第27話【天使の居る世界】

 僕らは基本いつだって、善良で健全な一般市民であろうとする。ある程度この世界のルールと折り合いをつけては、社会の歯車として大人しく生きていく。時には社会のルールに疑問を感じて、変えようとしたり、意義を唱えたり…………そうやって、僕らは社会で生きていく。


 守りたいと思わなかったルールは、たまに破ってしまうかもしれない。信号無視とか、ポイ捨てとか……そういう、誰も気にも留めないようなことは、特に。


 でも、僕らは結局はモブで、社会というルールの枠からはみ出る……そんな勇気は、持ち合わせていない。この世界では臆病であるというのが結局安全で、それこそが処世術として1番楽なことを知っているから。


 だから僕らは、ルールに抗わず、何も考えず、ただ不満を並べながら……ただそこにある型紙に自分を写す。世界が変わるのが天才のおかげだと言うのなら、じゃあ、世界を維持するのは凡人の力だろう。


 僕らはあくまで善良な市民。臆病で、従順な一般人だ。



「…………僕が、人を……殺した…………?」



 ――そう。だから僕は、この瞬間凡人ですらない存在になった。凡人以下の、愚かな人間。


 …………そう。犯罪者に。



♤♤♤



 山本が泣き崩れた後の僕らは、あえて明るく一日を過ごした。夕食、入浴、自由時間。あの明るい山本が泣き出したという事実は僕らにとって大きかったようで、誰からともなく、明るく振る舞うようになっていったんだ。


「暇だなー。また絵描くかー!」


 誰かが企画を持ち出せば、

 

「だなー! あ、じゃあ俺の好きなアニメキャラ描いてよ!」

「特徴は?」


 誰かが話を発展させて、

 

「『肩で切り揃えた艶やかな黒髪は綺麗に月のようなカーブを描く。その毛先からふわりと香るシャンプーの匂いは……』」

「「「要約しろ!!」」」


 ボケて、その場を和ませる。


 僕らは意図的に面白い空間を演出していたけれど、なぜか、とても自然に会話を成立させられていた。皆がお互いの意図を探り、考え、最適解を導く。その一連のプロセスは言語化するととても難しく思えるけれど、でも、僕らにはそれが出来ていたし、意外に簡単なものなんだと思う。


「あ! 俺そのキャラ知ってるでー! 確か今度アニメ化するやつやんなー?

「うお山本ぉ!! よくぞご存知で!」

「ハッハッハー。アニオタ舐めんなやー!」


 僕らのその自然なやり取りに、山本は段々と笑顔を取り戻していった。最初は硬く、ぎこちない愛想笑いだったけれど、それが今ではこんなに明るい。愛嬌のあるその顔立ちに、ようやく感情が追いついたとも言えると思う。とりあえず、山本 隆という人間の精神が、比較的安定し始めたのは言うまでもない。


「はー! 笑ったら眠くなってもうたわー!」

「それなー。もうお開きにして寝ちゃおうぜー」

「だなー」


 僕らは山本にそれとなく気を遣いながら1日を終え、そして眠りについたんだ。……ああ、良い1日だった。楽しかったし、皆と仲良くなれたし、何より――……


「……誰も死なずに済んで、良かったな……」


 そして僕は、微睡んでいく意識に身を委ね、ふわふわと緩い心地良さに溺れる。目を閉じ、意識を手放せば……僕は眠りに落ちていく。


 眠る。眠る。安心して。

 僕は、眠った。ただ深く。


 

 ………………。


 …………。



 ………………――。



「…………朝、か……」



 僕が翌日、目を覚ました時…………山本は、居なくなっていた。


 周りの皆はまだ寝ているようで、時計を確認すると、早朝の5時だった。そら皆も寝てるわ、なんて思い視線を左右に動かすと、僕はそこでようやく気がつくんだ。


 ……山本が、居ない。


 僕は眠気で上手く働かない頭でそれに気がつくと、「まあトイレにでも行ったんだろう」なんて呑気な結論を思い浮かべた。別に、たまたま居ないからといって不安になるようなことは無い。流石に、子供じゃないんだから。


 僕は山本に何が起こっているかなんて考えようともせず、再び布団に潜ろうとしたんだ。僕がこんな時間に起きるなんてほとんど無いし、普通に……まだ、眠いから。


 僕は別に何の考えも無く視線を左右に動かすと、そこで、またまた気がついた。



 ……机の上に、何か、紙が置いてある。


 僕はそれに気がついた途端、冷水を浴びせられたような気持ちになった。サァァ、と血の気が引いていく。部屋の気温じゃない嫌な寒さが身体を巡り、僕の心臓は大きく跳ねた。



 ……あれは、何の紙だ……? 昨日は、あんなもの無かったぞ…………?


 僕は恐る恐る布団から這い出ると、その茶色い机の上に置かれた紙を手に取った。


 ……白い。ただの、封筒だ。いや、封筒というか、雑がみで作ったケースのような…………すごい、雑な作りの紙だ。


 僕はその丁寧さの感じられない封筒を手に取ると、ひっくり返して宛名を確認する。

 


 ――誠へ。


 

 癖が強い丸文字で書かれたその宛名は、紛れもなく親友が僕に宛てたものだ。


「っ…………おい、嘘……だよな…………?」


 僕は今まで誰にも聞かせてこなかったような震える声でそう言うと、セロハンテープで貼られた封を切り、中身を、取り出した。


 …………手が、動かない。


 僕の右手は、紙を取り出し……そして、そこで止まってしまった。震えは無い。力は入ってる。でも、僕の手も腕も……まるで、凍りついたように動かなくなってしまったんだ。


 ……わかってる。理由は、わかってる。


 僕は握力を強める左手で封筒にシワを作ると、今にも涙が零れてしまいそうな瞳に、手元を投影した。



 ……こんなの、誰だって泣くだろう。


 だって、親友が、死んだんだぞ。昨日、山本は僕に嘘をつき、その理由を話そうとして、泣き崩れた。僕らが楽しそうな雰囲気を出して気持ちは安定させたけど、でも、それは上手くいかなかったんだ。だから、山本は夜な夜な部屋を抜け出して…………それで、今は、どこかで――……。


「っ……嫌、だぁ…………」


 なんて、僕は醜いんだろう。自己嫌悪が、止まらない。山本が死んだのは僕のせいなのに、なぜ口をついて出るのは、個人的な感情なんだ?


 なぜ、謝罪を口にしない? どうして、君を探しに行かない? 僕は、どうして……なんで、なぜ…………



 ――この手紙を、読もうとしない?



「っ……」


 また、意識が苦しくなる。息が、軽く、浅く乱れる。動悸が止まらない。身体が動かない。冷たい。寒い。というか、怖い。


 ギュッと目を瞑り、毛布握り締める。全身が強ばり、恐怖を訴える。僕の臆病な自我は健在で、もう何度目か、僕の心の蹂躙を始める。


 ああ。そうだ。わかっているさ。僕みたいなただの凡人が、たった2日で、変われるはずない。漫画みたいな覚醒は無い。圧倒的な能力も無い。変わるんじゃなくて狂っただけだ。僕は、いや僕らはそういうもんだ。


 作るより壊す方が得意で、登るより堕ちる方が得意だ。


 努力なんて、できっこない。ただ漫然と日々を過ごす人間。社会という檻に飼い慣らされた……無個性の「凡人」なのだから。


 そうだ、もうやめてしまおう。辛いことからは逃げてしまおう。僕のどこまでも醜く愚かな自我が、また甘い誘惑で僕を惑わす。


 友情クイズで自殺を図った時。伊藤に嫉妬し、虐めた時。山本に一方的な怒りをぶつけ……そして、泣かせて殺した時。


 僕は、いつでも重要なイベントで……この扱いやすい悪魔を用いる。自己防衛という名目をつけた、人を何度でも殺す悪魔を。怒り、嫉妬、羨望、渇望。全てをないまぜにしたこの悪魔に、名前をつけるならそれは何だろう。


 …………わからない、けど。僕は、今までその悪魔に飼い慣らされてきた。社会の歯車として下位の存在。サビかけで、でもメンテナンスもされず回り続ける1つの部品。それが、僕だ。


 ああ、人ってそんなもんだ。凡人なんて、そんなもんだ。でも、僕は凡人から……もう脱却すると決めたんだ。


 僕は荒ぶる呼吸を上書きするようにそう思うと、ふぅっ、と強く息を吐いた。


 もう怖くない、なんてカッコイイセリフは言えない。全てを受け止める、なんて覚悟はできない。正直怖い。それに、逃げたい。



「……でも、まだ、僕は『わからない』んだ」



 僕は、まだ、何も知らない。山本は、もしかしたら死んでいないかもしれない。ただの置き手紙かもしれないし、山本のドッキリかもしれない。


 僕は「知らない自分」を定義する。知らない自分は……僕の中の、天使だ。


 悪魔として僕を動かす悪感情。それを鎮める唯一の存在。僕にとって、それはたぶん、「自分は何も知らない」というメタ認知。


 伊藤の努力も、山本の居場所も、そして、自分の感情さえも……僕はまだ、知らないんだ。



「よし…………読むぞっ…………!」

  

 

 僕は読んだ。その手紙を。


 この瞬間の僕という存在は、誰にも負けない輝きを放っていた。そして、酷く心を痛めて、僕は、また涙を零した。


「っ…………ごめん、ごめんな……山本……」


 それが、僕が人殺しになって発した、1番最初の言葉だった。

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