第7話【男のせい】

「山……本…………!?」


 奥の部屋から乱雑に投げ出されたのは、大きい物ではなく、人だった。


 165cm前後の、やや小柄な体型。黒髪のチクチクした短髪に、人懐っこそうな黒い瞳。その身体にはあちこちにアザや血液が付着しており、平時なら眩い光の灯るその瞳は、虚ろに痛みを訴える。


 それは、山本 たかしという男だった。


「あぐっ……ガハッ、はぁっ…………」


 喘ぐように呼吸をする山本は、ズル、ズル、と身体を引きづりながら顔を上げた。暴行がバレないように顔を避けたのか、あまり血は付いていなかった。


「俺らもう……法律違反しちゃってんだわ」


 その絶望的な宣告は、どこか無機質に耳に届く。いつもなら声色から感情を分析するはずの僕が、その裏に隠れた感情に気づくのは、数秒後の事だった。


 なぜ山本が殴られている? アイツらと一緒に行ったんじゃないのか? いや、もしかしてアイツらを止めようとしたのか? じゃあ……。



 …………じゃあ、なぜ僕を連れて行かなかった?



 僕の頭には、冷静に感情を分析できるほどの余裕は無かった。大事な友達がこんな姿になってお出しされたら、誰だって動揺くらいするだろう。


 僕ら、喧嘩慣れしていない一般人に、動揺するなと言うのは無理な話だ。


 僕の中で永遠にも思える一瞬が過ぎ、同居人の男は再び声を発した。


「法律違反でどうせ死ぬなら……最後くらい良い思いしたって良いよなぁ!?」


 次いで、取り巻きも声を発する。

 

「そうだそうだ! ど、どうせ……無能な俺らが最初から生き残れるわけ無かったんだ!! こんなの……!」

「どうせ死ぬなら、ここで良い思いしたい!」


 そこから発せられる一切が、僕にとっては異質だった。すごく今更、本当に一瞬だけ、僕に良心が残っていたことに驚いてしまう。


 ……別に、僕にだって性欲はある。人並みなのかっていう、そういう比較かは置いとくとしても、こういう状況に乗じて犯罪をするような、そういう人間には堕ちていなかったようだ。


 ヤケになってる犯罪者こいつらとは違う。


 どこかでそういった優越感を自覚しつつ、でも僕はそいつと視線を合わせる。……正直、もう心のどこかでは「こいつらは救えない」と思っていた。


 でも、大事な友達も殴られて、女の子も泣きそうで……そんな状況で、引き下がるわけにはいかなかった。


「……それは、その女の子を巻き込んでいい理由にはならない」


 僕は近くにあった消化器を手に取り、視界を真っ白に染め上げた。女の子の手を取り、走り出す。本当に女の子かわからなかったから、抱き寄せてお姫様抱っこしてみる。


「ひゃっ」


 ……良かった。女の子だった。


「なんだこれはァ!!」

「くそ、とっ捕まえろ!」


 背後で怒号が飛び交うのを感じる。僕は無我夢中で廊下を駆け、…………?



 怒号を、…………?



 ガンッ。


「っぁ、は、あ…………」


 後頭部に衝撃が走った。僕はそれでも駆けようとして、足を、踏み出し……。


「っ…………」

「いや、やだ、嫌ああああああ!!!」



 そこで僕の意識は途絶えた。



♤♤♤



「っ…………」


 冷たい床の感触に、僕の意識が引きずられる。視界には、ホコリひとつ見当たらない床が、遠くの方まで広がっている。どこまでも続く、ベージュの床。視覚情報を全て認識した後、僕はハッと我に返る。


「山本は……!? あの子は!?」


 僕は上半身を起こし四つん這いになると、慌てて周囲を見渡した。あるのは、奥まで続く廊下。廊下。廊下。消化器。更衣室。


 そして、いくつかの部屋。


「……なんで、誰も居ないんだ……?」


 僕は素直に疑問を口にすると、ある可能性に行き着き戦慄した。


 女の子は、あのままアイツらに連れていかれただろう。きっと今は、どこかの部屋で…………。そして、山本は…………?


 僕は自分でも驚くくらい素早く立ち上がると、後頭部に残った痛みを無視して走り出した。山本たちがどこに居るかなんて、わからない。更衣室かもしれないし、女の子の部屋かもしれないし、トイレかもしれない。


 …………でも、僕だって同じ男だから。嫌な意味で共通したこの性は、アイツらの行動の予測にはすごく役に立つ。せっかく手に入れた相手を、誰にも邪魔されず、なおかつ自然に食える場所――。


「僕たちの、部屋……」


 僕は急いで階段を駆け下りて、「下の階の1番奥」……僕たちが割り当てられた部屋に向かった。……正直、確証は無かった。性別が同じだけで予測できるほど人間は単純じゃないし、むしろそれが通用するならあらゆる誘拐事件などは撲滅されているはずだから。


 でも、今回ばかりは確証があった。理由はわからない。ただ、なんとなく。強いて言うなら、本能。


 走る。走る。ひたすら体を動かせば、十数秒後には僕らの割り当てられた部屋に辿り着いていた。


「はぁっ、はぁっ……」


 もしかしたら何も起こっていないかも。そう思ってドアに耳を当ててみた。一般人の聴力で聞き取れるかは定かではなかったけど、でも、女の子の悲鳴や男が盛り上がってる時の声なら、まだ聞き取れるような気がしたんだ。


 ――あああ! ……て、嫌、――!

 ――ろよ! ハハハハ!! ……だから…………よ!


 ああ。確定だ。


 その判断は酷く冷静で、そして速かった。今更止まる理由なんて無い。もしかしたら無理かもしれないけど、でも、まだ可能性はある。……僕が、やるしかない。


 僕は勢いよくドアノブに手をかけようとして、そして、手が止まった。鍵が開けられないだとか、そういった意味での行動じゃない。僕らの部屋は顔認証式で、20人全員が自由に出入りできるから、そうじゃない。


 でも、手が止まった。汗が流れる。その刹那を、永遠に感じる。


 あれ。あれ。おかしい。絶対に。あの部屋にはもっと人が居た。全員居ないなんて有り得ない。いや他の人は有り得るかもしれないけど、少なくとも――……。


「……悟さん、は…………?」


 嫌な汗が背中を濡らす。あの人の声が、行動が、全てが蘇る。性犯罪の現場で、悟さんが何もしない? あんなに立派で頼れる大人なあの人が、この状況を容認する…………?


 ――少しでも無理だと思ったら、すぐに戻って来い。


 僕を、ここで待ってるんじゃなかったのか……?


 僕の中の何かが、警鐘を発するのを感じた。

 無理だ。行くな。やめておけ。お前には無理だ。この先に行くな。

 

 すごく強い、絶対的な警鐘が鳴る。


 嫌だ。行かないと。この先に。絶対。


 僕の未熟な自我が抵抗する。抵抗と言うにはあまりに強い、僕ら凡人が持ち合わせる最大の武器。最大にして、最強の武器。


「…………行こう」


 ドアノブに手をかける。僕はもう、迷わなかった。


 凡人が持つ武器の名は、正義。

 凡人の母数の多さと、良心的な集団により育まれる最大の武器。時に常識を超越し生物としての理すら超える最強の武器。


 僕の中に埋もれていた正義が、確かに扉の向こうに向かった。

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