第42話【ルール】
午前9時。ある大きな事件が起きた時間……。僕ら501号室の皆は、配られた朝食を食べ終えて、作業に取り掛かろうとしていたところだった。皆、起床時間は違うけれど、今回は特別ルールとして、9時には作業を開始しようって……そういうルールになっていたから。
こういう時、大体1人は寝起きが悪いやつが居るものだが、今回はそれに関するトラブルは無かった。なぜなら……
「うーん……。アカン……全然眠いてぇ……」
「「「…………」」」
一番寝起きが悪かったのは、意外にも誰よりも活力に満ち溢れている……僕の親友、山本だったからだ。
山本は僕が起こそうが何しようが、むにゃむにゃと可愛らしい寝息を立てては布団に潜り込んでしまったんだ。布団を剥がそうとしたら握力で抵抗してくるし、なんなら全体重でしがみついてくる。そんな元気があるならもう起きれるだろ……って思ったけど、でもそれとこれとは話が別らしい。
僕らもあまり寝起きが言い訳では無かったが、山本よりかは全然マシだ。ちょっとごねたりボンヤリしたりはするけど、基本的にはちゃんと起きるから。
むしろ、僕の袖を引っ張って、「皆で寝れば大丈夫や……」なんてことをのたまう山本の方が、この場では異端に映ってしまった。
「はあ……山本。そんなに寝てると、お前の分の朝ごはん食っちまうぞ」
僕はため息混じりにそう声をかけ、山本を起こす最終手段に出る。ちょっと乱雑な物言いで僕がそう脅してみれば、山本は電流でも流れたかのような俊敏な動きで、
「うわー! ちょっと待って! 食う! 食うっす!」
エセ関西弁すら剥がれ落ちた声を上げ僕の目の前に正座した。眠気の抜けきらない丸まった背中に、僕の視線が注がれる。ゆったりとした浅い呼吸に、まだ呂律が回りきっていないような声。
ザ・寝起きって感じの山本は、なんだかそれだけで面白かった。
「っ……ふふ」
「んー? なんやまこと。何わろてんねん」
「……いや、何でもない」
僕はくすくすと控えめな笑いを零して、今日も平和な一日が始まるんだと、そう、信じきっていたんだ。
そして、
「あ、皆、ちょっと僕出てくるね。絵のアドバイスしに行ってくる。……昨日言った感じで色塗りしてくれる?」
「お、もうそんな時間か」
「任せろー。いってらー」
そして、9時を回った頃、伊藤はそう言って部屋を離れた。「1時間くらいで戻ってくる」と、僕らにそう言い残して。
……そして、これが僕らを巻き込む「大きな事件」の始まりだった。
♤♤♤
――ここからは、僕らが、帰ってきた伊藤から聞いた、その事件の一部始終である……。
「違う違う。そこはメインにしたいんだよね? だったら色で差をつけないと」
「おお、じゃあピンクより赤がいいってことか?」
「うーん、まあそうだね。相性的にはオレンジの方が良いかもだけど……」
時刻は10時を過ぎた頃合い。伊藤は、例の男の部屋を訪れて、絵を教えていたのだという。構図やテーマを変えることはできないから、主に配色や塗り方の指南をしたらしい。何色と何色が相性が良いとか、視線誘導のテクニックとか、まあそんな感じだ。
伊藤が言うには、その部屋の人たちは伊藤を暖かく迎え入れて、純粋に上手な絵を描こうと、相当頑張っていたらしい。確かに初心者だし、絵が得意な子たちではなかったけれど、その熱意は本物だって。
1時間みっちり教え抜いて、結局完成までは至らなかったけれど、少なくとも「誰かは投票しそうな素敵な絵」になったって、伊藤は嬉しそうに話していた。
僕らの部屋の絵はまだ完成していなかったから、伊藤は10時を過ぎたのを確認し、「そろそろ行くね」と引き上げたらしい。
この時点で、僕はああ、と思ってしまった。
ああ、失敗した。行かせるんじゃなかった。僕が、また厄災を連れてきたんだ、と。
後悔してもしきれない。僕の愚かさを再び恨む。それが、僕のせいでなかったとしても、つい悔やんで苦しんでしまうような、事件。
……伊藤が帰ってきたのは、例の男の部屋を出たという時刻から1時間経過した、11時頃のことだった。伊藤が帰ってこないことを心配しつつ作業をしていた時にインターフォンが鳴り、扉を開けた先に居た伊藤は……。
「なっ……!!」
「い、伊藤!?」
「どうした! 誰にやられた!!」
恐怖に震え、顔を青ざめさせ……明確に、何かに怯えた顔をしていたんだ。扉が開いた瞬間、抱きつくように転がり込んできた伊藤の呼吸は、まるで冬の夜空の下で寒さに震える人間のように、弱く、荒い。
「はぁっ……あぁっ……!」
その小さく開いた口からはうわ言めいた声が漏れ出て、暴走する感情を抑えるかのように、目が見開かれている。
伊藤の身体を支える悟さんが、周囲に視線を巡らせ、そして声を発した。
「大丈夫だ伊藤。大丈夫……。一旦落ち着け。ここは、安全だ」
その工夫された落ち着いた声音が、伊藤の耳に優しく届く。徐々に震えていた呼吸が整っていき、伊藤の目に溜まっていた涙が存在を薄めていく。見たところ伊藤に外傷は無さそうだが、それ以上に大きな傷が……伊藤の中に潜んでいるような気がした。
「っ……伊藤、無理しなくて良いんだが……。な、何が、あったんだ……?」
同居人であるチャラめの男……鈴木が、遠慮がちに声を発した。鈴木は眉をこれでもかと下げながら、しかし、真実を知ろうという意思を顕にした、なんとも複雑な表情をしていた。
……本当は、僕もそう言いたかった。一体何があったんだって、本当は、そう言いたかった。伊藤のあの怯えた表情は普通じゃないし、それに、今回のゲームに関わるかもしれないから。
だから、鈴木が流れで聞いてくれたのは、正直ありがたいと思ったんだ。伊藤には申し訳ないけれど、今は、伊藤の情報が生死を左右する。
「っ……はい……。話します、ね……」
伊藤も今の状況を理解したのか、涙を拭いながらそう応答した。まだ少しだけ震えている、弱々しい、伊藤の声。でも、それは僕とは全く違って、決意や覚悟をちゃんと持っている「心が強い人間」の声だった。
……ああ、伊藤と僕は、こういう所でも違うんだな。
僕はなんとなくそんな現実を実感しながら、伊藤の言葉に耳を傾けた。今回はルールにもあるように、暴行や妨害は認められていないはずだったけど……、一体何があったんだろう。
「……絵を教えに行った後、他の部屋の人に絵を教えてくれって頼まれて……一旦どういう状況か見に行ったら…………」
伊藤はその時の記憶を呼び起こすようにそう言って、そして、決定的な一言を言った。
「……部屋には防犯カメラが無いからって、殴られて、……無理やり、絵を描かされました…………」
「「「っ!?」」」
それは、僕らが予想できなかった、普通は生きるためにやらないはずの……明確なルール違反だった。
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