第152話 深層の守護者

 石造りの床がスライドし、現れた巨大な螺旋階段。

 俺たちはその暗闇へと足を踏み入れた。


 一段降りるごとに、空気の質が変わっていくのを感じる。

 先ほどまでのダンジョン内に漂っていた、湿った土の匂いが消え、代わりに無機質で冷徹な、研ぎ澄まされた空気が肌を刺す。

 それはまるで、真空の宇宙空間に放り出されたような錯覚を覚えさせた。


 螺旋階段は長く、果てしなく続いているように思えた。

 俺たちの足音だけが、カツ、カツ、と乾いた音を立てて闇に吸い込まれていく。


「……なぁ、ヒロユキ。妙だと思わんか?」


 先頭を歩くジェームズが、背中越しに低い声で問いかけてきた。

 その背中には、いつもの余裕はなく、張り詰めた緊張感が漂っている。


「ん? 何が?」

「温度だ。

 さっきの裂け目からは熱風が吹き上げてきた。だが、降りるにつれて温度が下がってやがる。

 それに、この気配……。生物の気配がしねぇ。もっと別の、異質な何かだ」


 ジェームズの勘は鋭い。

 俺も同じことを感じていた。

 気配を探っているが、一向に何も反応しない。


 だが、そこには確かに何かがいる。

 巨大で、圧倒的で、そして無機質なプレッシャーが、深淵の底から俺たちを見上げている。


「……行けば分かるってことかな」


 俺たちは無言で階段を降り続けた。

 そして、最後の段を降りた瞬間。

 俺たちの視界が、信じられない光景に塗り潰された。


「……嘘、でしょ……?」

「こ、これは……宇宙、ですの……?」


 桜とエミリーが、呆然と立ち尽くす。

 そこに広がっていたのは、灼熱のマグマでも、広大な空洞でもなかった。


 ――虚空。


 上下左右の感覚すら曖昧になるような、満天の星空が広がる無限の空間。

 壁も天井も見当たらない。ただ、どこまでも続く星の海が広がっているだけだ。


 足元には、発光する白いタイルが敷き詰められた一本の道が、遥か彼方へと伸びている。

 重力はあるが、空気が薄く、音さえも吸収されているような静寂が支配していた。


 これは、ダンジョンというよりは――。


「……まるで、世界の裏側だな」


 俺は思わず呟いた。

 生物が存在してはいけない領域。

 管理されたデータの海。そんな言葉が脳裏をよぎる。


 そして、その白い道の突き当たり。

 俺たちの視線の先に、圧倒的な存在感を放つ『それ』が鎮座していた。


 巨大な【黒い石碑モノリス】。


 形状は、どのダンジョンの入り口にもあるオベリスクと同じだ。

 だが、サイズが桁違いだった。

 見上げるほどの巨塔。

 漆黒の表面には、俺が持っている【深層ゲートキー】と同じ、複雑怪奇な幾何学模様が脈動するように明滅している。


「……あれは、なんだ? ただの岩じゃねえぞ」


 ジェームズが呻くように言った。

 俺の心臓が、早鐘を打っていた。


 俺の中の何かが、かつてないほどの警告音を脳内で鳴り響かせている。

 近づいてはいけない。触れてはいけない。

 あれは、人間が触れていい領域の代物ではない。


 だが、同時に強烈な引力を感じていた。

 俺の中にある何かが、あの石碑と共鳴しているような感覚。


「……俺が、先に行く」


 俺は三人を制して、一歩前に出た。


「おいヒロユキ! 危険だ!」

「分かってる。だからこそ、だ」


 俺はジェームズの制止を振り切り、白い道を歩き出した。

 近づくにつれて、石碑の明滅が激しくなる。

 まるで、侵入者を拒絶する心臓の鼓動のように。


 俺が石碑から数十メートルの距離まで近づいた、その時だった。


 ブォン……。


 空間全体が震えた。

 石碑から、感情のない機械的な思念が直接脳内に響いてきた。


『――警告。不正なアクセスを検知。

 管理者権限が不足しています。

 排除プロトコル、起動。セキュリティ・システム【朱雀】を展開します』


 次の瞬間。

 石碑の周囲の空間が歪んだ。

 虚空に散らばる星々の光が、一箇所に集束していく。

 光は形を成し、物質化し、そして――具現化した。


 翼を広げれば50メートルはあろうかという巨体。

 だが、それは生物ではなかった。


 黄金と朱色の幾何学的なパーツで構成された、機械仕掛けの神鳥。

 燃え盛る炎を纏っているが、その炎すらも、0と1の羅列が燃焼しているかのような、不自然な揺らぎを見せている。


 ——【機神:朱雀デウス・フェニックス】。


 生物的な殺意はない。

 あるのは、「エラーを削除する」という冷徹な機能だけだ。

 出雲のダンジョンで出会った次元を食らうものディメンション・イーターと存在感は似ているが、それとは比べものにならない程、危機感を感じる。


「……来るぞ!! 下がってろ!!」


 俺が叫ぶと同時に、【朱雀】の瞳が赤く輝いた。

 カッ! と空間が閃光に包まれる。


 俺は反射的に地面を蹴った。

 音速を超え、瞬時に後方へ退避する。

 直後、俺が立っていた場所に、極太の熱線が降り注いだ。


 爆発音はない。

 ただ、白い床が音もなく『消滅』した。

 溶けたのではない。空間ごと抉り取られたように、真円の穴が空いている。


「……物理的な破壊じゃない。『消去』かよ」


 俺は背筋が凍るのを感じた。

 あれに触れれば、防御力など関係なく、存在ごと消される。

 救いがあるとすれば、攻撃速度がそこまで速くないということか。

 ジェームズならもちろん、桜やエミリーでも何とか避けられそうだ。


「ヒロユキ!!」


 後方でジェームズたちが武器を構える。

 だが、俺は手でそれを制した。


「手出しするな! 様子を探る!」


 俺は再び加速した。

 今までにない、全力全開の加速。

 体内の魔力を沸騰させ、身体能力を限界まで引き上げる。


 俺の視界の中で、世界が止まる。

 【朱雀】が翼を羽ばたかせ、無数の追尾レーザーを放ってくるのが、スローモーションのように見えた。


 避ける。避ける。避ける。

 紙一重でレーザーを躱しつつ、俺は【朱雀】の懐に飛び込んだ。

 巨大な機械の胸部。そこに輝くコアめがけて、俺は拳を叩き込む。


「おらぁッ!!」


 魔力を纏った、必殺の右拳。

 山をも砕く一撃が、朱雀の装甲を捉えた――はずだった。


 手応えがない。

 俺の拳は、装甲に触れた瞬間、その運動エネルギーごと「無かったこと」にされた。

 まるで幽霊を殴ったような空虚感。

 さらに、俺の拳を覆っていた魔力の防壁が、ごっそりと削り取られている。


『対象の攻撃エネルギーを無効化。脅威度、再計算』


 無機質な思念と共に、【朱雀】が翼を振るう。

 至近距離からの斬撃。

 俺は空中で身を捻り、かろうじて回避するが、衝撃波だけで吹き飛ばされた。


「ぐっ……!」


 白い床の上を転がり、受け身をとって立ち上がる。

 息が上がる。

 物理が通じない? いや、当たったという『事実』そのものが消されたのか?


「なら、魔法だ!

 墜ちろ——《雷霆ケラウノス》!!」


 俺は掌から、黄金の雷撃を放った。

 高威力の電撃魔法。雷光が【朱雀】を直撃する。


 だが。

 パチン、と火花が散っただけで、雷撃は霧散した。


『魔力干渉を検知。中和プロトコル実行。完了』


 魔法も通じない。

 物理無効。魔法無効。

 おまけに触れたら即死級のデータ消去攻撃。

 勝てるか、こんなもん。


「……マジか……どうするよ」


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