第20話【嫉妬を超える】

 僕の一言が空気を変えた。世界が変わった……そんな気がした。悲しいほどに僅かなそれは、僕の内側を確かに満たした。


 誰かの役に立ちたかった。


 痛切で情けない僕の心が、この結果に満足気に微笑んで、僕はそれを他人事のように……どこか夢のように感じていた。


「……話を、聞いてくれないか」


 僕の声が宙に浮かぶ。独立した色彩が音色に灯る。静かな空間に浮かんだそれは、僕の世界の全てを握る。集まる視線。重なる呼吸。整っていく空気と心に、溺れる。怒りを無に帰し、興味を引きつける。それは最大限の天才の模倣。


 僕は紛れもなくこの瞬間だけ……ギフトのような魅力を携えていた。


 それは、人がゾーンと呼ぶような超覚醒なのか、それとも僕の才能なのか。僕にはいまいちよくわからない。ただ目の前に浮かぶあらゆる事象に、今は素直に対応したいと思って。僕は天才なんかではないけれど、今だけは天才のフリをさせてって……。


 …………そう、願っただけ。


「誠にはなんか考えがあるっぽいんやけど、とりあえず聞いてくれへんか?」


 山本がフォローを入れてくれる。その声はこの空間に絶妙に合わない。……いや、合わないのは僕の方か。うん。そうだ、きっとそうだ。


 僕は山本の優しくて暖かい声に、ささやかな安堵を覚えて言葉を紡いだ。


「僕が考えられる程度のことだけど……でも、勝率はとても高いはずなんだ」


 僕の声が部屋に溶ける。辺り一帯が僕色に染まる。天才が見ている景色の片鱗を、僕はこの瞬間だけ感じ取れた気がした。


 

♤♤♤



「で、なんか作戦があるのか? 誠」


 悟さんの力強い声で、僕らの会議は始まった。


 会議、と言うにはいささか専制的だけど、皆が不快感を持っている様子は無い。皆が僕を見つめてくるけれど、僕はあえて目は合わせなかった。


 別に怖いとか気まずいとかじゃない。


 単純に、今の考えをどう言葉にするのか……それを考えるので頭がいっぱいいっぱいだったんだ。


 

「ん……と、上手くは言えないんだけど」


 

 だから、ぼくはさっきまでの自信に満ち溢れた態度から一転、ちょっとオドオドした態度でか細く声を出した。下手すれば伊藤よりも頼りなさげで早死しそうだって思われるような……僕はそんな雰囲気で言葉を発する。


 ああ。皆の顔が曇るのを感じる。……いや、本当は見えていないんだけど。なんとなくわかる。偏見、だろうか。


 僕はそんな何にもならない考察や推測を唯一の武器に、想いを言葉にしていった。


「皆は、伊藤のことをすごく責めるけど……僕は、それだとあまり良くないんじゃないかなって、思うんだ」


 つっかえそうになる僕の言葉は、もうさっきのようなカリスマ性を持った声音ではなくなっている。ふわふわと形式的なフレーズに、感情のこもらない単語の羅列。僕にはちゃんと伝えたい何かがあるはずなのに、まるで異国語のリスニング問題をやらされている時のように、僕の言葉は空中を彷徨う。


 僕は空気がまた淀み始めるのを感じた。今度は伊藤に対するヘイトじゃない。伊藤だけじゃなく、僕に対しても……淀む空気の矛先が向く。


「いや、でも伊藤が悪いのは事実だろ? なあ?」

「話があるって言ったのに……結局綺麗事並べる気かよ?」


 ――ああ。マズイ。


 僕は焦る内心を皆に悟られないようにと気を使いながら、新しい言葉を紡いでみせる。もう、そういうゲームみたいだな、なんて、どこかお気楽なことを考えてしまう。


 実際は、僕はきっと大ピンチだろうに。なんだか実感が追いつかない。

 

「……いや、正直言うと、僕も伊藤にムカついてる。ムカついてるなんて、そんな言葉じゃ纏められないくらい。ムカついてるし……たぶん、嫉妬もしてる」

「誠、くん……」

「でも」


 僕は淡々と感情の上下が無い言葉で、醜い本音を口にした。僕は頭の8割くらいの容量を使って、さっき光景を思い浮かべていた。


 天才と呼ばれ、期待される伊藤。期待され、答えようとする伊藤。いかにも「才能」っていうものが必要とされるような分野で、あの時、確かに僕らを魅了した伊藤。僕には到底真似出来ない……才能の境地。天才の入口。そこに行きたいと願って、進んでゆく伊藤。


 ああ。羨ましい。もう何度思っただろう。僕は一体今までに何回、人生で何回、人を羨んだだろう。


 

 ……僕には辿り着けないと、何度そう思っただろう。


 

 僕は、伊藤が羨ましいんだ。さっき、伊藤を追い出したのは、別に伊藤の為ではなかった。さっき嫉妬をぶつけたのは、単純な僕の劣等感だよ。ああ、そうだ。わかっている。


 ……だから。


 

「……伊藤は、天才になれると思う。それは僕ら全員が、そう思っているはずだ」

 


 僕は言った。全てのプライドをかなぐり捨てて、僕らのモブという共通点を、伊藤と僕らを繋ぐものを、明確に……壊しに行った。


 僕は続ける。


「天才の伊藤が居る部屋が負ける……そんなの、奇跡が起きない限り有り得ないだろ。少なくとも僕はそう思うし、きっと、皆もそうだと思う」

「「「…………」」」


 僕は皆の沈黙という空気を、肯定として受け取った。


 山本が、僕を見つめているのがわかる。悟さんが、僕を冷静に見ているのも、わかる。他の同居人が、伊藤を除く皆が、「こいつは何を言ってるんだ」みたいなそんな気持ちで見ているのがわかる。


 何故か、今だけはそれがわかった。


 部屋の空気がなんだか温い。先程よりも穏やかで柔らかい。僕の視線は伊藤を向いた。勝手に、なんとなくそっちを向いていた。


 ああ、そうか。僕は結論を言おうとしてるんだ。


 自分のことすら理解できなくて、その行動でようやく自分を知る。伊藤と目が合う。泣いていた。銀色の瞳から零れる雫が、寒空に輝く一番星みたいで、ちょっとだけ、僕は我に返る。


 

 ……ちょっと、調子に乗りすぎたかな。それっぽい言葉ばっかり並べて、結論だってまだ、言えていない。喋るのも、考えながら、どんどんゆっくりになって……皆、僕が最初何を言ったかなんてきっと覚えていないんだろうな。


 僕は伊藤に向けた視線に少しの優しさを込めて、自身の青空のような瞳にそれを表現した。しようとした。


「っ……!」

 

 僕の瞳にその優しさが現れたかはわからないけれど、でも、伊藤はどこか安堵したような……そんな笑みを零したんだ。


 僕が今どんな顔をしているかはわからないけれど、伊藤以外の皆も何となく、優しげな表情になった気がする。ああ、それなら、良かったよ。


 僕は言った。ようやく纏まった結論を。僕の中の幼い正義を、自身の双眸に表しながら。


「もし伊藤が天才だとするならば……その天才の元で努力をしたら、簡単に能力が上がると思うんだ。……それで負けるようなレベルなら、このデスゲームに『モブ』なんて……最初から存在しないことになるだろ?」


 一息だった。ちょっと早口になってしまったけど、割と理想的な言葉が紡げたと思う。僕らが伊藤を天才だと認め、そして結束を高める方法。やる気を出す方法。それは……


「要は、楽に努力できるってことやんな?」

「ああ」


 

 それは、努力。


 

 残念ながら僕らは基本、答えの無いものや曖昧な結果を嫌う。見込みの無いものやバカバカしいことに、時間なんて割きたくない。コスパ重視の数字ジャンキーだ。1000円のTシャツを1割引と言われたら、隣に150円引きがあっても買ってしまう。そんな努力嫌いの生き物たちだ。……まあ極端な例だけど。


「楽に努力できる……?」

「それはもう、努力じゃないんじゃ……」

「いやでも天才の先生が居れば、すぐに効果が出そうっていうのはわかる……」


 

 僕らはチョロい。単純で、可愛い。僕はそれを知っている。僕らは皆がモブである分、ある意味で言うと外れ値が居ない。……正確には居るかもしれないけど、本当に割合としては少ないだろう。


 

 僕らは数字が大好きだし、効果のある方法や専門家の意見は、喜んで聞くし実践する。だからテレビがあって、コメンテーターが居て、専門チャンネルがネットにあるんだ。


 

 ……なあ、そうだろう?


 

「努力なんてめんどくさいけどさ、そこは、コイツがどうにかしてくれる」


 僕は言った。山本に向けて。そして、この部屋の皆に向けて。僕が視線を横にスライドすると、そこには純度100%、というような、綺麗な瞳をした親友が座っている。


 山本は僕の視線に気づくと、ニヤリと1度だけ強気に笑った。


「一体俺はいつ活躍すればええねんとは思ったけど……誠、お前策士やなあ」


 山本は勢いよく立ち上がる。その顔にあるのは、まるで向日葵のような……何よりも、誰よりも眩しい笑み。


 山本は言った。


「よっしゃ! ほなお前らを美術中毒にする、抱腹絶倒のゲームを作ったるでー!!」


 山本のよく通る声が、僕らの部屋に反響する。

 

 抱腹絶倒でなくてもいいけど、そう言って皆をやる気にさせようとする山本は、この場の誰よりも頼もしかった。

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