第174話 ヘタイケな兄

 波乱に満ちた実技試験が終わり、観客たちが興奮冷めやらぬまま帰路についた頃。

 俺たちは岡山ドーム内の貸し会議室に移動し、改めて合格者との顔合わせを行っていた。


 もっとも、合格者はたった一名。

 しかも身内なのだが。


「ああ、桜……! 私の天使マイエンジェル! 数年見ない間にますます美しくなって……! 変な虫はついていないか? いや、私が来たからにはもう安心だ。半径5メートル以内のオスは全て駆除するからな!」

「もう、近いよお兄ちゃん! 離れてってば!」

「何を言うんだ。兄妹のスキンシップだろう? ほら、ハグを——」

「あっち行って! ひろくんが見てるでしょ!?」


 会議室の長机の向こうで、着替えたばかりのスーツを早速着崩しそうな勢いで妹に迫る男――柾木 諒。

 桜は必死に抵抗し、両手で兄の胸板を押し返している。その顔は恥ずかしさで真っ赤だ。

 俺はその光景を、めっちゃ遠い目で見つめていた。


(……これ、本当に採用してよかったのか?)


 先ほどのアリーナでの格好良さはどこへやら。今の彼は、ただの残念なイケメン——いや、ヘンタイなイケメンだった。ヘタイケだ。

 そんな俺の視線に気づいたのか、諒さんがこちらを振り返った。


 瞬間。

 デレデレに溶けていた表情筋が、液体窒素を浴びたように凍りつき、能面のような冷徹さに変わる。


「……柴田浩之」


 低い声。

 諒さんは桜からスッと身を引くと、スーツの襟を正し、俺の正面に立った。

 その佇まいは、先ほどまでとは別人のように理知的で、隙がない。


 改めて近くで見ると、その容姿の良さに圧倒される。

 身長は優に185センチを超えているだろうか。海外仕込みなのか、細身のスーツを完璧に着こなす抜群のスタイル。腰の位置が驚くほど高く、足が長い。

 マスクを外した素顔は、桜に似た端正な顔立ちを、より男らしく、鋭利にしたような正統派の美形だ。


 放たれる『イケメンの圧』が凄まじい。くそっ、眩しい……っ!

 履歴書によれば彼は28歳。俺より一回り以上も年下のはずなのに、その堂々とした態度とオーラに気圧され、つい「さん」付けで呼んでしまう。


「まずは礼を言わせてくれ」


 彼は深く、綺麗な角度で頭を下げた。


「母の件だ。貴方が母を呪いから救ってくれたと聞いた。おかげで母は人生を取り戻すことができた。心から感謝する」


 大河原事件のことだ。桜を手に入れたい大河原が、母親に呪いをかけ自分を頼らせようとした自己中心的なマッチポンプ事件。

 俺としては桜が悲しむ顔を見たくなかっただけだし、ダンジョンで貰った力があったからできただけのこと。

 だが、諒さんにとっては肉親の命の恩人というわけだ。


「いや、俺は自分にできることをやっただけですから。気にしないでください」

「そう言ってもらえると助かる。だが、恩は恩だ。私は受けた借りは必ず返す主義でね。

 だから貴方のギルドの力になりたいと思い志望したのだ」


 諒さんは顔を上げた。

 そこまでは良かった。

 次の瞬間、彼の瞳に修羅が宿った。


「――だが、それとこれとは話が別だ」


 ギロリ、という効果音が聞こえそうなほどの眼光が、俺を射抜く。


「妹や母を救ってくれたことには感謝する。だが、二十歳も離れた、どこの馬の骨とも知れぬ男に、私の大切な桜を預けるなど言語道断だ」

「ええ……」

「いいか? 私はを『妹のパートナー』として認めたわけではない。監視だ。これからは私が、貴様が桜にふさわしい男かどうか、24時間365日、徹底的に査定させてもらう」


 顔が近い。そして怖い。

 さっきの試験の時より殺気があるんじゃないか?


「お兄ちゃん! ひろくんに失礼なこと言わないでよ!」


 見かねた桜が、諒さんの腕にしがみついて距離を取るよう抗議する。

 すると諒さんの表情が、瞬時にして蕩けるような笑顔に切り替わった。


「おお、すまない桜。怒った顔も可愛いな。大丈夫だ、ただの男同士の挨拶だよぉ」

「挨拶に見えなかったけど!?」

「気のせいだ。……おい」


 桜に対しては甘ったるい猫なで声なのに、俺の方を向いて放つ言葉はド低音でドスが効いている。

 桜が目を逸らした一瞬の隙に、諒さんは再び鬼の形相で俺を睨みつけ、口パクで『調子に乗るなよ』と告げてきた。


(……ひぇぇ)


 俺は戦慄した。

 この高速切り替え。情緒不安定なんてレベルじゃない。高低差で耳がきーんとするヤツだ。

 これから同じ職場で、やっていけるのだろうか。


「と、とりあえず、ウチのギルドに加入ということでいいんですよね?」


 俺が恐る恐る確認すると、諒さんは「愚問だな」と鼻を鳴らした。


「入るに決まっているだろう。桜がいるんだ。それに、貴様のような男を野放しにしておけん」

「はぁ、そうですか……」

「ただ、正式な加入には少し時間をくれ。私はこれでもアメリカのギルドに籍を置いている身でね。契約の解除や、向こうの荷物の整理もしなければならない。一度渡米する必要がある」


 ああ、そういえば【フライドチキン・ボーイズ】とかいうふざけた名前のトップギルドにいたんだったか。

 向こうでの地位も捨てて帰ってくるなんて、本当に妹思いというか、行動力が凄い。


「だから、本格的な合流は一ヶ月後くらいになるだろう。

 ……だが、それでは私の気が済まない」


 諒さんは顎に手を当て、提案してきた。


「渡米までの一週間ほど、仮採用期間――試用期間として働かせてもらうというのはどうだ? 私の実務能力を見せる良い機会にもなるだろう」

「あー、なるほど。いいですね、それ」


 俺としても、いきなり本採用より、数日一緒に働いてみて適性を——主に俺との精神的な相性を——見極めたいところだ。


「分かりました。じゃあ、明日から数日間、よろしくお願いします」

「ああ。期待しているがいい。桜ぁ。明日からはお兄ちゃんが一緒だからもう安心だぞ!」

「もうっ! やめてよね!」


 自信満々に頷く諒さんは、次の瞬間にはデレデレとしたダメイケメン——略してダケメンだな——に変体して桜に怒られていた。

 どっと疲れが押し寄せてきたわ。

 肉体的には無傷だが、精神的な疲労が半端ない。


「じゃあ、今日はもう解散しましょうか。俺も疲れましたし」

「そうだね、ひろくん。帰ってご飯にしよっか」

「うん、カツ丼にしよう。特大のやつ」


 俺と桜が部屋を出ようとする。ティアは既に扉の外だ。

 すると当然のように、諒さんもついてこようとしてきた。


「カツ丼か。悪くないな。私も同行しよう。ああ、桜の手料理など何年ぶりだ……」

「あ、待ってください柾木さん」


 出口へ向かおうとした諒さんの背中に、冷徹な声が突き刺さった。

 白雪さんだ。

 彼女は分厚い書類の束をデスクに叩きつけ、にこりと笑顔を作った。


「ギルドへの契約手続き、および身元保証、守秘義務契約、海外ギルドとの権利関係の確認書類……山ほどありますので。今からすべて処理していただきます」

「なっ……!?」

「【空飛ぶ大福】ギルドメンバーになるということは、ADA日本支部への登録も必要です。特にお兄様は海外籍。手続きは複雑怪奇ですよ?

 ……まさか、書類仕事から逃げるつもりではありませんよね?」


 白雪さんの目が、「逃がさん」と語っている。

 あの目は、残業確定の時の目だ。


「ま、待て! 私は桜と夕食を——」

「じゃあね、お兄ちゃん! 手続き頑張って! 明日ね〜!」

「さ、桜!? 待っ、置いていかないでくれぇぇぇッ!!」


 バタン。

 俺は無慈悲に会議室のドアを閉めた。

 分厚い扉の向こうから、シスコン兄の絶叫と、白雪さんの「はい、ここにサイン」という淡々とした声が聞こえてきた気がした。


 こうして、最強に面倒くさくて頼もしい仲間が、一人増えたのだった。

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