第6話 試し

 扉を開けると、陽の光が差し込んだ。


 訓練場は広かった。


 踏み固められた土の地面。広さは五十歩四方ほどある。周囲には木の柵が巡らされている。的や案山子が立っている。剣や槍が壁に立てかけられている。使い込まれた武器ばかりだ。刃こぼれした剣。折れた槍の柄。曲がった盾。穴の空いた防具。ここで多くの者が鍛錬してきたのだろう。汗を流し、血を流し、骨を折り、技を磨いてきた。


 今は誰もいない。人気がない。物音もしない。静かだ。乾いた風が吹いている。砂埃が舞う。埃っぽい匂いがする。土の匂いがする。昼下がりの陽射しが、訓練場を照らしている。


 ベルグは訓練場の中央まで歩いていった。


 足取りに迷いがない。この場所を熟知している。何度もここで戦い、何度も勝ってきたのだろう。背中を見ているだけで分かる。自信に満ちた歩き方。支配者の歩き方。この場所の主の歩き方。堂々としている。威厳がある。風格がある。自信がある。


 訓練場の中央で振り返った。


「ここなら多少暴れても問題ない。周りに迷惑はかからん」


 腕を組んで、エルフィを見た。品定めの目。値踏みの目。


 声が響いた。低く、重い声。修羅場を潜ってきた者の声だ。


 野次馬が集まってきている。


 酒場にいた冒険者たち。受付の女もいる。柵の外に並んで、こちらを見ている。最初は二十人ほどだった。噂を聞きつけて、さらに増えていく。三十人。四十人。五十人。ギルドの中から次々と出てくる。窓から顔を出している者もいる。屋根に登っている者までいる。子供たちも混じっている。老人もいる。様々な者がいる。


 これだけの人数が見守っている。全員がこちらを見ている。期待と好奇心に満ちた目。見世物を待つ目。賭けの結果を待つ目。娯楽を求める目。血を求める目。残酷な目。だが、正直な目だ。


「なあ、あれ本当に戦うのか?」

「ギルド長相手に? 正気か?」

「ただの細っこい女だぞ」

「でも水晶壊したんだろ」

「魔力があるのと戦えるのは別だからな」

「どうせ五秒で終わるな」

「おれは三秒に賭ける」

「金は持ってるか?」

「見りゃ分かるだろ、ボロボロだ」

「じゃあ賭けにならねえな」

「可哀想に。死ぬぞ、あれ」

「まあ、本人が望んだんだろ」

「ギルド長も大人げねえな」


 笑い声が上がった。


 エルフィは気にしなかった。


 こういう光景は見慣れている。昔もそうだった。初めてあの方の前で戦った時も、周りは笑っていた。混血の小娘が何をできる、と。誰もが嘲笑っていた。幹部たちも。兵士たちも。侍女たちも。誰もが笑った。誰もが馬鹿にした。


 だが、あの方だけは笑わなかった。


 玉座から、じっとこちらを見ていた。あの目を、今でも覚えている。品定めではなかった。値踏みでもなかった。嘲りでもなかった。蔑みでもなかった。ただ、見ていた。こちらを見てくれていた。他の誰でもない、自分を見てくれていた。


 あの日から、全てが変わった。


 あの方に拾われた。あの方に仕えることを許された。あの方の側近になった。遠い昔のことだ。


 ベルグが腰の大剣に手をかけた。


全身に力が漲っている。ただ、抜かない。構えを取る。重心が沈む。膝が曲がる。いつでも動ける姿勢。殺気が滲み出ている。空気が重い。圧がある。威圧感がある。


「来い」

「そちらから来ないのか」

「お前を試す。お前から来い」


 エルフィは静かに歩き出した。


 ベルグの目が細くなった。警戒している。水晶を壊した相手だ。油断はしていない。全身から殺気が滲み出ている。本気で殺す気だ。


 それでいい。


 試しとはそういうものだ。手加減されては、試しの意味がない。昔もそうだった。あの方の前で戦った時も、相手は本気だった。殺す気で来た。だから、こちらも本気で応じた。そして、勝った。それが始まりだった。


 一歩。二歩。三歩。


 ベルグは動かない。待っている。間合いに入るのを待っている。獲物が罠に入るのを待つ狩人のように。じっと、動かない。


 四歩。五歩。


 間合いに入った。


 ベルグの呼吸が変わった。殺気が膨れ上がる。空気が張り詰める。緊張が走った。野次馬たちが息を呑む。静まり返る。誰も声を出さない。誰も動かない。息を呑んでいる。固唾を呑んでいる。


 ベルグが動いた。


 速い。


 大きな体からは想像できない速度。踏み込みが深い。足音が響く。土煙が上がる。地面が抉れる。衝撃が走る。振動が伝わる。一瞬で間合いを詰め、大剣を抜き放つ。横薙ぎ。首を狙っている。当たれば死ぬ。躊躇がない。手加減がない。本気だ。


 悲鳴が上がった。


「危ない!」

「逃げろ!」

「死ぬぞ!」


 エルフィは動かなかった。


 指先が光った。緑の光。魔法陣が浮かぶ。一重。小さな魔法陣。


 大剣が止まった。


 首の寸前で、見えない壁に阻まれている。刃が首に届かない。あと一寸で首が飛んでいた。


 ベルグが押し込もうとする。腕の筋肉が膨れ上がる。血管が浮き出る。歯を食いしばる。唸り声を上げる。動かない。力を込めても動かない。一寸も動かない。


「魔法陣か」


 ベルグが呟いた。声が固い。


「触媒なし。発動も見えなかった。一重でこれだけの強度……」


 野次馬たちがざわめいた。


「止めた……?」

「ギルド長の一撃を?」

「嘘だろ……」

「あの細い体で?」

「魔法だ。魔法で止めたんだ」

「見えなかったぞ。いつ発動した?」

「触媒もなかったぞ」

「触媒なし? あの速度で?」

「化け物か……」


 ベルグが後ろに跳んだ。


 距離を取る。五歩。十歩。大剣を構え直す。息が上がっている。額に汗が浮いている。肩で息をしている。全力を出した証拠だ。目つきが変わっている。獲物を見る目ではない。敵を見る目。警戒の色が濃くなっている。油断が完全に消えている。


「なるほど」


 ベルグが言った。低い声。押し殺した声。だが、闘志は消えていない。むしろ燃え上がっている。


「少しは本気を出す必要があるらしい」


 エルフィは答えなかった。


 ベルグを見ていた。強い。この男は強い。今の時代では、相当な使い手だろう。だが——まだ足りない。全然足りない。比べるのも失礼なほどに。あの方の下で戦っていた幹部たちには及ばない。


 ベルグの周囲に、光が生まれ始めた。


 赤い光。力を帯びた光。圧が漂う。空気が揺らぐ。


 魔法陣が浮かび上がる。一重。赤い光。圧が生まれる。空気が重くなる。息が詰まる。二重。空気が震える。風が渦を巻く。突風が吹き荒れる。三重。地面がひび割れていく。土が舞う。軋む音がする。


 四重。


 魔力が渦を巻いた。轟音が響く。


 野次馬たちがどよめいた。


「四重展開……!」

「ベルグの本気だ……」

「Sランクの魔物相手にしか使わねえやつだぞ」

「おい、離れろ! 巻き込まれるぞ!」


 野次馬たちが柵から離れる。だが、目は離さない。見届けたいのだ。怖いもの見たさだ。好奇心だ。本能だ。いつの時代も変わらない。それも昔からいつの時代も変わらない。人間も魔族もエルフも、そこは同じだ。


 四重の魔法陣が宙に浮かぶ。訓練場が赤い光に染まる。圧が渦を巻く。押し潰されそうな重さ。空気が歪む。砂埃が舞い上がる。案山子の一つが弾け飛んだ。木片が散る。土煙が広がる。


 野次馬たちが悲鳴を上げた。


「圧が……!」

「息ができねえ!」

「もっと離れろ!」


 ベルグの顔が、魔法陣に照らされている。赤い光に染まっている。目が据わっている。完全に本気だ。


「受けてみろ」


 魔力が、放たれた。


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