第179話 診察
さらに奥へ進むと、ガシャン、ガシャンと何かを破壊するような音が響いてきた。
現れたのは、無数の本が集合してできた巨人のようなゴーレムだ。
だが、その動きは奇妙だった。
右腕をだらりと力なく下げ、近づく者を拒絶するように左腕だけを乱暴に振り回しているのだ。
「GOOOOOW!!」
ゴーレムが俺たちに気づき、左腕を振りかぶる。
風を切る豪腕。直撃すればただでは済まない。
「うおっ、危なっ……!」
俺は反射的に避けようとして――踏みとどまった。
避ければ、背後の書架が壊れる。受け止めれば、相手が壊れる。
どうしよ。
避けるのは簡単だけど、避けたところで先はない。
「どいていろ!」
絶体絶命の瞬間、前に出たのは諒さんだった。
彼は暴れる左腕の軌道を冷静に見切り、紙一重で躱す。
その瞳は、恐怖ではなく、冷徹な観察眼としてゴーレムの身体構造をスキャンしていた。
「……右肩が外れているな。痛かろう。それで気が立っているのか」
診断は一瞬。
諒さんはゴーレムの懐に飛び込むと、暴れる左腕をいなし、だらりと下がった右腕を掴んだ。
攻撃ではない。
医師ならではの解剖学的理解に基づく、的確なポジショニング。
「
諒さんが、テコの原理と魔力操作を組み合わせて、右腕を一気に押し込んだ。
骨と骨が正しい位置に収まるような、鈍く重い音が響いた。
というかゴーレムに骨はあるのか。
その瞬間、ゴーレムの動きがピタリと止まる。
痛みが消えたのだろう。ゴーレムは自分の右腕を不思議そうに動かし、それがスムーズに回ることを確認すると――諒さんに向かって、深々と一礼した。
そしてサラサラと崩れ落ち、元の本の山へと戻っていった。
「おお、お見事です」
俺は思わず拍手を送りそうになり、ポケットの中で手を止めた。
鮮やかすぎる。
魔法の威力や規模なら、間違いなく俺の方が上だ。だが、あんな芸当は逆立ちしてもできない。
法則が分かれば、あとは専門家の独壇場となる。
諒さんの快進撃だ。
ヒュー、ヒューと呼吸音のような音が鳴り響く半ば霧化している魔物には、「
不規則に明滅し、今にも爆発しそうな光の珠のような魔物に対しては、「不整脈を起こしている。リズムを整えるぞ」と、微弱な魔力を送って正常な鼓動へと戻した。
次々と「患者」を治療し、道を切り拓いていく背中。俺はただ、その後ろをついて歩くだけだった。
「……すごいですね」
一段落したところで、俺は素直に声をかけた。
「俺なら全部ワンパンで解決しようとして、永久に追い出されてました。これが『医者』の力ですか。参考になります」
お世辞ではない、心からの称賛だ。
水瀬さんの時もそうだが、棚ぼたで力を得た俺とは違い、地力で技術を高めてきた人達の「力」の使い方は大いに参考になる。
自分を卑下するわけではないが、やはりそっち側の人達への憧れというか、尊敬の念はあった。
すると、諒さんはフンと鼻を鳴らした。
「お前と一緒にするな。……医療の本質は『観察』だ。相手が何を訴え、どこが悪いのかを見極め、手を差し伸べる。暴力で黙らせるのは三流のやることだ」
彼は杖型の魔導具を回し、少し照れくさそうに口元を緩めた。
「それに……こうして純粋に治療して回るのも、悪くない気分だ」
「え?」
「現実の医療現場は、綺麗事だけでは済まないからな。助けたくても助けられない命も多い。だが、ここでは私の技術が確実に『救い』になる」
諒さんは、どこか晴れやかな顔で言った。
そこには、妹を溺愛する変人兄貴の姿はない。
命と向き合い続ける、一人の誇り高き医師の姿があった。
「ふん、喋りすぎた。行くぞ。最深部は近いはずだ」
「はい、諒さん」
俺たちの間には、単なる監視役と不審者ではない、確かな
……まあ、妹絡みになればまた別なんだろうけど。
そうして順調に進んでいたわけだが、回廊を抜けた先で、世界が一変した。
そこは、天井の高い、純白のドーム状のホールだった。
本棚も、羊皮紙も、装飾も何もない。あるのは、ただ圧倒的な白と、静寂。
そして中央には、目隠しをした巨大な女神の石像が鎮座し、閉ざされた大扉を守っていた。
『よくぞ参った、癒やし手の探求者よ』
石像の口は動かない。だが、脳に直接響くような荘厳な声が空間を震わせた。
『此処は最深部。【ヒュギエイアの叡智】に至る最後の関門なり』
「ここが……ゴールか」
諒さんがゴクリと喉を鳴らす。
ここを抜ければ、目的の『キュアポーション』のレシピがあるはずだ。
『汝、病を憎み、命を愛する者か。ならば問おう』
女神像が、その見えない瞳で俺たちを見下ろした。
『医学とは選択の連続なり。限られた時間、限られた資源、そして限られた命。
全ての命を救うことは叶わぬ。故に、汝の「選択」と「覚悟」を此処で示せ』
重苦しいプレッシャーが場を支配する。
「……望むところだ」
諒さんが一歩、前に出た。
その顔に迷いはない。数多の命と向き合ってきた医師としての矜持が、彼を支えているのか。
「どんな問いだろうと、私が答えてみせる」
ダンジョン探索用のジャケットを翻すその背中は、どんな高ランク探索者よりも頼もしく見えた。
だが、俺たちはまだ知らなかったのだ。
この番人が突きつけてくる問いが、あまりにも残酷で、正解のない『劇薬』であることを。
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