第1話 魔女狩り官と公認魔女
「“魔女狩り課”……ですか。へぇ、本当にあるんですね……」
名刺を渡すと、大体は同じような反応だ。印字された肩書きと、俺の顔とを何度か見比べながら、奥さんは眉を寄せる。
スーツにコートを羽織った若造が“魔女狩り”なんてものを名乗れば、そりゃ誰だって怪しむだろう。
ましてや、こんな静まり返った団地の一角で。
「一応、厚生労働省の所属なんですよ。……まあ、ホームページの端っこのほうにちょろっと載ってるだけで、詳細は極秘なんですが。はは……」
乾いた笑いと同時に、秋風が団地の隙間を吹き抜けた。革靴で踏んだ落ち葉がパリッと割れ、その音が妙に大きくコンクリートに跳ね返る。
「それで――娘さんは今日いらっしゃいます?」
部屋の中を覗こうとした瞬間、奥さんは慌てて体をひねり、俺の視界を塞いだ。
「ま、まさか……うちの娘が魔女だって言うんですか!?」
そう怯えられるのも無理はない。
「目が死んでる」だの、「感情がなさそう」だの、普段から俺はそんなふうに言われることが多い。きっと奥さんには俺が娘の命を刈り取りに来た死神にでも見えているんだろう。
「いやいや、そんな乱暴な話じゃありません。中世のヨーロッパみたく適当にしょっ引くわけでないので。日本の魔女狩りは、まあ、それなりに健全ですよ。今日はただ、例の夢遊病について本人から少し話を伺いたくて」
納得はいっていなさそうだったが、奥さんは娘を連れて恐る恐る戻ってきた。娘は帰宅したばかりなのだろう、まだ制服姿だった。
「えっと、う〜ん、夢遊病がどうって言われても、結局寝てるんですから私。どこで何してたとか、全然覚えてないですよ。最初に防犯カメラの映像を見せられたときはマジで恐怖ですよ恐怖。ほら、ホラーとかにある幽霊に取り憑かれた系じゃんって感じ。お母さんが心配して、玄関にナンバーロックかけて寝てたんですけど、そしたら私、今度はベランダから出ようとしてたらしくて。同級生の咲って子なんて、窓ガラス割って飛び降りて、足折っちゃったし」
娘が軽い口調で話す一方、母親は対照的に両手で顔を押さえ、泣き出しそうな声で続けた。
「だから……夢遊病がするようにさせた方が、まだ安全なんです……。止めようとすると、この子……もっと危ないことをしようとしてしまうから……」
夜の徘徊を止めるほうが危険――そんな地獄のような選択を、親が受け入れている。
その痛みをよそに、娘は明るく言った。
「でも聞いてくださいよ! 夢遊病が始まってから、私、テストの点が上がったんです!」
*
この街の空気は、どこかひんやりと冷たかった。
遠くで子どもの声がしたかと思えば、風にかき消されて、すぐに途切れる。その静寂は自然な静けさではなく、音が吸い取られているような、不気味な凪ぎだった。
魔女狩り官として何度も現場に立ってきた経験からいえば──
これは魔女の潜む街に共通して漂う兆候に近い。
俺はホテルの机にノートPCを広げ、電子上で散らばっていた書類に手をつけた。
一次踏査の報告書を地図に重ねてみると、夢遊病の発症者の家が赤い点になってずらっと並んでいた。例の団地のまわりだけ、まるで誰かが落書きしたみたいに真っ赤だ。
しかも発症者は全員十七歳。発症した時間はどれも深夜一時前後。
こうも揃うと、もう“偶然”って言葉のほうが嘘くさい。
保健所の見解には「医学的説明は困難」とだけ素っ気なく書かれている。実質“そっちで処理してくれ”という意味だ。
聴取調書には今日一日で十数軒回って聞き取った内容をまとめ、そして、W.S.P.Dスコア表。魔女疑惑事象の濃度を数値化した、魔女狩り課独自の評価システムだ。項目を五段階で評価し、総合値が基準を超えると次のフェーズに移る。
今回の件は、その基準値を――軽く、飛び越えていた。
俺は無言で申請フォーマットを開く。
“公認魔女出動申請書”
指名欄には名前をもう打ち込んである。迷う余地なんてなかった。
――公認魔女第二号:『スオウ』。
そして提出を終える頃には、カーテンの隙間から淡い朝日が差し込んでいた。この仕事に就いてからというもの見慣れた光景。
俺は椅子を押しのけて、冷蔵庫から炭酸水のペットボトルを取り出して、ベッド脇のサイドテーブルに置いた。ひと息ついて飲もうと思ったが、自然と俺の身はベッドへ沈んでいき、そのまま溶けるように眠りへ落ちていった。
──だが、目覚めはあまりに唐突で、心臓に悪いものになった。
人の気配を感じて、反射的に身体が跳ね起きた。
寝起きの視界はまだ霞んでいたが、そこに立つ影だけははっきり分かった。ベッド脇、手の届く距離に黒髪の少女がいる。
切り揃えられた漆黒の髪は午前の青光を吸い、無機質な艶だけを残して静かに揺れていた。
白磁人形のような、傷一つない肌。
表情がまったく動かない。その不自然さが「生きているのか?」という証拠を探す俺の視線を撹乱させる。
黒いコートに包まれたその姿には、空気を冷やすような静けさと、妖しさがまとわりついている──現代に生きる“魔女”をイメージするなら、彼女の容姿が最適解だろう。
「スオウ、いるなら言ってくれ。それに──どうやって入ったんだよ」
寝起きの声でそう問いかけると、スオウは一拍の沈黙を残し、まぶたひとつ動かさずに答えた。
「私、魔女ですから」
乾いた響きなのに、不思議と異論を挟む余地のない言葉だった。まるで《物理法則です」と言われたかのような、揺るぎのなさ。
「……オートロックくらいお茶の子さいさいってか。空き巣でもやってけそうだな」
冗談めかして肩をすくめてみせると、スオウはゆっくりと首を傾けた。感情によるものではなく、“理解のプロセスとして動かしている”だけのようなぎこちなさで。
「魔女が一度でも犯罪を犯せば、どうなるか知ってますよね。公認魔女でも例外じゃありません」
「──死刑、だな」
自分で言っておきながら、ぞくりと背中が冷える。
だがスオウは眉一つ動かさず、ただその言葉を無音で受け止めた。無機質な闇色の瞳が鎮座したまま。
「だから、私は必要があったから入っただけ。犯罪行為には該当しません」
「はいはい。俺が呼びました。すんません」
間を埋めるように、サイドテーブルに置きっぱなしだった炭酸水の蓋を開ける。
ぬるくなった液体が喉を落ちていく感触は、妙に味気ない。
「芹沢さんって、なぜか私ばかり指名しますよね。他に二人いるのに。……指名回数で何か
唐突すぎる一言に、ほぼ抜けていたはずの炭酸が口の中で暴発した。
「バカ言え。理由は一つだ。お前は“99.9パーセント善性”なんて数値を叩き出した、公認魔女の中でも最も扱いやすい書類上の優等生だからだ」
「ふーん。……なるほど、書類は裏切りませんからね」
スオウは興味があるのかないのか分からない相づちを打ち、白磁めいた顔に淡い影を落とした。
支度を終え、外へ出る。
背中にはロングケース。肩にかけ直すと、硬い輪郭がコート越しにゴツンと当たった。
スオウは無言のまま俺に並んで歩く。
黒いコートが朝の風をはらみ、光の帯の中を滑るように揺れた。
魔女を探すために魔女を連れる。
やっていることは矛盾しているようでいて、これが人類が辿り着いた“答え”だ。
かつて中世での魔女狩りでは、無実の人間が六万人以上も殺されたという。
ただの噂、ただの偏見、ただの見えない恐怖が、人を燃やし、人を水に沈め、家族を壊した。
人類はもう二度と、同じ過ちを繰り返せない。
だからこそ、魔女狩り課にはひとつの鉄則がある。
――“魔女だ”という判断は、魔女のみが行う。
魔法の痕跡と気配は一般人には感じれない。
だから、魔女が魔女を裁くしかない。
この制度は、冤罪という名の呪いを人類が克服するための最後の砦だ。
そしてもし──“魔女”だと断定が済んだ場合。
その瞬間に、俺には特例中の特例が与えられる。
それは、
――人を殺してもいい権利だ。
ゆるい昼間の街路を歩くなか、ロングケースに入ったM4カービン銃の見慣れた重量が、肩の筋にじわりと馴染んでいた。
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