第162話 有能なる事務官
桜が「はーい」と言いながら、インターフォンパネルを操作し玄関のロックを解除した。
パネルにドアが開閉されたアイコンが点灯すると、スリッパの音が廊下を近づいてくる。
いつもの、理知的でクールな彼女のリズム――にしては、なんだか重く、引きずるような足音だ。
「お疲れ様です、柴田さん……」
リビングに入ってきた白雪を見て、俺と桜は息を呑んだ。
「し、白雪さん!? 大丈夫!?」
いつもはファッション誌の表紙から抜け出てきたように完璧な彼女の姿が、今日は見るも無惨だった。
きっちりとまとめられていた髪には数本の乱れがあり、何より目の下に、深いクマができている。
高級そうなスーツの肩には、誰かの手形のような汚れすらついていた。背負っているブランド物のバッグが、まるで鉛の塊のように重そうだ。
全身から漂うオーラはまさに負のオーラ。その美しい瞳からは、生気というものが完全に消え失せていた。
整った顔立ちに張り付いた表情は、能面のように動かない。精神的な疲労が限界突破している証拠だ。
「だ、大丈夫ですか? ADAで何かあったんじゃ……まさか、ダンジョンで異変でも?」
「……ダンジョントラブルなら、まだマシでした」
白雪はフラフラと幽霊のような足取りでソファまで歩み寄ると、ドサリと座り込んだ。
そして、深く、重く、魂が抜けるようなため息をつく。
「……伊達部長に呼び出されて、ADA岡山支所に行ってきたんですが……地獄でした、あそこは」
「え、何があったんですか?」
「すべて、柴田さんのせいですよ」
「えっ、俺!?」
「私は直接見てはいませんが……ADA職員たちの悲鳴と怨嗟の声を聞かせれ続ける数時間でした」
白雪は虚ろな目で天井を見上げながら、ポツリポツリと語り始めた。
なんでも、サンダー・ベルトラブルやダンジョン機能解放、さらにはバチカン事変等々により、世界中の探索者が色めき立ち、【空飛ぶ大福】ギルドに入りたい! という希望者が世界中から殺到しているらしい。
ギルドが何か大きな功績を上げたり、有名になったりした直後には、そのおこぼれや威光にあやかりたい有象無象が殺到する――というのは業界の常らしいが、今回は規模が違ったそうだ。
なんせ、中心にいるのがランクワンだ。しかもその功績がダンジョン史に残ると言っても過言ではないやらかしの数々。
魅惑的な金や名声の匂いがプンプンするんだろう。
「同僚達が泣きながら私にすがりついてきましたよ。『電話が鳴り止まないんだ、白雪くん!』『三日間寝てない!』『窓口に数百人が押し寄せて機動隊が出た!』と」
白雪の話では、ADAの回線はパンクし、業務は完全に麻痺。
ウチが外部に拠点情報を出していないので——それでもなぜか情報漏洩の憂き目に何度もあっている気がするが——加入希望者がADAに行ってしまったんだろう。
メールも多すぎて対応しきれないしなぁ。
「『柴田氏はどうなってるんだ』『早く募集を開始してくれ』『このままじゃADAが潰れる』……そんな愚痴と悲鳴を、延々と、延々と聞かされ続けました。……私の精神はもうボロボロです」
「うっ……も、申し訳ない……」
俺がのんびりと「カツ丼食いたいなぁ」などと平和な妄想をしていた裏で、彼女は中間管理職の悲哀を一身に背負っていたらしい。
「それで部長の伊達からは『本来なら一ギルドの人事に口は出さないが、これではADAの業務にならない。なんとかしてくれ』と伝言を受け取ってきました。まぁADA側の都合なので、気にされる必要はないですよ」
リアルなゾンビ映画の主人公のような体験をしてきたらしい白雪さんは、それでも放っておいて言いと言ってくれた。
彼女のこういうさっぱりしている部分は嫌いじゃない。
そんなゾンビ状態の白雪さんに、桜が慌ててキッチンへ走り、温かい紅茶とお茶請けの羊羹を持ってきた。
「白雪さん、これ食べて! 糖分摂らないと!」
「……ありがとうございます、桜さん。五臓六腑に染み渡ります……」
羊羹を一口食べ、白雪はようやく少しだけ生気を取り戻した。
彼女はコクリと紅茶を飲み干すと、キリッとした表情に戻る。
「……で、何かご相談があったのでは? 私の顔を見るなり、何か言いたげでしたが」
さすがプロ。疲れていても、俺たちの空気の変化を感じ取ったらしい。
俺は居住まいを正し、切り出した。
「ああ、実はですね。かつ丼……じゃなくて、ダンジョンで農業をやりたいんですが、そのためにダンジョンの占有権、あるいは管理権をギルドとして正式に取得したいんです。法的に上手いやり方はないかと思って」
俺の言葉に、白雪は眉をひそめた。
「……ダンジョンの私物化、ですか。通常なら門前払いされる、傲慢極まりない案件ですね。ADAも国も、重要資源であるダンジョンの権利を手放すはずがありません」
「やっぱり無理か?」
「いえ、ADAに限定して言うなら、今のこの状況なら、むしろ好機かもしれません」
白雪さんの口元に黒い笑みが浮かんだ。
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