第2章 波乱の風

1 謎の釣り人

「ミッチー、なんか長閑のどかでいいな。この国」


 御者台ぎょしゃだいで手綱を握りながら、ヒースがひと息つくように言った。


「そうか? どこにでもありそうな景色だろ」


 ――早朝。

 朝靄あさもやに包まれた街道を、一行はヒースの脱獄が発覚する前に宿を後にしていた。

 馬車の車輪が石畳を抜け、柔らかな土道へ変わる頃には空はすっかり白み始めている。


 ヒースの隣に腰掛けるミツヤは淡々と答えたが、その表情からは、久しぶりに張り詰めた警戒心が薄れているのが見て取れた。

 その間キャビンの中で、ジェシカ、アラミス、そして同行することになったビアンカの3人が夢中になっているのはトランプだ。


「あ、ビアンカちゃんが最初のあがりだ!」

「ああっ! アラミス、なんでババを2枚入れてんの!?」


 ジェシカの元気のいい声が幌の外まで聞こえてくる。

 彼らにとって、珍しく穏やかな時間が過ぎていた。


 現在、彼らはオスタリア王国を目指し南下中だ。目指す最終目的地はバチケーネ聖都。そこは世界人口の8割以上が信仰するエテルナ教の総本山にして、この世界最小の独立国家。長靴の形をしたビタリ王国の中心に位置する、まさに「宗教の心臓部」である。


 本来なら、ブルタニーから西隣ゲネベ王国をそのまま南下するほうが圧倒的に早い。だが彼らはあえて、北周りでオスタリア王国を経由する遠回りルートを選んでいた。


 理由は2つ。


 1つは、ゲネベの南にそびえる、スタッグホルン山脈が旅人の行く手を阻むため。

 もう1つは、より多くの国を巡り「異世界の穴」と異形獣まものの関係を伝えたいという彼ら自身の意思だった。


 穏やかな丘陵きゅうりょうを馬車が進む。

 澄んだ空気、遠くに連なる白壁の村々、黄金色の麦畑。彼らにとって平和に感じる時間が過ぎていった。


 さてそんな中、一行の前に橋が姿を現す。


「そういや、オスタリアに入ってから異形獣まものにも、悪さするイントルにも出会ってねぇよな」


 ヒースが無邪気に言うと、隣のミツヤは返事をにごす。


「…………」

「どうした、ミッチー」


 橋のたもとが近づいていた。

 川幅こそ広くはないが、両側に石造りの欄干らんかんが続き、対岸の様子をさえぎっていた。

 ミツヤは手綱を引き、馬車の速度を落とす。土手下で釣り糸を垂れる男が目に入ったのだ。


 男は深くフードをかぶり、顔はその影で見えない。だが、その手に握られた釣り竿だけは、不自然なほど目を引いた。


 ヒュンッ――。


 浮きがピクリとした瞬間、竿がしなるとミツヤの目がそこへ集中する。


「……うん、ちょっとね」


 ミツヤは目を細めた。

 フードの男が竿を引き上げると、川魚の暴れる音が橋の上まではっきり届いた。

 黒光りするボディ、荷重に対して不自然なカーブを描いている。


 「あの黒い竿……やっぱ、あれカーボンファイバーだ。あのは木で出せないはずだ」


 ミツヤはふと、空の白い雲を見上げた。ヒースも同時にある人物を思い出していた。

 ブルタニー南部、アビニオに日本風の街を作り上げた男――長船六三郎おさふねろくさぶろう。異世界素材を扱う熟練者であり、ジェシカの武器や仲間の弾薬を作った張本人だった。

 そこから自然と、もう1人の人物の影が重なる。


「あのジジイが噛んでるとしたら、まさか……ジャックじゃねぇだろうな」

「僕もそう思った。ジャックが六さんに釣り竿を頼んだって言ってたの、覚えてるだろ?」


 馬車の車輪が橋へと入る。


 ゴト、ゴト、ゴト……。


 橋下の釣り人は、馬車からの視線など意にも介さず、再び竿を振りかぶった。横顔はフードで隠れている。


(いや……まさかな)


 一瞬、2人は釣り人の顔を確認すべきか迷う。

 その時、ヒースの脳裏にジャックとの因縁の記憶がよみがえっていた――。


 ◆


 ブルタニー王国直属の護衛隊第2隊。隠密作戦をになうその部隊に、一人の異端がいた。


 ジャック・ランカスター。歳は31。身長189センチ、ダーティーブロンド。左頬にはフラクトゥール書体で刻まれた「XⅢ」のタトゥー。二百年の歴史を誇る護衛隊の威厳や格式とは、あまりにも相容あいいれない風貌だった。その外見と異質な任務内容から、他の隊員達までもジャック隊長を敬遠していた。


 元FBIの潜入捜査官だったジャックは、コロンビア系人身売買組織への潜入捜査の過程で、意に反して「XⅢ」の刻印をいられた。

 ある日、任務中に捜査対象によって婚約者を殺害される。

 判断は鈍り、潜入は露見ろけんした……。


 ――もはや、明日の命などどうでもよかった。


 そして、組織から制裁を受けている最中、彼はこの世界へ入り込んだのだ。

 殲滅せんめつすると決めたら、確実に実行する――13という数字が持つ不吉さと冷徹な判断力、常軌じょうきいっした実行力。それらが結びついて生まれた異名が「処刑台のジャック」。


 当初、彼は総隊長トージのもとで面白ければそれでいいと、やりたいように動いていた。だがやがてトージの異形獣まものを利用した悪事に気づき、意識は水面下で、しかし確実に変わっていく。


 ある夜、彼は総隊長トージの命令でミツヤを誘拐した。


 ヒースは必死で追い、能力ドナムを駆使して戦うが、ジャックの空間操作の能力ドナム翻弄ほんろうされ、ついに大剣で胴を貫かれた。全治2ヶ月の重傷だった。


 ――だが、あの時に負ったのは肉体の傷だけではなかった。

 間に合わないという焦燥しょうそう

 守れなかったという悔恨かいこん

 そして何より、ミツヤを失うかもしれないと悟った瞬間に胸を貫いた、あの恐怖。


 しかし、ジャックはトージに忠誠を誓っていたわけではなく、「尻尾を出す瞬間」をずっと待っていたのだ。

 ついに到来したチャンス――ヒースがトージを追い詰めたその時、悪事の決定的な証拠を押さえたジャックは、総隊長トージをバスチール監獄へ送り込んだのだった。


 敵だと思っていた男は味方だった。

 味方をあざむく為なら荒事あらごとさない、思考の内側が読めない危険な男。

 ヒースとミツヤにとって苦手な相手であると同時に、味方であればこれほど心強いことはなかった。


「けどよ、いくらなんでも、こんなところまで追ってくるわけ……ねぇよな」


 ヒースは首を振って記憶を振り払う。ミツヤも肩の力を抜いた。


「まあね。今回の任務はブルタニーの関与がバレちゃいけない。ジャックも護衛隊としては絶対に手を出さないと言ってたしな」

「だろ? あいつが俺らのケツを追うなんて、あるわけねぇよ」


 馬車は橋を渡りきり、釣り人の姿は小さくなっていく。


 ――釣り人は竿を垂れたまま馬車の背を振り返る。その横顔にはフードの奥で「XⅢ」の刻印が覗いた。


(フッ……変わらんなヒース。街中で目立つにもほどがある)


 と、ため息と一緒にタバコの煙を細く吐き出した。


 ◆


 さて、その日の昼過ぎ、馬車がオスタリア王国の市街地に到着した。


 「ジェシーちゃん、サルズバーグって言えば確かEIAの本部があるんだろ?」




 ***《次回予告》***


 ミツヤ:嫌なこと思い出したな。

 ヒース:ジャックだろ? それは俺の方だぜ。あのドナム、どうなってやがんだ。いきなり消えたり現れたり。背中に大剣が現れた時はもう死んだ思った。

 ミツヤ:…………。

 ヒース:あ――っ! ミッチーのせいじゃねぇからな! 俺が弱かっただけだ!

 ミツヤ:いや、相手が悪かっただけだ。けど身内をあざむく為とはいえ、何もあそこまでしなくても。

 ヒース:そうだぜ……そういや――あいつ自分の足で行った場所でないと移動ドナムは使えないって言ってたぞ。

 ミツヤ:なるほどな……あ、次回、第2話「レストランの一幕」。お楽しみに!

 ヒース:その、急に予告出すヤツやめてくれ!

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