第155話 知らない天井

 ……白い天井が見える。

 鼻を突く消毒液の匂い。

 一定のリズムで鳴る電子音が、ここが日常とは異なる場所であることを告げていた。


 ……知らない天井だ。

 ごく当たり前の感想を述べたところで、顔を横に向けてみた。

 そこは、清潔で広々とした個室病室だった。窓の外からは、南国の明るい日差しが差し込んでいる。


「……ん」


 喉が渇いている。

 声を出そうとして、掠れた音しか出ない。

 すると、ベッドの横で丸くなっていた影が、弾かれたように顔を上げた。


「ひろくん!?」


 桜だった。

 彼女は目を潤ませながら、俺の顔を覗き込んできた。その目は赤く腫れていて、どれだけ泣いていたのかが痛いほど伝わってくる。


「よかった……! 目が覚めた……!」

「さ、くら……。ここは……?」

「マカオの病院だよ。あれから、丸一日眠ってたんだよ」


 桜が震える手で、俺の手を握りしめる。

 俺はゆっくりと記憶を手繰り寄せた。


 【朱雀】との戦闘。システムへの侵入。そして、圧倒的な光による消滅。

 ……全部、夢じゃなかったのか。


「俺たち、どうなったんだ?」

「あの後ね、ひろくんが倒れた直後に、空間全体が光って……気がついたら、私たち全員、ダンジョンの外に放り出されてたの。入り口の広場に、いきなり転移して」


 強制排出か。

 管理者権限を使った影響で、異物として弾き出されたのかもしれない。

 あるいは、俺がシステムをダウンさせたことで、防衛機能がリセットされたか。


「ジェームズさんが、意識のないひろくんを抱えて、すぐにADAの緊急搬送を手配してくれたの。

 検査の結果は、極度の魔力枯渇と脳疲労だって。身体的な怪我はないって言われて、ホッとしたけど……」


 桜の目から、ポロポロと涙がこぼれ落ちた。


「怖かった……。

 ひろくんが、もう目覚めないんじゃないかって……。

 あんな、神様みたいなことして……このまま遠くに行っちゃうんじゃないかって……」


「ごめんな。心配かけて」


 俺は桜の手を握り返した。

 温かい。

 システムの海で感じた無機質な光の奔流とは違う、生身の人間としてのぬくもり。それが俺をこの世界に繋ぎ止めてくれている気がした。


「あ、そうだ。ジェームズは? 腕を怪我していただろ?」

「うん。でも大丈夫だよ。

 ひろくんから預かってた【最高級回復薬エクストラ・ポーション】があったから、すぐに使ったの。今はもう完治してるよ」

「そうか……よかった。ナイス判断だ、桜」


 俺は心底安堵した。

 あの時、ジェームズは左腕を犠牲にして俺たちを守ってくれた。もし後遺症が残るようなことになっていたら、俺は一生悔やんだだろう。

 それを救ってくれた桜には感謝しかない。


 しばらくして、病室のドアが控えめにノックされた。

 入ってきたのは、桜の言葉通り、五体満足な姿のジェームズだった。


「よう。目覚めたか、英雄」


 ジェームズは俺の顔色を見て、ニカっと笑った。


「ジェームズ……無事だったか」

「おうよ。お前の可愛い彼女のおかげでな。あんな希少レアなポーションを惜しげもなくぶっかけてくれたぜ。おかげで古傷まで治っちまった」

「当然です。ジェームズさんは命の恩人ですから」

「本当、助かったよ。ありがとう」


 桜が少し照れくさそうに言う。ジェームズは少し照れくさそうに鼻を擦った。


「命を救われたのは俺の方だろ。……ま、お互い様ってことにしておくか」


 ジェームズはベッド脇の椅子に座り、ふと周囲を見回す俺に気づいて苦笑した。


「エミリーを探してるのか? あいつなら置いてきた」

「えっ?」

「あいつ、最後の局面で気を失ってただろ? お前があの化け物を一撃で葬ったところを見てねぇんだ。

 だから、『気付いたら外にいた。たぶんダンジョンの防衛機能がバグって自壊したんだろう』って説明してある」


 ジェームズが片目を瞑ってみせる。


「お前のあの力……知ってる人間は少ない方がいいだろ?

 あいつは口が軽いし、知ったら『わたくしもあなたみたいになりますわ!』とか言い出しかねん」

「……助かるよ。本当に」


 俺は深々と頭を下げた。

 この男は、どこまでも思慮深く、頼りになる。


 ジェームズは真剣な表情になり、声を潜めた。


「さて、ヒロユキ。一体、何があった?

 エミリーは誤魔化せても、俺の目は誤魔化せんぞ。あの時、お前が何をしたのか」


 ジェームズの眼差しは鋭い。

 ランク2の男が、一人の人間として問いかけてきている。一瞬迷ったが、ジェームズには隠すべきではないと判断した。

 俺は姿勢を正し、石碑に触れた瞬間に脳内に流れ込んできた情報の断片を、一つずつ言葉にした。




———————— あとがき ————————


短いですが、この後まで書くと長くなりそうなのでここで切ります。

次回、浩之が知ったダンジョンの秘密とは——。

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