第19話【成長するモブ】

 ――僕は、自分が弱いということを、知っている。


「……僕に、力を貸してくれ山本。僕一人じゃ、もう、無理だから」



 僕は、自分が無力だということを、知っている。



 僕はどこにでも居るその他大勢で、何の才能も度胸も持ち合わせていない。知識だって、普通に生きていたら知っているような知識しか持っていないし、偏差値53の学校で培えるレベルものだ。


 才能だって、無論、無い。


 幼い頃は賢いねとか、すごいねって褒められていたような気もするけど、それは単純に僕が一般人に追いつけていたからっていうだけの話。僕がまだ幼いから、些細なことで褒められたっていうだけの話。


 ……僕は天才じゃないし、ただの無知な一般人だ。


 ……もしかしたら、何も努力をせずに褒められる人のことを、人は天才と呼ぶのかもしれない。あるいは、結果を出した人のことを、人は天才と呼ぶのかもしれない。



 僕には天才の定義がわからない。



 ……ああ、そういえば、「無知の知」って言葉があったよな。


 「私は『自分が何も知らない』ということを知っている分、『知っている』と思っている知識人より、その点においては賢い」……みたいなやつ。


 ソクラテスだかアリストテレスだか、まあ、天才のセリフだ。



 ……じゃあ、僕もその1点においては、他より優れているのだろうか。

 

 ……じゃあ、僕はそれを才能と堂々と呼べるだろうか。無知の知が一体どこで役立つのか、それすらも僕は知らないのに。

 


「僕は……お前みたいなコミュ力も、賢さも、何も無い。こういう時どうすれば良いのかもわからない。今まで、それを知ろうとすら、思わなかった…………」


 僕は脳内に溢れ出す悲しいほど痛い自己分析を元に、突っかかったようなカタコトの言葉を紡ぐ。


「また、自分が傷つくだけで、何も守れないかもしれない。また、余計なことだけして……お前にも、迷惑をかけるかもしれない。……でも」


 山本の腕を掴む僕の両手は、氷よりも冷えきって、震えていた。山本の白いワイシャツにぐしゃぐしゃのシワを作り、僕は、力強く腕を握っている。

 視線は、怖くて向けられなかった。ただ、山本の高い体温が、僕の冷えきった両手と、反発する。


 ……熱い。いや、通り越して、痛い。


 真冬に入ったお風呂のようなその反発は、山本と僕……彼我の距離の差を、明確に示しているようだった。


 ああ。僕らはようやく親友として認めあったのに、こんなにも君は……遠いのか。ずっと、誰よりも近くに居たのに、君は、僕とは全く違う。



 山本はきっと……天才になれる。



 僕はなんだか自信が無くなってしまい、身体の震えが止まらなくなった。あまりにも自分が弱りすぎていることに驚くけれど、それ以上に、今の自分を変えたいと思って、僕は焦って言葉を紡いだ。


「べ、別に無理にとは言わない。これは、僕のわがままだから。前も結局失敗したし……無理だっていう意見はとてもよくわかる。……でも、僕は利口じゃないから……」


 ようやく勇気を持って、勢いよく顔を上げる。前髪が顔にかかり、僕の視界に灰色の部分ができる。それ越しに見つめる山本の顔は、ハッキリしないが、笑ってる気がした。


「僕の唯一の長所は、たぶん……正義感が人並みにはあるところだと思うんだ。だから、僕はこの正義感を、こんなところで腐らせたくない。……頼む。山本となら、できると思うんだ! 僕に力を貸してくれ……!」


 サラリと、僕の前髪が斜めに滑り落ちる。視界に、ようやく光が届く。山本の黒く煌めく瞳が、真っ直ぐに僕を見つめていた。しゃがみ込んだ姿勢でLED照明に照らされる山本は、逆光だったけど、でも確かに……笑っていた。


「……おう。一緒に頑張ろうなっ!」


 山本は、くしゃっと明るい笑顔を見せると、僕にその手を差し出した。その手は僕より若干小さいけれど、でも、何よりも頼りがいがある。


 ――ああ。これが親友ってやつなのかな。


 僕は安堵とも喜びとも似つかない感情を携え、山本の手を取り立ち上がった。



 もう二度と、同じ失敗はしない。僕は、僕のできる範囲のことをする。できないことは……こいつと一緒に、乗り越える。



「ありがとう。……行こう」

「おう!」


 僕は昨日と同じく幼い正義を胸に、また同じ扉に手をかけた。


 ――心臓が、苦しい。


 ドクドクと脈打つ血液が、僕の身体を巡っていく。お腹に緊張から来る不快感が溜まり、なんだか足元がグルグルしてくる。


 やっぱり、僕には分不相応だ。僕は、心の弱い一般人だから。


 ドアノブを掴んだ手が、固まる。やっぱり嫌だ、と抵抗するみたいに。昨日の記憶が蘇る。僕の中に眠る幼い正義を、執行しようとして、失敗した日。僕でも人を助けられるなんて、そんな愚かな勘違いをした日。



 ……ああ、恐ろしい。怖いけど、でも逃げられない。



 僕は苦手なものに対する逃走本能と、「上手くやろう」という変な力みを感じ、動悸と腹痛でおかしくなりそうだった。


「……誠。大丈夫か?」

「っ……あ、ああ……今、開ける……」


 山本の声に強がりで返答して、僕は固く、目を瞑った。


 ああ。たった1回の失敗で、僕はこんなにも脆くなってしまうんだな。他の人なら、こうはなっていなかったのかな。それとも、皆もそんなもんなんだろうか。


 ああ。普通の人って、僕のことだ。普通っていうのはモブってことだろ。


 いつもの癖で思考が飛躍してしまうが、僕は、意図的にそも思考をシャットアウトする。


 ――僕には、わからない。普通が何なのか僕にはわからないから、僕は、自分を定義しない。


「……」


 勢いよく、ドアノブを捻る。それと同時に目を開き、ゆっくり扉を押し開ける。


 重い。


 扉がゆっくりと開く。僕の感情が乗ったそのドアの動きは、苦しくて、だけど……満たされた。



 漏れる光。何人かの影。その中に残された、1人の少年。白飛びしそうな眩しい光の奥に、前とは違う光景が広がる――。



「お前ら落ち着け! 伊藤だって好きで死にかけたわけじゃねーだろ!!」

「うるせえ! じゃあアンタがどーにかしてくれんのかよ!? 最年長だからって偉そうにしやがって!」

「はあ!? 俺はそんなつもりじゃ……」



 言い合う声。



 悟さんと同居人の1人が、伊藤を囲んで言い合いをしている。伊藤を庇うような姿勢の悟さんと、そこに詰め寄る同居人。


 金髪に、チャラそうなセンター分け。ピアスを何個もくっつけており、その強気な瞳には苛立ちが見て取れる。歳上である悟さんに敬語を使わないあたり、あまり常識的なタイプじゃなさそうだ。


 ……この人、確かフリーターだっけ。


 僕はぼんやりとその人に関する情報を思い出すと、悟さんに視線を向けた。2人とも、僕らが入ってきたことには気づいていない。


 言い争いが激カしていく。


「だいたい! 伊藤もムカつくんだよ! 『きっと大丈夫』って、それが連帯責任負わせる側のセリフかよ!?」

「あ……ごめ…………」

「ほら! そうやって謝れば良いと思ってんだろ!!」


 ああ、思い出した。名前は鈴木だ。


 僕は がなるように怒鳴り散らしていた同居人に視線を向け、ようやく名前を思い出した。この部屋全体に響くような大声は、僕らを萎縮させるには十分だった。現に、悟さんを除く他の同居人たちは、怯えたように端っこで立ちすくんでいる。


「おい……いくら何でも、それは言い過ぎなんじゃねーか?」

「言い過ぎ? アンタだって実際そう思ってんだろ? 社会人よろしく正義面してるけどよぉ!」


 ……ああ、空気が悪い。すごく人間らしい、嫌な空気だ。僕らの存在の平凡さを、良くも悪くも平均的な僕らを、象徴するような、嫌な空気。


 僕は、いや、僕もその1人だ。正義感なんて可愛らしいレベルでしか持ってないし、色んな人に優しさを振り撒くほどの余裕は無い。



 ……でも、この幼い正義感は、僕の唯一の長所なんだ。



「……皆、話がある。次のゲームで生き残る方法についてだ」


 僕は静かにそう言うと、部屋の空気が僅かに変わった。

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