10 マルコスとザイード 

 2012年6月、ブラジル郊外のスクラップヤード。

 赤錆あかさびた鉄屑てつくずの山の上で電磁起重機クレーンうなりを上げていた。先端には直径2メートル近い円盤状の磁石がられ、25歳のマルコスは合図役としてその真下に立つ。資格もらず、替えはいくらでもいる仕事だった。


 仲間が消えても翌日には別の誰かがそこに立つ。気づけば母の作った借金を返すためだけの日々だ。家に帰れば薬に溺れた父が怒鳴り、物を投げつける。守られる場所はどこにもなく、自分が生きている意味も見えなかった。息苦しい……死んでも誰も困らない。毎日同じ言葉が頭をよぎった。


 ――この世界ごと消えればいい。


 その日、制御盤せいぎょばんが火花を散らし、切れるはずの磁力が異常な力を生み出した。頭上で磁石が震え、鉄材や工具が宙へ浮く。逃げようとしたが飛来した鉄板に挟まれ、意識が遠のく。


 ――死ぬ。

 そう思った刹那、鉄屑てつくずの隙間に透明でゆらゆらと揺らぐ穴が口を開いた。

 考えるより早く、マルコスはそこへ身を投げていた――。


 ところが異世界で彼を待っていたのは、同じ侵入者イントルーダーたちが恐怖の象徴としてEIAに捕らえられ、弁明も許されぬまま殺されていく現実だった。


 ある日偶然、再びあの揺らぐ穴を見つけた。

 ――帰れるのか?

 だが戻った先にあったのは、救いのない現実と何ひとつ変わらぬ日常だけだった。


 ――なら、もう一度逃げよう。

 事故現場へ向かうと、その穴は不思議なことに自分にだけ見えていた。迷いなくマルコスは再び身を投じる。


 再び辿たどり着いた異世界で彼は悟った。

 自分はもう人ではない。異形獣まものとなっていたのだ。

 しかし次はあらがえる。胸の奥に、ひとつの確信が生まれていた。


 この3年後、拘留所こうりゅうしょでザイードと出会い、2人は脱出する。


 ◆


 2015年3月、エジプト西部砂漠の油田掘削くっさく現場。

 掘削櫓くっさくやぐらの影で、23歳のザイードは泥と油にまみれていた。日雇いの彼に与えられた仕事は警報も鳴らない旧式装置の前に立つことだけだった。

 家に帰っても安らぎはない。父は早くに失踪しっそうし、母は借金と苛立いらだちを抱え、ザイードを見るたび金の話しかしなかった。働け、稼げ、黙れ。それ以外の言葉を彼は覚えていない。家も現場も彼の居場所ではなかった。

 息苦しい。ここで死んでも誰も困らない。


 ――もうこんな世界、全てなくなってしまえばいい。


 その日、地の底から獣の咆哮ほうこうのような振動が走った。爆音に合わせて灼熱しゃくねつの蒸気と圧力が押し寄せる。熱風に突き上げられ地上へ飛ばされる途中、掘削孔くっさくこうの壁に透明な揺らぐ穴が現れた。考える前にザイードは穴へ飛び込む。

 次に目を覚ますと、制御不能な能力ドナムが全身から溢れ、足元の地面は触れた場所からじわりと赤く染まり、泡立つように溶け始めていた。


 ――力を持った者が裁かれるなら、従う理由はない。オスタリア王国の拘留所で出会った2人は視線を交わし、決断する。


 EIAを潰そう――この力は、不当な裁きを壊すために与えられたものなのだ。


 ◆


「これが正義のつもりか? 笑わせんな! 怖いモンを片っ端から消してるだけだ! 中世の魔女狩りとどこが違うってんだ!!」


 人の形をした異形獣まものと呼ばれる2人の男――ニット帽にワークパンツのマルコスと、ヤマアラシのように逆立った赤髪にタンクトップ姿のザイードが、ゆっくりと距離を詰めながらサイモンと隊員たちへ爪を向けていた。


 どちらも非武装だが、それは油断の理由にはならない。それは彼らの特徴である、長く鋭い爪だけでも十分な殺傷能力があるからだ。加えて彼らの皮膚は通常の異形獣まものよりもさらに硬質だった。


 オタオタと狼狽うろたえるヨハンの視界で、サイモンが銀の剣で踏み込んだ。両手で構えた銀の剣が一直線にザイードへと振り下ろされる。


 ――ガツンッ!


(……!? 腕に当てた音ではないぞ?)


 サイモンの腕にしびれが走り、後列の隊員たちも呆然ぼうぜんと目を見開く。その隙をザイードは逃さなかった。

 赤髪の巨体が滑るように距離を詰め、伸ばされた腕がサイモンの手首を掴む。


「銀の武器なら誰でも仕留められるとでも思ったか?」


 そして、にやりと口角を上げる。


「ああ、それとな――ドナム発動時、俺の体表温度は2千度に達する。触れれば鉄をも溶かすぜ?」


 ジュ……という音がして、サイモンの袖口そでぐちが解け始めた。


「やめ……!」


 ヒュンッ――!

 間一髪、ジェシカの放った銀の矢がザイードの肩へ飛来。痛みで床に膝をついてのたうち回る。


「――があああああああッ!!」

「ジェシカ……!」


 サイモンは反射的に距離を取って後方へ跳んだ。


(この私が……あんな少女に助けられた、とういうのか?)


 彼は息を整えながら振り返り、クロスボウを構える少女を見る。サイモンは、胸の奥で何かがはっきりと変わるのを感じていた。


 ――そこに立つのは裏切者の対象ではない、この場で共に戦う者だった。


 ジェシカの腕と覚悟を、彼はついに疑いようのないものとして認めざるを得なかった。

 しかしその一瞬の隙を突き、目にも留まらぬ速さでマルコスは地面を蹴る。彼の手が伸び、ジェシカのあごを乱暴につかみ上げた。


 「やってくれるな! もう容赦ようしゃしねぇ!」


 のどを締め上げられ、ジェシカの身体が宙に浮く。その光景に反応してホールの後方で控えていた対策部隊が一斉に動いた。


ひるむな! 異形獣まものの男を仕留めるぞ!」


 だが、その号令が完全に届く前だった。

 ザイードは肩に突き立った矢を乱暴に引き抜くと床へと沈み込み、そのまま姿を消す。


「地中へ消えたぞ!? どこへ行った!?」


 ザイードを探してキョロキョロする対策部隊の男の前で一気に床を割って飛び出した。


 「なっ……!?」


 隊員は吹き飛び壁に叩きつけられる。残る者も銀の槍を振るう間もなく奪われ、それはむなしく床を転がった。


「さぁて、この娘もてめぇらの仲間か?」

「ジェシカ……!」


 サイモンの表情が、初めて大きくゆがむ。


「おい小娘。そのクロスボウ、この世界の代物シロモンじゃぁねぇな……!?」


 マルコスは片手でジェシカの首を掴み、視線の高さまで無理やり持ち上げた。鋭い爪がジェシカの白く細い首に食い込み、細く血が流れる。


「ぐっ……あ、あたしは、イントル、じゃぁ……ない。けど、EIAでも……ない」


 ジェシカは必死にマルコスの手に指をかけて足搔あがくが、その拘束こうそくは岩のようにびくともしない。


「ほう? じゃぁ何モンだ、てめぇ……」


 そろえられた指先が、ゆっくりと、しかし確実にジェシカの腹へと向けられる。


 「あたし、は……自警団、『青い疾風ブルーゲイル』……ジェシカ」


 そういって腰から取り出した銀の短剣を全身の力を込めてマルコスの腕へ突き立てた。


「ぬ、ぐぅ……うあああああああああッ!」

 

 苦悶くもんのの叫びと共に手が離れ、ジェシカの身体は力を失ったように床へ叩き落とされた。

 ジェシカは床を転がるように身を立て直し、必死でクロスボウへ手を伸ばす。その手が弓部リムを掴んだ瞬間、彼女は床を滑るように壁を目指して全力で駆け出した。

 ――だが、すぐに振動が足元から伝わる。床が盛り上がり、砕け、地中からザイードが躍り出る。彼はまるで最初からそこにいると知っていたかのように、ジェシカの正面へ立ちはだかったのだ。

 見上げたジェシカの視界は、あっと言う間に赤髪の異形獣まものの影に覆われていた。


 ホールの空気は凍りつき、誰もが言葉を失った。


「ジェシカアアアアアアッ!」


 サイモンの悲痛な声が響き渡った、その時だった。

 乾いた破裂音が2発、ホールにとどろく。


 パンッ、パンッ――!


 ザイードの肩に穴を開け、巨体がよろめくとすぐ次の一撃が、正確にすねを貫いた。


「ど、どこから……?」


 誰もが音の方へ見上げるが、姿は見えない。すると天窓の裏でひとつの黒い影が動いた。

 ガラスが砕け散り、影は宙を舞うようにホールへと降り立つ。そこにマスケット銃を構えた青年の影があった。


「ジェシーちゃん、無事か? 待たせた分だけ後で『お仕置き』してくれ!」


 軽薄な言葉が、聞き慣れた声に乗って耳に飛び込んできた。


「アラミス――! けど『お仕置き』とかやめて! キモいから!」


 そうは言いつつ、張り詰めていたジェシカの胸はほどけていく。


「誰だ、テメェ!」

「嬉しいね、聞いてくれちゃう?」


 黒いスーツを着た青年は不敵に笑い、銃口を向けたまま名乗った。


「俺はアラミス。全女性の味方、けん自警団『青い疾風ブルーゲイル』の遠距離攻撃枠だ!」




 ***《次回予告》***


 ジェシカ:待ってアラミス。名乗りを上げる口上こうじょう、1か所オカシくない?

 アラミス:あ、ゴメン! 「青い疾風ブルーゲイル」を先に名乗るべきだったね。

 ジェシカ:そこじゃない! でもなんであたしの居るとこ分かったの?

 アラミス:え? ジェシーちゃんの残り香を追うなんてこと、俺にとっちゃぁ朝飯前――。

 ジェシカ:このヘンタイッ!!

 アラミス:キ、キッツい飛び蹴り……キイタァ――ッ! でも、そんなジェシーちゃんも大好きだぁ!

 ジェシカ:次回、第11話「8時だ。全員集合!」。もう病院案件ね……。

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