第8話【僕のせい】

 ――心臓を、感じる。


 僕の視界には、ただただ茶色い、一般的な扉がある。すべすべした材質で、ドアノブが付いているだけのただの扉。僕はそのただの扉に手をかけて、その先に広がる景色を追った。


 扉の隙間から、溢れ出る光。ガチャリという、ドアノブを捻る音。僅かに温い空気が肌を掠めて、僕と彼らの間にあった隔たりを解いていく。白く光るような空間の先に、何人かのまとまった人影が見える。黒く、大きい何人かと。小さく白い、ただ1人の、影。


 その先の景色を認識するのに、さほど時間はかからなかった。ただ、僕の脳が理解を拒んでいるのか、やたらと美しい景色だけが印象に残る。


 光、空気……――


「いや、やああああ!!」

「おっと、暴れんなよなー」


 そして、音。



 聴覚が遅れてやってきたのは、僕の防衛本能によるものだろうか。視覚が遅れてくれなかったのは、その先にある危険に対して、備える必要があったからだろうか。


 それとも、ただ単純に――……。光の方が早く伝わる、そんな在り来りな科学なのだろうか。


「…………」


 非常事態の人間は、意外に冷静さを欠かないみたいだ。いや、他の人がどうかはわからないけれど、まあ、少なくとも僕はそうだった。


 状況の把握に1秒。行動に移すまでが1秒。


 僕は今まさに女の子を喰らおうとしている男の急所を、男子高校生の持てる全力の力で――……蹴った。

 次いで、彼女の両腕を拘束している男の腹にも、思い切り、蹴りを入れてみた。


 2人倒れる。あと3人だ。


 僕はまるでサッカーをしている時のように、無我夢中で、人を蹴った。靴先に伝わる微妙な感触だけが、人体の存在を証明する。


「ガハッ……」

「うぐっ…………」


 ……もしかしたら。

 

 拳の方が力は入ったのかもしれない。脚よりも手の方が、僕に入るダメージは少ないかもしれない。なんなら、さっきの消化器で殴りつけた方が、もっと効果はあったのかもしれない。……もしかしたら、いや、或いはこれなら――……。


 僕には格闘技の才能も知識もない。足と手だったらどっちが良いのか、そんなこと、もちろんわかりっこない。色々な方法を考えるけど、凡人の僕ができるのは、せいぜい手足どちらを使うかの選択くらいだ。


 ……だから。


「こいつを捕まえろ!」

「「お、おう!!」」

「っ……!!」


 だから、僕が足を選択したのは、別に何の策略でもない。


 突如、背後から羽交い締めにされ、上半身の自由が奪われる。体を捻って逃げようとするけど、力が強くて逃げられない。目の前に立つ2人の男が僕を殴りつけるのは、未来予知なんてせずとも明白だ。


「どけよッ……!!」

「うわっ……コイツ……!」


 無我夢中で、僕を羽交い締めにしている奴のつま先を踏みつける。そいつが一瞬怯んだ隙に、拘束を振りほどいて脱出する。


 あと3人。あと3人。


 特に意識して居なかったけれど、臆病な僕が選んだ蹴りという暴力は、思いの外最適解だったらしい。


 腕より脚の方が長いから。

 相手に近づくのは怖いから。


 そんな単純で稚拙な判断基準で、僕は2人も倒し、しかも拘束から逃れた。奇跡に等しい大活躍。よくある刑事ドラマや不良マンガさながらのアクションで、人を捌いて、ピンチを脱し――……。


 しかし、凡人の僕の無双劇は、僅か10秒で終了する。


 

っ……!!」



 どこからか持ってきた鈍器のような……正確には、よくわからない壺で、思い切り頭部を殴られたんだ。


「――皆様、消灯時間デス。明るさレベルを、最小マで下げマス」


 僕の視界が暗転する。

 ああ、やはり僕は凡人だ。


 

♤♤♤



「…………。……」



 ――身体が、動かない。


 もう、どこが痛いのかもわからない。全部痛いし、全部痛くない。僅かに身体を動かしてみれば、ギチ、と紐が抵抗する音が聞こえてくる。

 気力も体力も尽きた虚ろな瞳で、僅かな視覚情報をキャッチする。


 麻縄のようなもので縛られた、僕の身体。

 布団の敷かれていない、寂しい畳。


 そして、


「おやおや、随分と荒れていらっしゃいますね」


 そして、ギフ、ト…………?



 暗がりでも映える眩い金髪。あらゆる情熱を閉じ込めたような紅玉の瞳。180cmを超える長身に、芸能人であると錯覚するような端正な顔立ち。


 僕らの部屋に突如現れたのは、このデスゲームの主催者、ギフトだった。


 なんで? なんでこいつがここに居る?


 僕がそう思っていると、ギフトの背後からもう一人の男が現れた。焦げ茶色のスーツ。生えかかった髭。凛とした黒い瞳に、ちょっとボサボサの髪――……。


「誠、大丈夫か!? 息してるな!?」


 この部屋で頼れる唯一の大人、悟さんだった。


 ああ、悟さんがギフトを呼んできてくれたのか。きっと、僕だと力不足だから。主催者の権限を使って、どうにかしてもらおうと思ったのか。


 ……助かった。 


 僕が僅かに視線をズラすと、そこには今まさに犯罪行為を行っている同居人数名の姿がある。彼らも同様にギフトを見つめており、その異様な存在感からか、呼吸がやや乱れている。

 

「はっ、ついに、俺たちを殺しに来たのか……?」


 リーダー格の男が問う。次いで、


「くそ、小林! 余計なことしやがって!」

「ぼ、僕らは悪くないよ。彼女が僕と付き合わないのが悪いんだ!!」


 他の男たちも声をあげる。


 ……この期に及んで言い訳かよ。


 僕はそう思ったけれど、暴力に屈した凡人の僕に、そんな挑発をする度胸は無かった。女の子は、もう手遅れだ。僕も、山本も、散々痛めつけられて。


 この状況でアクションを起こすことの愚かさくらいは、流石の僕でもわかっていた。


「……法律違反? 殺す? 何を仰っているんですか?」


 酷く空気の悪い暗がりに、ギフトの品のある声が響く。穏やかで、しかし心を染め上げるような美しい声。きっと誰もがそう形容するだろうその声は、純粋な疑問の意味を孕んでいた。


「……え? 秩序を乱した者は殺すって……」

「伝言で、紙を残して……」


 犯罪者である同居人が、ほとんど同時にそう言った。


 僕がついた大きな嘘が、今更本人に知れてしまったんだ。別に、知れたところで都合の悪くなるようなことは何も無い。でも、同居人から見た僕の立場は、明確に低くなってしまうだろう。


「こ、これは……!」


 僕は何かしら弁解をしようと声をあげるが、


「ああ。なんだ、そういう事ですか」


 というギフトの声に遮られてしまった。


 ギフトはパンッ、と 手を叩くと、満面の笑みで僕を見た。太陽に照らされ咲いた花のように麗しいその表情は、僕の警戒を滑らかに解いていく。


 ……ああ、良かった。殺されはしないみたいだ。


 僕が安堵しながらギフトを見つめていると、彼はニコニコと穏やかな笑みのまま、懐から何かを取り出した。


 黒くて、小さくて、ギラギラと危険な光を放つもの――……。それは、拳じゅ……


 ダンッ!! ドンドン、ダンッ!!


 

「ぁ…………え…………?」

「「「…………」」」

「死ぬ覚悟があったなら、最初からそう言ってくださいよ♡」


 ……ほんの数瞬で、そこから生命が消え失せた。


 銃声。血しぶき。重いものが、崩れ落ちる音。唐突な静寂に、混乱する僕。いや、先程の銃声に理解が追いつかない僕。そして、呆然と立ち尽くす悟さん。


「な…………あ…………?」

「さ、縄を切りますから動かないでくださいね」

「は、はい……」



 …………。

 


 人が、死んだ…………?



「切れましたよ。ご友人も大丈夫そうですね。一緒に医務室に行きましょうか。ああ、彼女は僕が運びましょう。歩けますか? 歩けなかったら小林さんに――……」

「大丈夫、です」



  人が、死んだ?



 訳も分からず歩みを進める僕の足元で、ぺちゃ、と嫌な音がした。本当に僅かにぬめりけのある、謎の、液体。赤い、液体。



 ……ああ。

 

 ああ、ああ、ああ!!


「んぐっ……ふぅっ、あ、カハッ、げほっ!!」

「誠!? しっかりしろ!!」

「あああああ!!」


 殺した、殺した! アイツが……ギフトが、本当に、本当に!!


「ああ、うわあああああああああ!!!! ああっ、ああああああああ!!!」


 息ができない! なんだこれっ……怖い、怖い、怖い!


 人が死んだ! 僕のせいだ! 僕が、僕があんな嘘ついたから! 僕が何も余計なことしなければ、誰も死ななかったはずなのに!!


「――くん、水野くん、大丈夫ですか?」

「っ……ゲホッ、あああああ!!」

 

 僕は、誰も守れなかった……あの女の子も、結局助けられず、同居人を、ただ、僕が殺した! 僕のせいだ! 僕が殺したんだ!! じゃあ、だったらあの時見て見ぬふりをしとけば良かった……? あの子1人が我慢すれば、僕がこんな思いをすることはなかった?


 あの子1人が犠牲になれば、5人の命は守られた――……?


 じゃあじゃあ、僕は何のために、あの子を助けようと思ったんだ!?


 息ができない。視界が狭まる。ここがどこかもわからない。苦しい。怖い。頭がふわふわする。苦しい。


 僕は粉々に破壊尽くされたガラスのような心の中で、彼の言葉を思い出した。



 ――生半可な覚悟で行くと絶対後悔する。少しでも無理だと思ったら、すぐに戻って来い。



 ……ああ。


「……とりあえず君は、医務室より前に休んだ方が良さそうですね。こちらの部屋は予備の部屋です。布団も敷いてあるので、横になったらどうですか」


 ……ああ。


 何度も、無理だと思ったのに、なんで戻ってこなかったんだろう。ただの一般人である僕が、なんで生意気にも大人の忠告を無視したんだろう。


 なんで。なんで。なんで。


 指示に従い布団に潜った僕の頭には、色々な映像が流れてきた。ボロボロになった人間の姿。殴られ、蹴られた友達の姿。人間の、死体。それから、女の子の――……。


 色々な光景が脳をよぎっては、僕の胸中を染め上げる。言い表せない不快感で、どうにも気持ち悪くなってしまう。


「っ……ああ…………ははっ」

 

 ……言うまでもないかもしれないけど、僕らは極限状態に置かれると簡単に狂う。すぐに人を疑うし、自己中心的になるし、時には人としての良心や理性を忘れてしまう。


「ぼ、僕は悪くない……僕は悪くない……僕は悪くない…………」

 

 ……やっぱり一般人である僕に、誰かを守ることなんてできなかったんだ。たった1回生き残ったくらいで、僕が天才になったわけでも、周りが成長した訳でもない。


「ぼ、僕は悪くない……」

 

 

 狂った人間を止めることなんて、僕らには荷が重すぎたんだ。



 僕は布団の中で震えながら、先程の光景を何度も思いだしていた。あの時、もし僕が行動していれば、こんなことにはならなかったのだろうか? それとも、僕が天才にでもならない限り、この事態は防げなかったのだろうか?


 

 ――ああ、なんでこうなってしまったんだろう。




 知らないうちに意識を手放した僕が目覚めたのは、翌日の昼のことだった。昨日の出来事も、デスゲームも、もちろん全て夢ではなくて、全身の痛みと一人きりの部屋が、僕を現実に引き戻した。


「誠。大丈夫か?」

「ごめんな……誠…………」


 2人は僕を気遣ってか、ずっとそばに居てくれた。

 

 でも、彼だけは違う。

 彼は……ギフトは、昨日のことなんて嘘みたいに、当たり前のようにゲームを始めた。


 

「では、第1ゲームを始めましょう。『友情クイズ』……『一問不正解で、即死亡』」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る