第16話 湊くん脱オタ計画 1
「やっぱり、髪の毛について触れるのは駄目かな?」
「ええ。かなりパーソナルな部分ですからね、不用意に相手の髪に触れるのは厳禁です」
「いやそういう意味ではなく」
「ふふ、分かっています。ごめんなさい、揶揄いました」
ふふふ、と笑い声を漏らしながら、愉快そうな糸美川さん。
「むぅ、一応結構真面目な質問だからね、糸美川さん」
「ええ、そうですね。……こほん。確かに女性の髪の毛の事については、褒めるという行為でも、非常に難しいと言われていますね」
うん、流石の糸美川さんも一般論になるよね。
美少女たる彼女ではあるが、自分の事を女性と言い張ることはないのである。
「イメージ的には……やっぱり恋人相手に褒める言葉なのかな。あ、違うからね」
「ちぇー。なんだよ湊、予防線張るなって」
僕が褒めても問題ないシチュエーションを考察していると、隙を見つけたとばかりにニヤニヤする糸美川さん。
そうはいかないと、それを牽制すると、ちょっと不満そうだ。
「ま、でも大体合っているんじゃないか?後はまぁ、好意を持った相手から言われるなら気にならないんじゃね?」
「その推測は僕にはハードルが高いよ……」
「ははは、やっぱり髪の毛褒めるのは、初心者には難しいってことだな」
「だよねぇ。もうちょい難易度易しめの所から挑戦したいな」
「その場合は、オレで練習していいからな?」
「しーまーせーんー」
糸美川さんは、あはは、とひとしきり笑った後に、何かに気づいた顔をした。
「でもさ、湊の"抜け出したい"っていうことには、こっちのアプローチは正しいんじゃないか?」
ラフな口調のまま、僕に提案する糸美川さん。
はて?抜け出したいとは?
「思い付きだけど、我ながらいい考えだと思ってるんだが、どうだ?」
「あ、うん。えっと……抜け出すって何から?」
「いや、お前そりゃ決まってるだろ。目標だよ、湊の」
「ああ、脱オタのこと?」
「待て、オイ」
脱オタというワードを聞いて、糸美川さんは僕を制すると、その場で眉間に手をやりながら考え込んだ。
「いや湊、初めてバレた時あんだけ狼狽してたじゃんかよ、自分で言うのは大丈夫なのか」
ジト目を僕に向ける糸美川さん。
……余計な気を使わせてしまっていたようだ、申し訳ないな。
「変な気を使わせてしまってごめん。それなんけど……その、偏見が苦手と言うか」
「えっと、偏見、ですか?」
実の所、僕自身あの反応には困惑してしまった。
オタクを脱したいとはいえ、現実僕はオタクだったのだ。
その事実を指摘された場合、嫌だな、程度で済むだろう。
けれど、糸美川さんが言った何気ない「オタク」という発言に僕は信じられない醜態をさらした。
その理由は、おそらく――――
「なんて言うのかな、勝手に決めつけられるのが苦手なんだ、多分。特にそれをオタクって言われるのがさ」
「多分というのが気になる所ですが……ですが、そうですね。意外と自分の事は分かりませんし。それにそういうことでしたら、本当にあの日はごめんなさい。もう二度としませんからね」
「そ、そこまで恐縮されることじゃないよ。僕もさ、糸美川さんを悲しませるようなことは絶対にしないから」
「ふふ、信頼してますよ、湊君」
自身の事を把握していない、曖昧な答えだというのに、糸美川さんは真摯に謝ってくれた。
僕も、迷惑かけないようにしないとな、そういう点でも、目指せ"脱オタク"だ。
「でも、丁度良かったですね、湊君」
「え、何がかな、糸美川さん」
「目指すべき像がまた一つ、見えたじゃないですか」
「と言いますと?」
「もう、少しは自分で考えてみてくださいよ。湊君は決めつけられること、偏見が嫌なんです。だとしたら、どうするべきですか?」
偏見が嫌な、僕がすべきことか……そうだな、例えば。
「分かった。肉体改造だ。鍛え上げてバリバリのスポーツマンに見られれば」
「何でそうなるんですか……違いますよ、それでは勝手に決めつけられることには、変わりないじゃないですか」
「う、確かに」
「とはいえ、答えに近い部分にはいますよ。はい、頑張って考えて」
えー、何だろ。
例えば楽器を覚えて、練習に練習を重ねて、音楽に励むことでミュージシャンみたいに振舞うとか……ってそれはスポーツマンと同じ発想か。
「ぎ、ギブアップ」
「もうちょっと頑張りましょうよ……仕方がありません。答えについて、教えしましょう」
「よろしくお願いします、先生!」
「誰が先生ですか」
元気よく回答を諦める僕に、呆れ顔でツッコミを入れた後、彼女はコホンと一つ咳払い。
「ずばり、身嗜み、です」
「身嗜みって……格好をつけるってこと?」
「いいえ、湊君のそれは、女性に良い印象を与える意味での格好つけですよね?」
「うん」
「そうではなくてですね、整える、きちんとするということです」
胸の前で、両手を合わせた糸美川さんは僕へと答えを提示した。
身嗜みか、一応、気を付けているつもりだけどな。
「湊君、身嗜みを整えることの効果を、甘く見ていますね?」
「う……まぁ、はい。ある程度は出来ているんじゃないかなー、などと」
「はい、湊君は出来ている側の人間だとは思います。けれど、まだまだ改善できる部分はありますよ」
「マジですか」
「本当ですよ。改善点は後にして、身嗜みがきちんとしていれば、相手に与える印象がまるで違います。まず悪く思われることはないですからね」
「そ、そこまでかな?」
僕が顔に疑問符を浮かべていると、湊さんはうふふと笑っている。
「湊君、私を初めて見た時どう思いました」
「え、いやそれは」
「あ、揶揄うつもりはありませんよ?"美少女"以外にどう思いましたか」
自分で言うんだ、それ。
事実だから、何も言えないけれどさ。
それにしても、糸美川さんに初めて出会った時か。
「物凄くざっくりとだけど、良い人なんだなー、とか優しそうだなって思ったかな」
「お褒めいただきありがとうございます。そして、その返事が答えですよ、湊君」
僕の発言に、糸美川さんはニッコリ満面の笑みだ。
「成程、身嗜みを整えると、良い印象を相手に与える、ってことかな?」
「正解です。逆に言えば、悪い印象は、湊君の嫌いな偏見を受ける可能性を高めますから」
「そっかー」
うわ、気をつけよ。
というより、そんなこと言われると、なんだか自分がきちんと振舞えているか急に気になってきたぞ。
「えーっと、糸美川さん今の僕ってきちんと出来ている?」
「ふふっ。先ほども言いましたけれど、基本的には大丈夫だと思いますよ」
「よ、良かった……」
「そして、目標に向かって頑張るという点については、私にお任せください」
合わせた両手をほどいて、片手でそっと自身の胸に当てる仕草は、とても洗練されて様になっていた。
おおう、これが整っているということか。
「湊君の身嗜み、バッチリ協力していきますよ」
「お願いします。先生!」
なんて頼もしいんだ、糸美川さん。
思わず僕は再度の先生呼びだ。
「はい、先生にお任せです。ですので、湊君」
あれ、なんか糸美川さんの芽が鋭いような?
「早速チェック、入れていきましょうか」
いつも通りの柔らかい口調ながら、甘えのない糸美川さんの声に、僕の背中を一筋の汗が伝う。
あれ?なんだかちょっと嫌な予感が。
「お、お手柔らかに、お願いします」
とはいえ逃げ出す選択肢もなく、僕は怯えながらもそう答えるしかないのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます