第12話 二人の旅

 城門を出た。


 街道が続いている。石畳から土の道に変わった。両側に畑が広がっている。農夫が鍬を振っている。牛が草を食んでいる。のどかな風景。平和な風景。戦乱の時代には見られなかった光景だ。


 朝の空気が冷たい。でも、日差しは暖かい。いい天気だ。旅日和だ。


 ネルフィアは隣を歩いていた。足を引きずっていたが、昨日よりはましだ。若いから回復も早いのだろう。大きな鞄を背負っている。剣も背負っている。重そうだ。でも、文句は言わない。顔は嬉しそうだ。


「ねえ、エルフィ」


 ネルフィアが言った。


「どれくらいで着くの? 森」

「……半日」

「半日かー。結構あるね」


 エルフィは答えなかった。


「ねえ、エルフィ」

「……何だ」

「あんたさ、どこから来たの?」

「……遠くだ」

「遠くって、どこ?」

「……遠く」

「答えになってないよ」


 エルフィは黙った。


 ネルフィアは気にしていない様子で話し続けた。


「あたしはさ、ずっとあの街にいたんだ。生まれてからずっと。ずっと。外に出たことなかった」

「……ずっとか」

「そう。長い? 短い?」

「……短い」

「だよね。あんたは何歳なの?」

「……覚えていない」

「覚えてないって、そんなことある?」

「……ある」


 ネルフィアは首を傾げた。不思議そうな顔。でも、深くは聞かなかった。そういうところは空気が読めるのかもしれない。


「まあいいや。あたしより年上なのは確かでしょ」

「……ああ」

「どれくらい年上?」

「……かなり」

「かなりって、どれくらい?」

「……かなり」

「またそれ」


 ネルフィアは笑った。明るい笑い声。街道に響く。すれ違う旅人が振り返る。気にしていない。


「あんた、話すの苦手でしょ」

「……苦手ではない」

「じゃあ何で短い返事ばっかりなの?」

「……話すことがない」

「あるでしょ、いっぱい。どこから来たとか、何してたとか、好きな食べ物とか」

「……」

「ほら、黙った」


 エルフィは前を向いて歩いた。答えられないことが多すぎる。長い過去の話をするわけにはいかない。あの方の話をするわけにはいかない。だから、黙る。


 ネルフィアはついてきた。諦めずに話し続けた。沈黙を埋めるように。賑やかに。


「あたしはね、肉が好き。焼いた肉。塩振って、火で焼いたやつ。シンプルなのが一番おいしい。あと、パンも好き。焼きたてのやつ。今朝、パン屋の前通ったでしょ? いい匂いしてたよね」

「……そうか」

「エルフィは? 何が好き?」

「……何でも食べる」

「好き嫌いないの?」

「……ない」

「すごいね。あたし野菜苦手なんだ。特に緑のやつ。葉っぱみたいなの」

「……食べた方がいい」

「分かってるけどさー。おいしくないんだもん」

「……栄養になる」

「うわ、あんたそういうこと言うんだ。お母さんみたい」

「……」


 また笑った。屈託のない笑い。楽しそうな笑い。何がそんなに楽しいのか。エルフィには分からなかった。


 エルフィは横目でネルフィアを見た。


 よく喋る子だ。黙っていられないのだろう。沈黙が苦手なのだろう。それとも、ただ楽しいのか。初めての旅が。初めての冒険が。


 街道が続く。畑が途切れた。木々が増えてきた。森が近づいている。


「ねえ、エルフィ」

「……何だ」

「あんた、なんであたしを連れてきてくれたの?」


 エルフィは少し考えた。


 なぜだろう。気まぐれだと思っていた。でも、本当にそれだけだろうか。あの少女の目に何かを見たからか。心の強さを見たからか。それとも、寂しかったからか。長い間、一人で歩いてきた。誰かと歩きたかったのか。


 分からない。自分でも分からない。


「……分からない」

「分からないの?」

「……ああ」

「変なの」


 ネルフィアは笑った。責めているのではない。ただ、おかしいと思っているだけだ。


「でも、嬉しい。理由なんてどうでもいい。連れてきてくれたことが嬉しい。初めてなんだ、こういうの。誰かと一緒に旅するの」

「……そうか」

「あんたは? 誰かと旅したことある?」


 エルフィは答えなかった。あった。長い間、あの方と共に歩いた。でも、それは言えない。


「……昔」


 それだけ言った。


「昔かー。誰と?」

「……大切な人と」

「へえ……」


 ネルフィアは何かを感じ取ったのだろう。それ以上は聞かなかった。空気を読んだのか。それとも、エルフィの声に何かを聞き取ったのか。


 道が森に入った。木陰が涼しい。鳥の声が聞こえる。葉の擦れる音が聞こえる。木漏れ日が地面に模様を描いている。


「わあ、森だ! 初めて入った!」


 ネルフィアの目が輝いた。きょろきょろと辺りを見回している。子供のように。無邪気に。


「すごい、木がいっぱい。こんなに大きいんだ。鳥もいる! あ、リスだ!」


 指を差している。本当にリスがいた。木の枝を跳ねている。ネルフィアは目で追っている。


 エルフィは黙って歩いた。


 昔、この道を歩いたことがあった。あの方と一緒に。戦の合間、少しだけ休息を取った時。二人で森を歩いた。静かだった。穏やかだった。あの方は何も言わなかった。ただ隣にいた。それだけで十分だった。言葉は要らなかった。沈黙が心地よかった。


 今は違う。


 隣にいるのは、よく喋る少女。静かではない。穏やかでもない。騒がしい。賑やか。正反対だ。


 でも、悪くはなかった。不思議と、悪くはなかった。


「ねえねえ、エルフィ! あの花なに? 見たことない!」

「……知らない」

「知らないの? じゃああれは? あの木、変な形してる!」

「……知らない」

「あんた、知らないこと多いね」

「……そうだな」


 ネルフィアはまた笑った。


 道が続く。森が深くなっていく。日差しが木の葉に遮られる。薄暗くなっていく。


「魔物って、どんなやつなの?」


 ネルフィアが聞いた。声が少し低くなった。緊張しているのだろう。さっきまでの無邪気さが消えている。


「……依頼書によると、狼型だ」

「狼? 普通の狼とは違うの?」

「……魔力を持っている。普通の狼より大きい。速い。強い。群れで動く」

「群れ……何匹くらい?」

「……依頼書には書いていなかった。現地で確認する」

「へえ……」


 ネルフィアは剣の柄に手を置いた。無意識だろう。指が柄を握っている。力が入っている。


「勝てるかな、あたし」

「……分からない」

「分からないって、そんな」

「やってみなければ分からない。それが実戦だ」


 ネルフィアは黙った。少しだけ。足が止まりそうになった。でも、止まらなかった。


「……うん。そうだよね」


 また歩き出した。足取りは変わらない。緊張はしている。でも、怯えてはいない。前を向いている。逃げようとしていない。


「やってみる。精一杯やってみる。あんたに見せてやる。あたしだって戦える」


 エルフィは答えなかった。


 でも、少しだけ。ほんの少しだけ。口の端が上がったかもしれない。


 誰にも気づかれないほど、わずかに。


 二人は歩き続けた。森の奥へ。魔物のいる場所へ。


 片方は喋り、片方は黙る。噛み合わない二人。でも、歩調は合っている。同じ方向を向いている。同じ道を歩いている。


 旅が二人になった。


 それは確かなことだった。


 久しぶりの仲間。いや、仲間と呼んでいいのか分からない。まだ出会ったばかりだ。まだ何も知らない。でも、隣にいる。一緒に歩いている。それだけは確かだった。


 木漏れ日が揺れている。風が吹いている。葉が舞っている。森は静かで、でも生きている。虫の声がする。鳥の声がする。命の気配がする。


 この道の先に、何があるのか分からない。この少女と、どこまで歩くのか分からない。でも、今はそれでいい。今は、ただ歩く。


 エルフィは前を見た。ネルフィアは横で喋り続けている。うるさい。でも、静かより良いかもしれない。


 長い沈黙が、少しだけ破られた。

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