第36話【僕のついた嘘】
「じゃあ『才能』をテーマにした絵画ってことで……とりあえず1枚描いてみたんだけど、どうかな……?」
10分後。
伊藤が恐る恐る提示してきた原案に、僕らは思わず息を呑んだ。正直、クオリティはもう少し下がると思っていた。だって、たった10分しか経っていないから。伊藤は、欠点を指摘されるような、まだ凡人の領域に居るから。
……でも、それは単なる誤解だった。
悟さんの指摘を受けて「親切さ」と「ジャンキー感」を意識したと思われるその絵は、僕らが初めて見た伊藤の絵よりも……確実に、大きく進化していた。
僕の視界に現れたのは、軽く鉛筆で下書きされた1枚の絵。
滴り落ちる水と、1つの岩。そして、そこに群がる無数の手。石が鎮座する川はとても透き通っているという設定なのか、軽く魚のようなものが描かれている。そして、群がる手には、補足するような形で、「男性」「女性」「老人」などの設定が書き込まれている。
原案に文字を書いて良いものなのか、とは思ったけれど、まあ、本番じゃないから良いのだろう。他にも「岩は荒々しく」「水は背景の緑を反射させる」といった補足情報が書かれている。
…………ああ、多分これ……僕ら用のメモなんだ。
僕はそこまできてようやく意味を理解すると、僕らの批評を待つ伊藤に視線を送った。モジモジとどこか小っ恥ずかしいような顔をしている伊藤は、なんだか普段とは雰囲気が違う。
小動物でも、狂犬でもない微妙な空気感……。
僕はその雰囲気にしっくり来る比喩を見つけ出せずに、少し黙り込んでしまった。すると、
「いやあ、良いなあ! 正直なんも文句無いわ!」
山本が開口一番そう言った。山本の高めの声にhs、純粋な賞賛と陽気な気質が溢れ出ており、ただただ伊藤の絵を気に入った、というような声色だった。
「ああ。……いやあ、こんだけ化けると思わなかったぜ」
悟さんも。
「……なんか意味深な感じがいいな」
そして、伊藤と揉めていた鈴木も。
皆が伊藤の絵を賞賛していた。皆が、これで良いと思っていた。……僕も正直、そう思った。伊藤の絵は、たった1つの悟さんの言葉で、一気に天才のそれへと化けたんだ。本当にすごい。さすが美大志望。
僕は素直にそう思った。それと同時に、
「……本当に凄いんだな。伊藤って」
「え、えへへへへ……」
ああ。なんて都合がいい。天才ってもはやご都合主義だな。
僕は、同時にそうも思っていた。
ああ、いけない。嫉妬はやめるんだった。僕は、何も知らないから。伊藤がどれだけ苦労してきたのかも、どれだけ努力してきたのかも。僕は、何も知らないから。だから、嫉妬なんてしちゃダメだ。
僕は伊藤とは違うから。環境も、出会った人も全部違うから。全てが上手くいった伊藤とそうでなかった僕で……僕が劣るのは仕方がないことだ。
嫉妬しない。高望みもしない。
「じゃあ、僕が原案を出してくるよ。写真とか撮らなくて大丈夫?」
「大丈夫。……っていうか、スマホ取られてるでしょ?」
「……そうだった。じゃあ、行ってくる」
僕はいつでも嘘をつく。なんでもないフリをして、本心を隠す。恐れも、不安も、喜びも、苛立ちも。僕は自分を隠したがる。できるだけ無色の自分で居たがる。
だって、自分を出すのは怖いから。素の自分が批判されるのは耐えられないから。
僕は部屋の扉を開けて、スタッフの待つ部屋に向かった。2階の一番端の空き部屋。そこでスタッフが原案の回収を行っているらしい。
僕は今日、伊藤への嫉妬や仲間意識を隠して、またいつも通り嘘をついた。
何の意思もなく閉まる扉の音が、やけに鮮明に耳に残った。
♤♤♤
「あ、高橋です。ジャンルはデザイン。原案を提出したいです」
「はい。303号室ですね。受け取りました。ありがとうございます」
数分後、僕がたどり着いたその部屋では、続々とこのデスゲーム参加者たちが、原案の提出を行っていた。男、女、学生、社会人……あと、ニート。意外に注意深く観察すると、その人のことはよくわかるもので、僕は順番が来るまでの間、他の班の人を観察していた。
「おう、そこの兄ちゃん。めっちゃ絵上手いんだな」
だからだろうか。
僕は色んな人を眺めている不審者として、1人の男の目に留まった。イカつそうな、それでいてチャラついたその声に、僕は背後を振り返る。僕の視界に映ったのは……浅黒い肌の屈強な男と、その腕に絡みつく美人な女だった。
あ、巨乳だ。
「あ……えっと、この絵は僕が描いたわけじゃないんですけど……」
「えーそうなの〜? じゃあお兄さんパシリー?」
「ま、まあ……自分から来ましたけど……」
「ふーん?」
真っ先に僕の回答に反応したのは、意外にも女の方だった。僕のオドオドした反応に何を思ったのか、ねっとりとした声音で話しかけてくる。浅黒い男の方も無反応だし、僕にはこの状況がうまく咀嚼できず、平たく言えば困ってしまった。
「お兄ちゃん、この絵書いたやつって、どんなやつだ?」
ようやく、男の声がした。
僕が彼女らしき女から男へと視線をあげると、そこにはよくわからない感情で佇む、1人の男が立っていた。金色の短髪に浅黒い肌。全身黒で格好つけた感じのピアスをくっつけたその男は、なんだかとても怪しい香りがした。
なんか、嫌な予感がする。
「え、ど、どんなやつ……? えっと、僕ご覧の通りコミュ障なので……顔も名前もほぼ覚えてないと言いますか……」
だから、僕は嘘をついた。今日で何回目かも分からない、自己防衛のための嘘だ。
本当は、伊藤のことはちゃんと知っている。顔も名前も声も全部、ちゃんと知ってるし説明できる。暗いベージュに銀色の瞳。小柄でオドオドとした犬系男子。名前は伊藤悠希で、年齢は――……。
「ふうん。ま、そうだろうな」
僕がそんな情報を脳内で処理しているとは知らないであろうその男は、ジッと僕を見定めるように数秒見つめ、そして、静かにそう言った。
…………おいちょっと待って。
今、「そうだろうな」って言ったか? なあ。言ったよな? 僕、耳良いんだからな。なんだ、僕が陰キャだって言いたいのか。いやそうだけど、他人から言われると意外にイラッとするんだからな。
いいか。覚えておけ。世の中で陰キャを自称する人間の大体半分は、「陰キャじゃないけど陽キャじゃない」って理由で陰キャを自称してるんだからな。他人から「お前陰キャだよな」って言われたら、図星でもちょっとイラッとするんだからな。
くそ、これだから陽キャリア充は……!
「……まあ、お互い頑張りましょう」
僕が会話を終わらせるようにそう言うも、陽キャリア充には上手いこと届かなかった。
「ああそうだな。……なあ、あんた名前なんて言うんだ?」
「あ、ねえ私も知りたーい。可愛い顔してるよねー」
「な、え、は……?」
普通に、会話が続いてしまった。
名前なんて聞いてどうすんだ、とは思ったけれど、特に隠す理由も無いので答えておく。多分、この場でのこいつらにとって、名前を聞くっていうのは「とりあえず連絡先交換しよー」的なアレなのだ。そこに意味を求めてはいけないし、どうせ、世間話のようなものだろう。
「……水野、誠です」
「オッケー水野くんね。私は佐藤
「俺は田中
「次の方、どうぞー」
「あ、はい!」
僕はその陽キャエネルギーに押されつつ、なんとか自己紹介を終えた。それと同時にスタッフに声をかけらっれ、慌てて原案の提出を行う。
特に大きな手続きがあったわけでも、大きな会話があった訳でもない。しかし、僕にとってこの原案提出の時間は、非常に重要な意味を持つことになる。
僕がこの時何もしなければ……伊藤は、死なずに済んだかもしれなかったんだ。
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