第37話【親友に似た男】

「なあ誠……だっけか? お前の部屋に……なんか絵を教えられそうなやついねえか?」

「え、絵ですか……?」

「そう。絵」


 原案提出を終え自室に戻ろうとする僕を呼び止めたのは、またも、あの屈強な浅黒い肌の男だった。僕が振り返り視線を上にすると、そのいかにも陽キャって感じのオーラを放つ男と視線が交わる。身長は180を超えてるんじゃないだろうか。とにかくイカつくてゴツイその男は、僕の返答を待つかのように、無言で僕を見下ろしていた。


「……絵を教えられるかはわからないですが、まあ、絵が上手い子はいますよ。……1人」

「まじ? ちょっと俺ら絵心ゼロって感じでさあ、良ければアドバイス欲しいんだわ」

「アドバイス……でも僕らもかなり時間ギリギリで、教える時間が取れないような気がします」


 その男は太陽のような輝きを伴って、僕に交渉を持ちかけてきた。彼の肉食動物を想起させる鋭い瞳には、心なしか純粋な光が見え隠れしている。


 あれ、思ったより怖そうな人じゃないかも。


 僕は意外な自身の感覚に戸惑いつつも、一旦考えを整理した。


 この人が持ちかけてきた交渉は、至ってシンプルだ。「絵が苦手だから、生き残れるようにアドバイスを貰いたい」……日本語にするならただそれだけだから。よっぽど絵に自信が無いメンツなのか、それとも安心感を得るための保険として僕らを求めているのかはわからない。まあ、僕には本心などわかるはずもないんだけど、少なくとも悪い理由ではないような気がする。


 単純に絵を教えてほしいというだけの交渉だから、僕が断る理由は無いだろう。僕だって無闇に人を殺したい訳じゃないし、皆が死なないために才能を出し合っていくっていうのは、ある意味正解に近い生存戦略だからだ。



 ――でも。



「……もし、僕らが貴方たちに絵を教えたとして……何か、メリットはあるんでしょうか……。僕ら、ただでさえ人数が減っていて、あまり余裕が無い状況なもので……」



 ――でも、わざわざ依頼を受ける理由も無い。



 僕はあくまで下っ端っぽい振る舞いを心がけつつ、目の前の男にあおう質問した。ヘラりと不器用な笑顔で相手を騙し、ペコペコと媚びるような動作をしてみる。まるで、上司にゴマをする平社員のようで情けないような気もするが、最優先すべきなのはいつだって僕らの命であるべきだ。


 僕は男の反応を伺い交渉を進めるべく、ヘラヘラとした笑みの裏から獣のように鋭い眼光を向け、ただ、ひたすらに回答を待った。


「メリット……? メリット、かぁ……」


 男は不思議そう、というか「考えてなかった」というような表情を浮かべ腕を組むと、顎に手を添え黙り込んでしまった。あーでもない、こーでもない、というようにブツブツと言葉を重ねる男は、なんだかとっても愛嬌があるというか、もちろん良い意味ではあるんだけど――……ポンコツだった。


「やっほ〜お待たせー♡ ……ってアレ、どしたん?」

「うーん、…………ちょっと、待ってなぁ……」


 動作不良で電源を切られた機械のように静止した男は、彼女らしき人物がトイレから帰ってきたのを静かにスルーし、またひたすらに考え事を始めた。


 10秒、20秒、と時間が過ぎていき……男がようやく声を発したのは、たぶん、僕がメリットを質問してから、30秒くらい経った後だったような気がする。


「メリット……うーん、あ、そうだ。俺らにアドバイス提供してくれたら、今度何かピンチがあった時、俺らがお前らを助けてやるよ」

「助け……」

「そう! 俺運動得意だしさ、何かと役立ちそうじゃね!?」

「やだ、天才じゃ〜ん!」


 目の前の巨大な男は、また純粋そうな笑みを浮かべて、僕らに対するメリットを提示した。その純粋な太陽のような笑みは、僕らにとっては見覚えがあった。僕ら……というには今は仲間が居ないけれど、その笑みはたぶん、僕の部屋の人が見たら……「山本みたいだ」と形容するような笑みだったんだ。


 身長は20cmくらい違うし、大人っぽいし、ゴツイし何もかも違うけど――……。


 でも、コイツは山本に似ていた。たぶん、僕が山本出会っていなくても無意識に惹かれるくらいには。彼女持ちだし見るからに危なそうだけど、でも、内側には1本筋が遠ている感じ。僕が初対面の時に抱いた恐怖は、もしかしたら杞憂だったのかもしれない。


 そう思わせるほどの説得力が、彼にはしっかり備わっていたんだ。


「……わかりました。信じますからね」

「おう! 助かる! えーっと……いつ教えてもらえそうだ!?」

「えっと、教えるのは僕じゃないので、その子に相談して正式なお返事を出します」

「オッケー、さんきゅー!!」


 僕は、彼から溢れ出る陽のオーラと、僕に備わっている人助け精神が合致するのを感じ、とりあえず暫定でOKの返事を出した。伊藤が了承するかわからないし、そもそも時間が取れるかもわからない。だから、とりあえず形だけの了承にはなってしまうけど、男は希望を見つけた、というような顔で舞い上がっている。


「……正式な返事は、お部屋に伺ってお出しします。何号室ですか?」

「えーっとな、605だ! いい返事期待してるぜ!」

「ま、まあ。期待はほどほどに…………」


 舞い上がる男を落ち着かせるように言葉を選び、ぼくはその一連の会話を終わらせた。原案提出の時に遭遇した、本当に……偶然の出会い。彼が約束を守ってくれるのか、伊藤が断ったら怒ったりしないのか。そういった不安は正直あったけれど、それでも僕はほとんど確信に近いような、良い予感を感じていた。


 彼はきっと、今後僕らを助けてくれる。


 山本に似ている、という理由だけでそこまで信頼してしまうのはどうかとも思うが、でも、僕はその自身のチョロさを批判的には受け止めなかった。


 だって、僕らは自覚していないだけで、日常でもそういう傾向にあるから。


「前に読んだ漫画と雰囲気が似てるから面白いだろう」「友達がやってるから大丈夫だろう」……少なくとも僕ら日本人は、自分の世界に既にある何かで、新しい外物を理解しようとする。


 ジェンダー問題とか、ビーガンとか、なんか最近はそういう人間の考え方を問うような問題が多いけれど……それでも僕らが特殊な道に行かないでいるのは、たぶん、僕らの中にそういう概念が無いからだ。


 生まれた時からそういう英才教育を受けていれば、僕はきっとそっち側になる。そういう教育を仮に受けていなくても、「友人が同性愛者だ」「生き物の殺処分を見たことがある」といった情報が自分の中にあれば、僕はそっち側になるのかもしれない。


 要は、考え方っていうのはその人の「経験」そのものであり、考え方のアップデートっていうのは、知識と経験の融合なんだと思う。


「……早く相談しないと」


 僕は小さい声でそう呟くと、足早に自室への帰路を辿った。いつもより早い僕の足音は、まるで、僕の胸中の不安を掻き消すかのように、やたらせわしなく弾んでいた。階段を登り、廊下を歩き、僕たちの部屋へ帰り着く。


 たったそれだけの短い時間の中で、僕は何度も同じ問いを繰り返していた。


 「本当にこれで良かったのか?」と。


  

 僕は今回、僕の中にある山本の情報を元に、この男への対応を決めた。山本に似ているという安心感と、その場での男の行動や雰囲気。あの時僕の目の前に現れた情報と、僕が既に持っている情報。それらが融合した結果、「あの人は助けても大丈夫」という結論に至ったんだ。


 それは、間違いない。



 本当に大丈夫か? ああ、大丈夫だ。

 何か見落としてないか? ああ、大丈夫だ。

 本当に本当に本当に――……


「お、誠おかえりー!」

「あ、お疲れ様! 見て、下書きは終わったところだよ」

「……おお。速いんだな」



 ――本当に、大丈夫か…………?



 僕は自室繋がるドア開け、仲間の元へ帰りついた。山本伊藤が僕を労い、僕はそれに対し穏やかな反応を返す。


 ああ、大丈夫だ。大丈夫だ。たぶん、絶対、きっと、大丈夫だ…………!



「……皆、というか伊藤に対してなんだが……ちょっと、相談したいことがある」




 僕はこの不安からさっさと逃れたくなって、重く、話を切り出した。皆の視線が僕に集まり、部屋の空気を僕が掌握する。


 ――ああ。どうしてだろう。大丈夫、そう思ったはずなのに――……

 

「絵を教えてほしいって人が居るんだが……この依頼、どうするべきだと思う……?」

 


 ――なのに、どうしてこんなに、僕の不安は消えてくれないんだ――……?

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