第36話 つながるまで、戦わない
リンク越しに伝わってくる感覚が、乱れていた。
暗い。
単に光がないというより、光が役に立たない。
水流が、一定じゃない。
押す、引く、巻く。
エルの姿勢が、細かく崩されているのが分かる。
修正している。
だが、修正の回数が多すぎる。
――長くはもたない。
視界の端に、ニャースケがいる。
正確には、いた。
今は、距離がある。
さっきの衝撃で、別方向に弾かれた。
リンクを通して位置関係を掴もうとするが、
水流のノイズが多く、誤差が出る。
その誤差の向こう側に、影がある。
黒い。
輪郭は、サメに似ている。
だが、記憶にあるサメとはスケールが違う。
大きい。
そして、速い。
速さが、異常だ。
つかさの声が、艦内に響く。
「速度……想定値、完全に超えてる」
端末を叩く音。
「正面衝突は不利。
というか、ぶつかったら終わり」
その判断は、早い。
そして正しい。
エルの感覚が、一瞬だけ強くなる。
加速しようとした。
だが、水流がそれを許さない。
ニャースケから、短い声。
「このままじゃ、追いつかれるにゃ」
冗談はない。
状況報告だ。
戦う余裕は、ない。
倒すなんて、論外だ。
やることは一つ。
近づける。
ニャースケを、エルのところまで。
それだけが、最優先。
距離と、時間。
どちらも、足りない。
黒い影が、進路を変える。
獲物を選び直すような動き。
リンク越しに、嫌な予感が走った。
――ここで何もしなければ、
次は、間に合わない。
俺は、息を整える。
番号を呼ばれる準備だけをして、
待った。
ニャースケの動きが、わずかに止まった。
迷いではない。
計測だ。
水流。
距離。
黒い影の進路。
全部を一瞬で並べて、
短く、答えを出す。
「……1」
その声は、落ち着いていた。
俺は反射で動く。
考えない。確認もしない。
UB-03。
操作を入れた瞬間、
海の色が変わった。
白い雲が、広がる。
煙じゃない。
霧でもない。
微細な泡と、反射粒子。
光を散らし、音を散らし、感知を散らす。
視界が、白くなる。
ソナーの反応が、重なる。
黒い影の突進が、鈍った。
完全には止まらない。
だが、一直線だった動きが崩れる。
その隙を、逃さない。
「2、今にゃ」
間髪入れずに来る指示。
C509。
次の操作で、
海の流れが歪む。
直接押すわけじゃない。
進行方向だけを、狂わせる。
黒い影が、軌道を修正しようとする。
だが、直進できない。
エルとニャースケのラインから、
ほんの少しだけ外れる。
距離は、まだある。
追われている状況も変わらない。
それでも。
時間が、生まれた。
リンク越しに、エルの感覚が変わる。
姿勢が、安定し始める。
水流への補正が、減った。
ニャースケが、前を見る。
黒い影は、まだ来る。
速さも、脅威も、消えていない。
だが、今は――
追いつかれてはいない。
番号は、ただの符号じゃない。
逃げ道を作る、言葉だ。
次を呼ばれるまで、
俺は、操作から手を離さずに待った。
白が薄れる。
反射粒子の雲が、後方へ流れていく。
視界が戻るにつれて、距離感も戻ってきた。
――足りない。
エルの位置が、見える。
だが、まだ遠い。
ニャースケは、速度を上げない。
無理をすれば、流れに飲まれる。
黒い影は、まだ背後にいる。
軌道は乱れているが、狩りをやめたわけじゃない。
つかさの声が入る。
「距離、詰めきれない……このままじゃ、また捕捉される」
事実確認。
焦りはない。
ニャースケが、一瞬だけこちらを見る。
迷っていない。
計算が、終わった顔だ。
「……3にゃ」
短い。
俺は、即座に動く。
FF-G09。
操作を入れた瞬間、
海に“違和感”が散った。
エルと、ニャースケ。
その二つに似た反応が、周囲にばら撒かれる。
数は多くない。
精巧でもない。
ただ、狩る側にとっては十分だ。
黒い影が、進路を変える。
一瞬、迷う。
そして、“餌”に反応した。
狩りのベクトルが、ずれる。
影が、別方向へ走った。
――静かになる。
水流が、落ち着く。
乱れが、消える。
リンク越しに、エルの感覚が変わった。
姿勢が、完全に安定する。
ニャースケが、最後の距離を詰める。
近づく。
伸ばす。
触れる。
物理的な接触。
合体。
その瞬間、
リンクの質が変わった。
重心が、下がる。
出力が、揃う。
無駄な補正が、消える。
ニャースケが、低く言う。
「……これで、やっと本番にゃ」
黒い影は、もうこちらを向いていない。
まだ終わっていない。
だが――
戦える形には、なった。
俺は、息を吐く。
次は、
逃げるだけじゃ、済まない。
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