第23話 火花と音だけが、先に強くなった.

白瓏邸の廊下は、相変わらず静かだった。

足音が、少し遅れて返ってくる。


研究区画のほうから、金属の擦れる音がする。

一定じゃない。作業音というより、癖みたいな間。


理由は特にない。

ただ、気になった。


エルのこと。

それから、クレアのこと。


扉の前で、一度だけ立ち止まる。

中から聞こえる声はない。


ゆうとはノックもせず、扉を開けた。


白い照明。

広いスペース。

機材の間を、クレアが一人で歩いている。


視線が合う。


「……どうしました」


声はいつも通りだった。

温度も、揺れもない。


「いや……」


それだけ言って、ゆうとは中に入った。


エルのいる区画は、さらに奥だ。

ここは、その手前。


クレアは何も聞かない。

ゆうとも、それ以上説明しない。


少しだけ、間が空く。


その沈黙が、不自然じゃないことに、

ゆうとは気づいていた。


ここは、逃げ込む場所じゃない。

確認する場所だ。


そう思いながら、

視線を奥へ向けた。


作業台の横で、クレアが立ち止まった。

端末を置く音は、いつもより小さい。


「博士は、物事をバイナリでしか識別できません」


「猫が、いるか。いないか。それだけです」


「お嬢様の体調を理由に、猫の接触を制限しました。すると、その場で帰ると言い出しました」


「代替として、アンドロイド猫を提案しました。本気で怒られました」


「自分で作ったら、自分の言うことを聞かせてしまうだろう、と」


一拍。


「――猫というのは、思い通りに行かないと書いて猫と読むんだ。お前は馬鹿か、と」


「そのまま返したい言葉でした」


少し間を置いて、クレアは続ける。


「……仮想では、二十回ほど殺しています」


ゆうとは短く息を吐いた。


「……ああ」


「現実では、実行していません」


端末を取り上げ、視線を前に戻す。


「今後の解明に、博士は欠かせません。前回のニャースケ様のコードを解明したのも、博士の力です」


ゆうとはそれ以上、何も言わなかった。


監視ルームの照明は、落ち着いていた。

分厚いガラスの向こうに、実験スペースが広がっている。


エルは、そこに立っていた。


ゆうとは、思わず声をかける。

「……大丈夫か」


エルは、少し間を置く。


「問題ない……です」


ゆうとは、短く息を吐いた。

「心配した」


エルは、一瞬だけ視線を逸らす。


「……すみません」


「良かったね、エル」


つかさが、いつもの調子で言う。


「つかさも、ありがと」


一拍。


「え~、わたしにも敬語は~~~!」


エルは、つかさを見る。

きょとんとしたままだ。


博士が、手を叩いた。


「そこに置いて」


全員の視線が、博士に集まる。


「……ここから先は、危険だ」


博士は、ガラスの向こうを指さした。

照明が一段落ち、実験スペースの奥が浮かび上がる。


レール。

標的。

防壁。


射的場だった。


「装置の結果を見てもらおう」


博士は、説明を始めなかった。


端末を操作すると、

実験スペースの照明がもう一段落ちる。


「治したわけじゃない」


前置きもなく、そう言った。


「新しく作ったわけでもない。

 ……最初から、ほとんど出来上がっていた」


博士の視線は、エルの顔を外れている。

胸元の紋と、腕部の接続ラインだけを追っていた。


「正直に言えばな」


一拍。


「ここまでとは思わなかった」


端末に映る制御層を、指でなぞる。


「安全プロテクション。

 戦闘用リミッター。

 リンク制限」


重なり合った制御が、次々と表示される。


「これだけ縛られて、

 それでも“成立していた”」


鼻で、短く笑う。


「設計した連中は、怖かったんだろう。

 こんなものが、世に出るのがな」


博士は、はっきりと言った。


「だが――」


視線を上げる。


「こんなものに制限をかける方が、よほど馬鹿だ」


操作音。

制御層が、まとめて解除される。


「だから、全部外した」


つかさが息を呑むが、博士は構わない。


「外した以上、

 耐えない部品が残っているのは論外だ」


一拍。


「壊れそうな箇所は、全部、作り替えてある。

 想定負荷に合わせてな」


クレアが、静かに言う。


「……強化ですね」


「そうだ」


即答だった。


「制限を外すなら、

 最初から耐える設計にする。

 それだけの話だ」


端末を置く。


「細かい理屈を並べても、

 貴様らには分からん」


博士は、ガラス越しに実験スペースを指した。


「見る方が、早いだろう」


低い駆動音が走る。

レールが起動し、標的が配置につく。


その中央に、エルが立っていた。


「ニャースケ」


呼ばれた名前に、

床に置かれていた小さな影が、ぴくりと動く。


だが、まだ何もしない。


「単体では、意味がない」


博士は言い切る。


「装着しろ」


エルは、一拍置いてうなずいた。


ニャースケが跳ねる。

空中で分解し、内部構造が展開する。


金属音。

短く、確かな音。


腕部に、正確に噛み合う。


――カチリ。


ロック音が、空間に残った。


「……リンク、確認……です」


エルの声は、安定している。

迷いも、揺れもない。


博士は満足も不満も見せない。


「それが、アームド・リンク形態だ」


説明は、それだけ。


誰も口を開かなかった。


動いた。


その事実だけが、

静かな監視ルームに残っていた。


最初に鳴ったのは、火花だった。


乾いた音。

弾けるような閃光が、エルの腕元で散る。


次いで、金属音。


ニャースケの外装が、

分解され、スライドし、反転する。


速度は一定。

迷いはない。


部品同士が噛み合うたび、

短いロック音が重なる。


ブレード形態。


刃が展開される瞬間、

空気がわずかに震えた。


エルは、構えない。

ただ、腕を自然な位置に置いているだけだ。


博士は何も言わない。


次の音。


部品が引き戻され、

内部構造が組み替わる。


ガン形態。


反動吸収部が展開し、

エネルギーラインが安定する。


エルの姿勢は変わらない。


さらに、もう一段。


分解。

再配置。

反転。


重たい音とともに、

全長が伸びた。


ライフル形態。


質量が増したはずなのに、

エルの腕は微動だにしない。


「……照準、固定……です」


声は淡々としていた。


引き金を引く。


閃光。

衝撃音。


防壁の向こうで、標的が消し飛ぶ。


反動は、完全に制御されている。

エルの体は、揺れない。


二射目。


同じ音。

同じ結果。


三射目。


観測室の誰も、言葉を発しない。


強い、とは思わなかった。

勝てる、とも言えなかった。


ただ――

動いてしまった。


テスト終了の合図とともに、

ニャースケは元の形へ戻る。


金属音が止み、

空気が静まる。


何かが足りない。

そんな感覚だけが残った。


ニャースケが、短く鳴く。


「……にゃ。これで“使える”にゃ」


誰も笑わない。

誰も安心しない。


強くなったわけじゃない。

ただ――


入口に、立っただけだ。


火花と音だけが、

先に強くなった。


ゆうとは、エルの腕を見たまま思った。


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