第35話【貴方への誓い】

 天才を目指すという目的で集められた僕らは、たった3日間の内に、全く別人に変わり果てたのかもしれない。この実験に参加する前の僕らと、デスゲームをクリアした後の僕ら。誰かに天才にしてもらおうとした僕らと、自分で天才になるしかない僕ら。


 人は環境に左右されると言うけれど、実際、そうなのかもしれない。


 僕らは「そうせざるを得ない状況」に追い込まれて始めて、自身の能力を覚醒させる。逆に、頑張る必要が無い、どうでもいいことに関しては、僕らの能力は花開かない。


 ……結局、色々な人が名言として扱う「やればできる」や「朱に交われば赤くなる」といった言葉は、僕らの本質を突いているんだろうな。ただ、僕らがその格言の素晴らしさ……いかに本質を突いているかに、一切気づけていないだけだ。


 僕らは結局、数多の天才によって現存する遺物を、ほとんど活用せずに生きているのだろう。


 ……ああ、僕らは、愚かだ。


 僕はそんな新しい解釈を自身に取り入れると、頭を下げた姿勢で静止した伊藤に、無機質な言葉を投げかけた。それは、僕が思っているよりも冷たく、でも、内側に燃えるような熱を持って響いた。


「…………時間が無い。さっさと、描こう。ジャンルも決まってないだろ」


 最低限のところまで、抑揚が削がれた僕の声。


 音だけ聞けば怒っているようで、まるで不機嫌な僕の声は、伊藤には違った雰囲気として耳に届いていた。


「誠くん……!!」

「わっ、ちょ、何その笑顔」

「だ、だって……!」


 ――ああ。いけないな。


 僕は、クールで冷淡を装う自身の表情が、素直になりきれない優しさで染まっているのを自覚した。僕個人としては、あくまで死にたくないからそう言った、という体裁を保っているはずだったんだけど、伊藤の顔がみるみる内に晴れ上がっていく。


 まるで、飼い主のお出迎えをする犬みたいな表情で、もちろん幻ではあるけれど、シッポをブンブン振っているようにも見える。


 ……ああ。だって、しょうがないだろ。


 僕はどこか言い訳をするような口調で、心の中に言葉を置き並べて行く。


 ……だって。しょうがないだろ。


「ほら、もう原案提出まであと1時間半しかない」



 伊藤は……伊藤悠希という人間は……。僕のあったかもしれない可能性の集合体なんだから。


 両親に無垢な翼をおられず、人に恵まれ、才能に恵まれ、環境に恵まれ――……。そうやって今を走り続ける、僕のあったかもしれないifストーリー。


 だって、僕は共感してしまった。恥をかきたくない、失敗したくない……ダメな自分を認めたくない。そんな臆病で傲慢な自分の自我と、闘っている伊藤の姿に。


 共感なんて、あくまで僕の想像力でしかない。実際は、全く想像と違うかもしれない。勝手に想像されるのは嫌だとか、お前に何がわかんだよとか、そういう……嫌な意見もあるかもしれない。


 ……でも。


「せやな! じゃあ、パパッとジャンル決めてこうや!」

「ああ。大事なのはデザインだからな!」

「皆……!」



 今回は、そんな僕の共感エゴが、良い意味で働いたのかもしれない。


 僕は、そんな思いを胸に、皆が集まる机に向かった。



♤♤♤



「やっぱジャンルは絵画がええと思うねん俺は!」

「絵画ぁ? なんで?」

「いや、だって伊藤の専門は絵画やん!」


 僕らの命運を分ける話し合いは、山本を主導に進められた。


 ジャンル決め。テーマ決め。原案作成。修正。提出。1時間半遅れをとっている僕らがやるべきことは、単純だけど非常に時間がかかる。


 美術の素人14人と、美大志望の高校生1人。1時間半で原案を仕上げて提出……。まあ、あくまで下書きのようなものだから、万が一間に合わないようだったら手を抜けば大丈夫だけど、伊藤の芸術家としての感性は、それをあまり良く思っていないようだった。


「ジャンルは多数決でええな!? はいじゃあいっせーので指さし行くぞ!」

「「「おう!」」」

「いっせーのーで!!」


 僕らは謎の団結力を駆使し、トントン拍子に話を進めていく。山本の掛け声で多数決を行った結果、選ばれたのは絵画。伊藤の得意分野でもある絵画を選ぶのは、まあ、ごく自然な結末と言えるだろう。


 ジャンルは決まった。次はテーマだ。作品の主題となる、重要な項目。友情だとか愛だとか、そんな抽象的なものがよく選ばれる……要は、作品作りの根っこの部分。


 これは、素人に出させて良いものなのか、とも思ったけれど、僕らの答えを待つより先に、伊藤が言葉を口にした。


「次にテーマなんだけど……。『才能』で描かせてほしいんだ」

「才能……?」

「これまたタイムリーだな……」


 伊藤のその真剣な声色は、どこか、信念を感じさせるような凛とした覇気を保っていた。まるで、伊藤にしか見えない確かなビジョンが、そこには存在しているようで……。


「このテーマなら、絶対に、勝てる。だから、テーマだけは譲ってほしいんだ」

「「「……」」」


 それは、凡人でありながら天才を目指す……僕らを最初に魅了した時の伊藤とは違う、また新しい魅力の在り方だった。


 静かな湖畔に波紋が広がるように、あるいは、木々のざわめきが伝播していくように……。僕らの中の伊藤という存在も、そして天才というものへの解釈も……きっと、日々移り変っていくのだろう。


 ……いや、伊藤だけじゃない。僕らも、この世にあるほとんど全ての物が、人の主観や価値観によって、日々変容を続けていく。どうせ、僕らは自分という存在からは逃げられない。まあ、逃げられないという問題以前に、そもそも逃げようとすら思わない。


「……ええんちゃう? このデスゲームにピッタリやしな」

「だな! テーマ選びは、伊藤がやりやすいのにするのが1番だ!」

「皆さん……ありがとうございます!」


 僕はその山本たちのやり取りを遠目で見つめながら、どこか、自分らしくない感覚に身を委ねていた。ふわふわと、自他の境界が曖昧になるような……。それでいて、どこかこの世界の1つになったような……そんな、不思議な感覚だ。


 

 ――誠。あなたは普通の幸せを手に入れるのよ。

 ――才能なんて求めなくていい。今そこにあるものが1番貴重な財産であると、いつか、気づく時が来る。



 ……ああ。父さん、母さん。僕は……普通の幸せを手に入れられるんでしょうか。今そこにある命を、大切な仲間を……僕は、守り抜くことができるんでしょうか。


 例えば、僕が才能なんていう大層なものを望んだことで、誰かが死んでしまったとしたら……。2人は、僕になんて言うのでしょうか。



「誠くん? ぼーっとしてるけど、大丈夫……?」

「っぁ、うん。ああ、大丈夫」

「そ、そう……?」


 

 僕は一人で家族に思いを馳せて、伊藤の声で現実に引き戻された。心配したような視線をこちらに向ける伊藤は、まるで幼子が親の様子を気遣うような、そんな純粋な表情をしていた。


 ……ああ。こいつは、本当に心が綺麗なんだな。



 僕はそう思うと同時に、心の中でこう誓った。


 ――伊藤が、のびのびと生きられるように。可能性の芽を潰されないように……。僕が、できるだけ寄り添っていこう。


 それは、自己中で醜い僕の中に生まれた、明確な成長の証だった。





 ……そして数日後、伊藤は自ら命を絶った。

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