を飛ばしている。

 通信、解析、回線確認。


 声は冷静だが、

 処理量が限界に近いのが分かる。


 余裕がない。


 戦闘は、まだ始まっていない。

 だが、準備時間はほとんど残っていなかった。


 そのときだった。


 通信が、勝手に割り込んできた。


 警告も、予兆もない。

 ただ、モニターが切り替わる。


「――まあ……」


 柔らかい声。


 余裕をまとった、女の声。


「贈り物は、お気に召しまして?」


 画面に映ったのは、黒瀬イェーガーだった。


 整った身なり。

 笑みは浅い。だが、目が笑っていない。


「あら? そのご様子……困っていらっしゃる?」


 クレアの表情が、一瞬だけ歪む。


「……き、きさま!」


 声に、感情が漏れた。

 すぐに、抑え込む。


 イェーガーは楽しそうに首を傾げる。


「そこのポンコツアンドロイドの近くに、“何か”がいるのは……」


 わざと、間を置く。


「分かっておりますわよ」


 クレアは小さく息を吐き、

 スタッフにだけ聞こえる声で言う。


「……やれ」


 指示は短い。


 そして、何事もなかったように表情を戻す。


「イェーガーさんも、お元気そうで」


 皮肉は薄い。


 イェーガーは笑う。


「軽口を叩けるのも、今のうちですわ」


「その状況……あまり、よろしくなくてよ?」


 会話は優雅だ。

 だが、完全な牽制合戦だった。


 どちらも、相手の“次の一手”を測っている。


 クレアが、こちらを見る。


 視線だけで、俺に合図する。


 指が、短く動く。


 そして――

 聞かれている前提で、声を出した。


「ゆうとさん、ニャースケの合図に従ってください」


 一拍。


「いつもの“番号”で結構です」


 イェーガーの眉が、ほんのわずかに動く。


 クレアは続ける。


「1と言われたら、UB-03」


「2なら、C509」


「3は、FF-G09」


 淡々と。


「内容は理解しなくていい」


「順番だけ、間違えないで」


 間。


「……聞かれている前提で、説明しています」


「それ以上は、不要ですね」


 番号。


 意味の分からない羅列。


 だが、俺には分かる。


 俺は、実行者だ。


 イェーガーは小さく笑う。


「まあ……秘密のお遊びですの?」


「その回収物を差し出してくだされば……」


 声が甘くなる。


「見逃して差し上げても、よくてよ?」


 その直後。


 クレアの耳元に、誰かが囁く。


 クレアは、微笑んだ。


「……あなたの方こそ、そこにいて平気かしら」


「こちらには、有能なスタッフがいますのよ」


 視線が、つかさに向く。


 つかさは、ゆうととクレアを見て――

 小さく、グーポーズ。


「この前の、お返しよ」


 イェーガーの笑みが、わずかに薄れる。


 戦闘は、まだ始まらない。


 だが、

 仕掛け合いは、始まった。


 番号は、もう渡された。


 次に動くのは――

 俺だ。

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