第157話 日常への帰還

 マカオ国際空港。

 出発ロビーの喧騒は、数日前のオークション会場の熱気とはまた違う、日常的な活気に満ちていた。

 巨大なガラス窓の向こうには、俺たちを日本へと運ぶ飛行機が翼を休めている。


「本当に、怒涛の数日間だったね」


 隣を歩く桜が、ポツリと呟いた。

 彼女の手には、お土産の入った紙袋が握られている。中身はエッグタルトや杏仁餅といった、マカオの銘菓たちだ。

 世界を揺るがす戦いを終えた後でも、こうしてお土産を忘れないところが桜らしい。


「ああ。観光に来たはずが、気付いたら世界の裏側まで行ってしまった気分だなぁ」

「ふふっ、ひろくんらしいよ。

 ひろくんの周りには、いつもトラブルと……素敵な出会いがあるんだね」


 桜が優しく微笑む。

 ジェームズたちとの出会い。

 ジェン・リーとの確執。

 そして、【朱雀】との死闘。

 短期間で多くのことがありすぎたが、終わってみれば、得難い経験だったと思える。


 俺たちは飛行機に乗り込み、シートに身を沈めた。

 やがて機体が滑走路を走り出し、浮遊感が体を包む。

 眼下に広がるマカオの街並み。

 カジノの摩天楼も、歴史ある教会も、そしてあの『マーコダンジョン』の入り口も、全てが小さく、おもちゃのように遠ざかっていく。


 俺はずっと窓の外を眺めていた。

 雲を抜け、青空が広がる。


 あの雲の下に、厳然たるシステムが存在する。

 地球を作り変えようとする巨大な意思。

 俺はその一端に触れ、そして管理者としての権限を限定的に手に入れた。

 その事実は、本来なら恐怖で震えるような重荷なのかもしれない。


 ふと、肩に温かい重みを感じた。


「……ん」


 桜が、俺の肩に頭を預けてきていた。

 安心しきった寝顔。

 彼女の長い睫毛が震え、規則正しい寝息が聞こえる。

 俺の手を、彼女の両手がしっかりと包み込んでいる。逃がさないように。失わないように。


 その体温が、俺の腕を通して心臓に伝わってくる。


「…………」


 俺は彼女の髪をそっと撫でた。

 

 世界の謎? 地球の魔力循環?

 そんな壮大な話、俺一人の手には余る。

 俺が本当に守らなきゃいけないのは、地球なんてデカいものじゃない。


 ――このぬくもりだ。


 隣で眠る幼馴染の、この安心しきった寝顔。

 ジェームズと交わした握手の感触。

 エミリーの騒がしい声。

 そして、日本で待つ仲間たち。


 俺の手の届く範囲にある、愛おしい日常。

 それさえ守れれば、世界の裏側がどうなっていようと構わない。

 システムがどうとか、管理者がどうとか、そんなものは二の次だ。


「……おやすみ、桜」


 俺は小さく呟き、彼女の手を握り返した。

 飛行機のエンジンの振動が、揺りかごのように心地よかった。


 ◇


 数時間後。

 

「おかえりなさい! 柴田さん、桜ちゃん!」


 玄関を開けると、白雪さんが涙目で飛び出してきた。

 どうやら、マカオでの一部始終――特に俺が倒れたこと――は桜が連絡をして伝わっていたらしい。


「ご無事で……本当によかったです!

 マカオの支部から『正体不明のエネルギー反応によりダンジョン機能が一時停止した』との報告が入った時は、寿命が縮むかと思いました!」

「ごめんごめん、ちょっと張り切りすぎた。

 これ、お詫びのマカオ限定の高級マンゴープリンセット」

「……許します。今回だけですよ?」


 白雪さんはプリンを受け取りながら、それでも心配そうに俺の体を検分していた。

 この空気。帰ってきた、という実感が湧いてくる。


 その夜。

 俺はティアの部屋に向かった。

 いつの間にか和室に改造されていた部屋には、いつものように煎餅をかじりながら茶を啜る、幼女姿の神龍がいた。


「——限定的だが、管理者権限が付与されておるな」


 開口一番、それだった。

 ティアの金色の瞳は、俺の内側にある『管理者権限』の存在を見透かしているようだ。

 やはり、この神には隠し事はできない。


「ああ。偶然だけどな。

 なぁティア。あそこにあった『システム』って何なんだよ。

 地球に魔力を定着させるって、どういう意味だ? 誰が何のためにやってる?」


 俺の直球の問いに、ティアは湯呑みをコトリと置き、ふぅと息を吐いた。


「儂からは言えん。情報統制というヤツだよ。

 ……だが言えたとして、知ったところでお主に何ができる?」

「それは……」

「システムが誰によって作られ、何のために稼働しているのか。

 それを知れば、お主はシステムを破壊するか? それとも管理するか?」


 ティアの視線が、俺の心の奥底を射抜く。


「どちらもできまい。

 世界は既に変化を受け入れたのだ。

 ダンジョンが生まれ、人々はそれを利用し、経済が回り、新たな文化が生まれた。

 もう、ダンジョン無しの世界には戻れんのだよ」


 ティアの言葉は重く、そして真理だった。

 確かにそうだ。


 今さら「ダンジョンは地球改造装置だから壊します」と言って、全てのダンジョンを消滅させたらどうなる?

 世界は大混乱に陥るだろう。エネルギー問題、食料問題、そして探索者という巨大産業の崩壊。

 良くも悪くも、人類はダンジョンと共生する道を選んだのだ。

 今ある現実を否定することは、今の世界を否定することになる。


「お主がどう足掻こうが、なるようにしかならん。

 世界という大きな流れは、一個人の意思ではどうにもならんのだ。

 ならば、お主が気にする必要はない。

 日々移りゆく世界を、ただ受け入れ、楽しめばよい」


「……楽しめ、か」


「うむ。お主はお主のギルドを育て、大切な者を守り、美味い飯を食う。

 それで十分ではないか?

 世界の裏側など、放っておけ。お主が背負う必要はない」


 ティアがニヤリと笑い、バリッと音を立てて煎餅をかじる。

 その豪快な姿を見て、俺の肩から憑き物が落ちたような気がした。


 そうだな。

 俺は勇者じゃない。ただのオッサンだ。

 世界の命運なんて背負い込む必要はない。

 俺は、俺の人生を生きればいいんだ。


「分かったよ。当面は気にせず、楽しくやっていくことにする」

「うむ、それがよい。

 ……ところで、マカオ土産の菓子はまだあるのか?」

「あるよ。エッグタルト買ってきた。まだ温かいぞ」

「ほう! では茶を淹れ直すとしよう! 菓子を持て!」


 ティアが目を輝かせる。

 俺は苦笑しながら、リビングへお土産を取りに戻った。


 こうして。

 俺のマカオ遠征は幕を閉じた。

 知りたくもない秘密の一端に触れてしまう悲しい出来事があったけれども。

 今はただ、この騒がしくも愛おしい日常を、存分に楽しむことにしよう。


 俺たちの冒険は、まだまだ続くのだから。



———————— あとがき ————————


ここまでお読みいただきありがとうございます!

第5章はここまでとなります。

打ち切りエンドみたいな締めになっていますが、もうちょっと続けようと思っています。

今後も応援、よろしくお願いします!


なお、次章はまったりできる話にしたいと考えています。

5章は浩之が頑張りすぎた気がするので、足下を固める話になればいいなぁ。

あくまでもこの物語は浩之がまったりライフを目指す話ですから……多分……きっと。

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