第29話【十字架の才能】

 駆ける。駆ける。館内を駆ける。春のふわりとした冷たさが肌を凪ぐ。景色が真後ろへ流れていくような、僕が光のような速度で動いているような、そんな錯覚に支配される。トイレ、更衣室、共用スペース、小体育館。心当たりがある場所、山本が居そうな場所、行ったことある場所……全部回った。


 どこまでも清潔で、生気を感じさせないこの館内は、まるで無限に続く地下迷宮のようで、僕はさながらそこに迷い込んだ冒険者のように、縦横無尽に走り回っていた。


 館内に人は居ない。時計も無い。フロアマップも、無い。何もかもが除去されたようなこの建物内で、唯一目印になるのは階段と消化器の位置関係だった。


 よく観察してみると、階段には階数を示す数字が振ってあり、消化器はいつも建物の端っこに置かれていた。でも、例えば小体育館や風呂など別の施設がある場合は、消化器はフロアの真ん中に設置してある。僕は消化器が真ん中にある時だけ廊下を見渡し、住居以外の部屋を覗く。


 そうしていけば、きっとどこかで……山本に出会えると思ったから。


 僕はひたすらに廊下を駆け抜け、部屋を覗き、息を切らしながら山本を探した。


 居ない。居ない。居ない、居ないっ……!


「山本っ!! …………、ここも、ハズレか……」


 僕は焦りを落ち着けるように呼吸を整え、あえて声を出しながら山本を探した。1人静かな館内に僕の足音だけが響く……その状況が、とても恐ろしかったから。


 まるで、僕があの女の子を助けに行った時みたいな……そんな、嫌な錯覚をしてしまうから。


「……あの、女の子…………?」



 僕は、自分の何気ない一言で、とある仮説を思いついた。仮説と言うには本当に浅い、ほとんど勘に近いものを。


「あの女の子が亡くなった場所……それは、それはどこなんだ…………?」


 僕はポツリとそう呟いて、そして辺りを見回した。


 端っこにある赤い消火器。無数に続く住居用の部屋。上下に続く白い階段。そこには「5」の数字がある。5階の住居用の部屋。たぶん、この部屋は全部誰かが使っていて……人はいない。例外を除いて。



 ――自殺者の3割は、性被害にあった方です。あ、あとそういった犯罪が起きた部屋の方は移動していただいてます。


「そういった犯罪が……起こった場所…………」



 ――首吊り自殺やった。俺が見つけた時にはもう、死んでいて、スタッフが処理をしていた。



「人が死んだ部屋は……使えない…………?」



 もし、もしも僕の予想が当たっているのなら。山本の居場所は、そこしか無い。もしも僕が山本の立場だったら、行きたい場所は、そこしか無い。行ける場所はどこにでもあるけど、ケジメをつけるなら、もうそこしか。


 手紙を通じて山本が伝えたかったケジメ。知りたくなかった、悲しい、現実。それらが始まり終わる場所は、もうそこにしか無いだろう。僕らを救うのも、僕らを殺すのも……結局、そこでしか無いのだから。


「っ……!」


 僕は弾かれたように走り出すと、各階の空き部屋を探し始めた。この階は少なくとも7階までは見た。空き部屋は、確か4箇所しかない。空き部屋の張り紙がしてあって、立入禁止って書いてあった気がする。


 立ち入り禁止のところに山本が行くとは思えないけれど、でも、それは普通の時だけだ。例えば――……


「山本っ……!!」

「っ…………まこ、と…………?」

「ここに、居たのか…………」


 例えば、それが死者の弔いだとしたら、これは例外になりえるだろう……?


 僕は言った。想いを込めて。息を切らした声で、苦しかったけど、でもできるだけ……真っ直ぐに。


「っ……お前が、考え、そうなことは……! 全部、お見通しだし、わかってんだよ……! はぁ、っぁ…………」


 息が苦しい。身体が熱い。全身が燃えそうだ。身体も、心も熱い。


「あと! お前が罪を背負うなら!! も、必然的に、犯罪者になる! ならざるを……えない! だから……!!」


 ――ああ。目頭が熱い。全身が熱いと思っていたけど、これは感情が高ぶっているのか。頬に温い液体が流れる。冷えた空気に反応して、まるで僕らの想いのように、それは熱く滾る。


 僕は叫んだ。声が、喉が、壊れるほど叫んだ。


 なあ山本、俺たちはもう離れられない関係なんだぜ。……そう、言い聞かせるように。

 

「っ……だから! 僕にも一緒に背負わせろ!! 勝手に……勝手にいい子ぶって犠牲になって……、1人で抱えてるんじゃねえ!!」


 山本の目から、光が落ちた。それは、涙と呼ばれる感情の形。どこまでも純粋で……そして、儚い、人間の愛や痛みの形。


 僕らは結局、どこまでも理解し合うことはできない。誰からも、結局は理解されない。すれ違いなんて避けられないし、僕らは孤独な生命体だ。業や痛みや憎しみに……僕らは身を焼かれ、焼き合い、生きている。これは、そんな人生デスゲームの中にある、ほんの僅かな希望の形。


「っ……まこ…………とぉ…………!! う、ああああああああああ!!!!」


 山本の両手から、花が落ちた。束ねられた、数本の、花が。グシャグシャになった顔から落とされた花まで、それは……まるで僕らの見た地獄せかいを象徴するように、ただ、そこに在り続けた。


 落とした花は、菊の、花束。誰かが用意したような、格調高い、菊の花束。その花束に添えられたメッセージカードには、こんな言葉が添えられていた。



『菊の花言葉:誠実な心

 この花束を贈る貴方の心が、どうか勇気づけられますように。そして、贈られた誰かの心に穏やかな灯りが灯りますように』



 この世界に、僕らの希望は無い。僕らには一切の才能が無い。それは、このデスゲームが始まった時に定められた……いわば、運命のようなものなのかもしれない。僕らに抗う術はない、天才が定めた魔法のような。


「なあ……誠、一緒に、供えてくれんか」

「……だから、そう言っただろ…………」


 僕らには何の才能も無い。あるのは、人間らしい感情の動きと、たまに現れる……光と、影。


 僕らの才能を定めるのはいつだって、自分じゃなくて周りだった。社会的評価が無いことには、天才は天才で居られないから。


 ……でも、本当にそうなんだろうか?


 僕は「知らない自分」として考える。


 もし僕に眠る才能が……社会から評価されないものだとしたら。例えば……隣で花を捧げる山本こいつを、誰かを少しだけ救う……そんな、地味なものだとしたら。


 僕はそれを才能と呼ばず、無意識に使い続けるんだろうか?


「……なあ、山本…………」

「ん?」


 僕の才能が、もしも……例えば…………


「僕が持ってる才能が、形にできない系のものだとしたら……。僕は、皆のことを守れないのかな」


 僕はポツリと声を零す。幼い、僕らしくないたどたどしい声。


 山本は言った。僕の目を見て。笑いかけて、ただ純粋に。

 

「守れるか、守れないか……それは、今までもこれからも俺たち次第やで」

『――おはようございます。共有スペースの照明を点灯します』



 僕らが囚われた呪いのような部屋に、僅かな照明が射し込んだ。明るくて、弱くて、でも縋りたくなる。僕らの弱い、希望のような光が。


 山本は僕に背を向けると、その光の方へ歩き出した。


「ほな行こうや、誠。今日は忙しいんや。だって……」


 山本はまだ影の抜けきらない表情で僕に笑いかける。


「俺らの部屋15人の……大切な命が懸かってるんやぞ」



 ……ああ。そうだった。僕らはまだ、終わりじゃない。


 僕は山本の背を追いかけ、そして、努めて明るく言った。


「大丈夫だ。僕と山本で……絶対、誰も死なせない。……そうだろ?」

「ああ……せやな!」



 人工的な廊下の照明が、この時だけ春の日差しのように、暖かく、そして懐かしかった。

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