第148話 空から降ってくる

 翌朝。

 マカオの空は珍しく晴れ渡っていたが、俺の心はどんよりと曇っていた。

 昨夜の誤解を解くために何度も桜にメッセージを送ったが、すべて既読スルー。


 電話も繋がらない。

 あまりの恐怖に、キングサイズのベッドでも一睡もできなかった。


 重い体を引きずりながら着替えを済ませ、さてどうしたものかと考えていた時だった。


 ピンポーン、と部屋のチャイムが鳴った。

 ルームサービスだろうか。朝食を頼んだ覚えはないが。いや、こんな高級ホテルだ。こちらが言わなくとも俺の傷心を感じ取り、何かしらのサービスの提供が……あるわけないか。


 俺はあくびを噛み殺しながらドアを開けた。


「はいはい、どな――」


 言葉が、喉の奥で凍りついた。


 そこに立っていたのは、ルームサービスのワゴンを押したボーイではなかった。

 白いブラウスに、動きやすいキュロットスカート。


 なぜか背中には使い込まれたロッドを背負い——すぐにでも武器展開できそうだ——、手には旅行鞄を持った少女。


 桜だった。


「…………え?」


 俺は我が目を疑った。

 幻覚か? 昨夜のストレスが見せた幻か?

 だって、彼女は日本にいたはずだ。今はまだ朝の8時。昨夜の通話から数時間しか経っていない。


「おはよう、ひろくん」


 桜がニッコリと微笑んだ。

 その笑顔は、春の日差しのように眩しく、そして冬の嵐のように冷たかった。


「来ちゃった♡」


 とんでもなく可愛い笑顔で、まるで語尾にハートがついているかのような愛しい声で、桜が微笑む。


 ドサッ。

 俺は腰を抜かしてその場に崩れ落ちた。


 ◇


 「……といわけで、白雪さんが手配してくれたの」


 部屋に入った桜は、ソファに座って優雅にお茶を飲みながら、事の顛末を語った。

 電話の後すぐさま新幹線で新大阪へ。ハイヤーで関空に。深夜便に飛び乗り、香港からはチャーターヘリでマカオ入り。そこから再びハイヤーでホテルへ直行。

 白雪さんの仕事が早すぎる。そして、そこまでして駆けつける桜の行動力が恐ろしい。


「ごめんね、突然押しかけちゃって。

 でも、ひろくんが心配で……居ても立っても居られなくて」


 桜が上目遣いで俺を見る。

 その瞳には、不安と、少しの独占欲が見え隠れしていた。

 俺は罪悪感で胸が締め付けられる思いだった。誤解とはいえ、不安にさせたのは事実だ。


「ごめんな、桜。心配かけて」

「ううん。ひろくんが無事ならいいの。……で? その『エミリー』って子はどこ?」


 声のトーンがすっと下がる。

 俺は冷や汗を拭った。


「あ、ああ。朝食会場で待ち合わせしてるんだ。行こうか。紹介するよ」


 ◇


 ホテルのメインダイニング。

 天井の高い開放的な空間に、朝の光が降り注いでいる。

 その一角にあるVIPエリアに、ジェームズとエミリーの姿があった。


「よう、ヒロユキ! 遅かったな。寝不足か?」


 ジェームズが気さくに手を挙げる。

 俺が桜を連れて現れたのを見て、彼は目を丸くし、そしてニヤリと口角を上げた。


「おやおや。昨夜の電話の相手か?

 こりゃまた、随分と可愛らしいお嬢さんじゃないか」


 ジェームズがヒューッと口笛を吹く。

 桜は、目の前の男を見て硬直していた。


「……えっ? 嘘……ジェームズ・ウィック!?」


 探索者を目指す者なら知らぬ者はいない、ランク2の英雄。

 まさか『ジェームズさん』の正体が彼だとは夢にも思わなかったのだろう。桜の目が点になっている。


 そして、その隣に座っていたエミリーが、パンケーキを食べる手を止めて立ち上がった。

 彼女は桜をじっと睨みつけ、ふん、と鼻を鳴らした。


「あなたがおじさまの……。ふ、ふん、まあまあの器量ですわね。でも、わたくしには及びませんことよ!」


 エミリーは冷や汗を掻きながら、ビシッと指を突きつけた。

 自分の美貌に自信があったんだろうが、さすがに桜との勝負では分が悪いと感じたんだろう。


「ジェームズ様も! わたくしという者がいながら、他の女性に鼻の下を伸ばすなんて!」

「おいおい、俺は挨拶しただけだぞ」

「うるさいですわ! そこのあなた! わたくしはエミリー・スチュアート!

 あなたを、ジェームズ様を巡る恋のライバルとして認めて差し上げますわ!」


 高らかに宣言するエミリー。

 その場に、奇妙な静寂が流れた。


 桜が、パチクリと瞬きをした。


「……え? ライバル? ジェームズさんを巡る?」

「そうですわ! このエミリー、愛に関しては一切妥協しませんのよ!」

「……えっと、ひろくんは?」

「はぁ? 何を言っているのかしら? わたくしは生まれた瞬間からジェームズ様一筋!

 あんなパッとしないおじさまのことなんて、ミジンコほども興味ありませんわ!」


 エミリーが心底不思議そうに、そして少しというか、かなり悪気を含んで言い放った。

 普段なら『ミジンコ』扱いに傷つくところだが、今日ばかりはその言葉が福音に聞こえる。


 桜の表情が、みるみるうちに変化していく。

 修羅のような険しさが消え、ポカンとした顔になり、やがて安堵の色が広がり――最後には、真っ赤になって俯いた。


「…………あ」


 桜は全てを悟ったらしい。

 若い女の子——エミリーは俺には全く興味がない。

 完全なる、誤解。完璧な、早とちり。


「~~~~っ!!」


 桜は顔を両手で覆い、その場にしゃがみ込んだ。


「ご、ごめんなさい……!  私、勘違いして……あんな電話で怒ったりして……!

 わざわざ白雪さんにも迷惑かけて、日本から飛んできて……ううぅ、恥ずかしい……穴があったら埋まりたい……」


 耳まで真っ赤にして縮こまる桜。

 その姿は、さっきまでの修羅が嘘のように可愛らしかった。

 というか、穴に入るだけでは飽き足らず、埋まりきりたい程反省しているのね。


「はははっ! いいじゃねえか、青春だなぁ!」


 ジェームズが豪快に笑い、俺の背中をバンと叩く。


「愛されてるな、ヒロユキ!

 こんな可愛い子が外国まで追いかけて来てくれるなんて、男冥利に尽きるってもんだ!」

「……まあ、そうだね」


 俺も苦笑しながら、しゃがみ込む桜の頭をポンポンと撫でた。


「顔を上げてくれ、桜。俺も説明不足だったし、来てくれて嬉しかったよ。本当だ」

「うぅ……ひろくん……」


 桜が涙目で俺を見上げる。破壊力抜群だ。

 エミリーだけが、「何を見せつけられていますの?」と呆れ顔をしているが、まあいいだろう。


「それで、だ。桜」


 俺は話を切り替えた。


「せっかくマカオまで来たんだ。観光だけして帰るのも勿体ないだろ?

 俺たち、これから例のマーコダンジョンに潜るつもりなんだが……一緒に行くよな?」


 桜の目が、パッと輝いた。

 彼女は立ち上がり、服の埃を払うと、力強く頷いた。


「うん! 行く!

 ひろくんの背中は、私が守るから!」


 やる気満々だ。

 その様子を見て、ジェームズもニカっと笑った。


「決まりだな。

 ランクワンにランク2、そして将来有望な若者。

 こいつは最強のパーティになりそうだ」

「わたくしもおりますわよ! 足手まといにはなりませんことよ!」


 こうして。

 俺、桜、ジェームズ、エミリー。

 最強にして最凶、そして騒がしい4人パーティが結成された。


 目指すはマカオ最古のダンジョン、マーコダンジョン。

 泥だらけの石板が導く、未知なる深層へ。

 俺たちの冒険が、また始まろうとしていた。


「……あれ? そう言えば大学の課題は?」

「昨日終わらせてきたよ。今日から世間はゴールデンウィークだから。学校のことは心配しなくて大丈夫!」


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