第147話 修羅場は

 木槌の音が、乾いた音を立てて会場に響き渡った。


「1万ドル! 他にございませんか? ……落札です!」


 司会者の声には、安堵の色が混じっていた。

 産業廃棄物同然の泥だらけの石板が、まさか買い手がつくとは思っていなかったのだろう。

 会場の空気は、落札の興奮など微塵もなく、嘲笑と呆れで満ちていた。


「プッ、ククク……。物好きな日本人がいたもんだ」

「庭石にでもするつもりか?」

「いやいや、貧乏人は泥団子がお似合いってことだろ」


 あちこちから聞こえる嘲笑。

 最前列のジェン・リーも、わざわざこちらを振り返り、憐れむような視線を送ってきた。


 5000万ドルで量産型の魔剣を掴まされた男が、1万ドルで国宝級の鍵を手に入れた俺を笑っている。

 これほどの滑稽劇コメディはない。


 まぁこれで俺の【解析】がミスっていたら、完全に俺が恥をかくだけという誰得展開なわけだが、さすがに信じるぞ。俺の中の解析さん。


「……哀れなもんだな。真実を知らないってのは」


 隣でジェームズが可笑しそうに肩を震わせている。

 まぁ、ジェンの数打ちゃ当たる作戦も、資金に余裕があれば良い作戦なんだろうけどね。今回のオークションだけで500億円は使ってるはずだから、果たしてどうなんだろうな。


 まぁ、俺には関係ない話だ。

 俺は周囲の雑音をBGMに、静かに勝利の美酒(ノンアルコール)を煽った。


 ◇


 オークションが閉会し、俺たちは落札した品を受け取ってペントハウスへと戻った。

 広大なリビングのテーブルに、ずしりと重い『それ』を置く。


 泥と錆にまみれた、汚い石板。

 エミリーが露骨に嫌そうな顔をして鼻をつまんだ。

 というか、お前ら普通に付いてくるのな。


「ヒロユキ、本当にこんな汚いものを持ち帰るおつもりでしたの?

 お部屋が汚れますわ」

「まあ見ててくれ。真実は泥の下にあるんだ」


 俺はルームサービスで頼んでおいたタオルと、ミネラルウォーターを使って、丁寧に泥を拭い去っていく。

 拭う先から再びどこからか溢れてくる泥だが、【解析】がその解決策を教えてくれた。


 指示された通りに魔力を水に浸し、それで濡らしたタオルで拭き取る。

 汚れが落ちると、その下から鈍色の金属光沢が現れた。

 表面には、微細な魔力回路のような幾何学模様が刻まれている。

 そして中央には、鳥——鳳凰を模した刻印。


「これは……」


 ジェームズが目を細め、身を乗り出した。

 先ほどまでのガラクタ感は消え失せ、底知れない魔力を秘めたアーティファクトとしての威容が露わになる。


「【深層ゲートキー】……らしい。

 マカオのマーコダンジョン。その最下層には、未だ誰も足を踏み入れたことのない隠しエリアがあるみたいなんだ。

 こいつは、そこへの唯一の通行証なんだよ」


 俺の説明に、部屋の空気が静まり返った。

 数秒の沈黙の後、ジェームズが天井を仰ぎ、爆発するように笑い出した。


「ブッ、ハハハハ!! 最高だ! 傑作すぎる!!

 おい聞いたかエミリー! ジェンの野郎、数億ドル使って偽物のガラクタを集めてドヤ顔してる横で、ヒロユキはたった1万ドルで『未踏破エリア』を買ったってわけだ!

 あいつがこの事実を知ったら、悔しさで泡を吹いて倒れるぞ!」


 ジェームズが膝を叩いて笑い転げる。

 ランク6の男が、莫大な金を叩いて掴まされたゴミの山。

 対して、俺がポケットマネーで手に入れた、未知の領域への鍵。

 ざまぁ、という言葉すら生ぬるいほどの完全勝利だ。


「なるほど。一般人のくせに、なかなかやりますわね、あなた。やはり、ジェームズ様が認めた男だけはあるということですか?」


 エミリーも神妙な顔で頷いている。

 彼女の評価基準は『ジェームズが認めたかどうか』らしいが、ここまで突き抜けているともう何も感じない。


「さて、明日は早速、こいつを持ってマーコダンジョンへ潜ろうと思う」

「おっ、そういう行動力があるのは、良いと思うぜ! なら、俺も付き合おう」

「むぅ。ジェームズ様が赴くというのなら、仕方ありません。私も参りましょう!」

「じゃあ、前夜祭といきますか! おっ、結構いい酒が入ってんじゃねぇか!」

「こちらのデザートもおつまみにどうですか?」


 いつの間にかジェームズとエミリーも同行することになっていた。

 そして、なぜか我が物顔で部屋の中を漁り始めている。アメリカ人ってやべぇな。


 苦笑いでその光景を眺めつつ、俺はスマホを取り出した。

 時刻は深夜というには早い時間帯だ。桜はまだ起きているだろう。

 ちょうどその時、タイミングよくスマホが震えた。

 画面に表示された名前は『桜』。


 あれ、俺たち繋がってる?

 俺は通話ボタンを押し、耳に当てた。


「もしもし、桜? 奇遇だな、今かけようと思ってたとこだ」

『もしもし、ひろくん? お疲れ様。今、テレビ電話でも大丈夫?』

「ああ、大丈夫だよ」


 通話をビデオモードに切り替える。

 画面の向こうには、自室のベッドでくつろいでいる桜の姿が映った。パジャマ姿で、少し眠そうな目が可愛い。もう一度言おう。超かわいい。


『オークション、どうだった? 変なトラブルに巻き込まれてない?』

「ああ、無事に終わったよ。いい買い物ができたんだ。たった1万ドルで、すごいお宝をゲットしちゃってさ」


 俺はカメラを切り替え、テーブルの上の石板を映した。


「これなんだけど、実は隠しダンジョンへの鍵なんだ。

 明日はこれを使って、マカオのダンジョンに潜ってみようと思ってさ」


『へえ、すごいね! さすがひろくん。1万ドルを『たった』と言っちゃう豪快さに憧れるよ……。

 じゃあ、明日はダンジョン探索なんだ。気をつけてね』


 桜の穏やかな声に癒やされる。

 ここ数日の殺伐とした空気——カジノのマフィアに拉致られたり、ジェンに絡まれたり、エミリーがうざかったり——が浄化されていくようだ。

 ああ、やっぱり桜と話すと落ち着くな……と思った、その時だった。


「ねえ、おじさま! 早くやりましょう! わたくし、待ちきれませんわ!」


 背後から、甲高い少女の声が響いた。

 エミリーだ。

 彼女は俺との通話などお構いなしに、ジェームズの腕に抱きつき、こちらに向かってねだるような声を上げている。


 突然の『おじさま』呼び。今までは、『そこの』とか『あなた』とかだったからランクアップしたのかもしれないが、タイミングが悪い。


「ハハッ、焦るなよエミリー。夜はこれからだぞ! 今日は朝まで暴れようぜ!」


 ジェームズも、ワイングラスを掲げて大声を上げる。

 もちろんこいつらは、この後「ここの酒を飲み明かそう」とか、あるいは「戦利品の話で盛り上がろう」という意味で言っているのだが。

 文脈を知らない人間が、その単語だけを聞けば――。


 スマホの画面越しに、何かが凍りつく音がした。


「……………………ひろくん?」 


 桜の笑顔が、その形のまま凍りついた。

 声色が、絶対零度まで急降下する。


「『おじ様』って、誰に呼ばせてるの?

 それに、『夜はこれから』って……『朝まで暴れる』って……どういう意味?」

「えっ、あ、いや、ちがっ!

 これはエミリーっていう子が、ジェームズさんのことを呼んでて……!」


「ふーん……。若い女の子、いるんだ。マカオだもんね。カジノに、オークションに、夜遊び……。

 おじ様遊びなんて、随分とディープな趣味に目覚めたんだね」

「違う! 断じて違う! 誤解だ!」


 俺は必死に弁明しようとしたが、桜の瞳からハイライトが消えていた。

 これはマズい。サンダー・ベル戦の時よりも、バチカンに異端認定された時よりも、明確な『死』の気配を感じる。


「……そっか。楽しそうだね、ひろくん。じゃあ、邪魔しちゃ悪いから、切るね」

「待ってくれ桜! これはダンジョンの話で――!」


 プツン。

 無情な電子音と共に、画面が暗転した。


 俺は石のように固まったまま、スマホを握りしめていた。

 背後では、まだジェームズとエミリーがキャッキャと騒いでいる。


「……終わった」

「あら? どうなさいましたのおじさま? 顔色が土気色ですわよ?」

「……エミリー、お前なぁ……」


 俺は天を仰いだ。

 ダンジョンの魔物に殺される前に、日本からの遠隔魔法で消し炭にされるかもしれない。


 ■


 一方その頃、日本。

 ギルド【空飛ぶ大福】の拠点の一室。


 通話を切った柾木桜は、無表情のままスマホをベッドに放り投げた。

 そして、パジャマを脱ぎ捨て、クローゼットを開ける。


 普段着に着替えると、探索者用の戦闘服や旅行に必要な着替えなどを【空間収納アイテムボックス】に収納していく。

 準備を整え、ダミー用のバッグを手に持ち階下に降りた。


「あら、桜さん? こんな夜更けにどうしたのですか?」


 プライベートゾーンのリビングでは、白雪が白湯を飲みながらラップトップを叩いていた。

 浩之がマカオへ出張中は、防犯のため白雪も拠点に滞在することになっていた。


 ちなみに、桜と白雪のボディーガード役となっているティアは、既に自室で就寝中だ。

 就寝しているうえ分体状態とは言え、腐っても神龍である彼女。


 少しでも不穏な気配があれば瞬時に目覚めることはできるし、そもそもティアの眷属が防衛網を作っているので、基本的には拠点は安全圏だ。


 そんな白雪とティアが拠点に寝泊まりすることに、修学旅行の夜を思わせる独特のワクワク感を桜は感じていたが、さすがに今はそんな気分はどこかに吹き飛んでいる。


 桜は、極めて事務的な、しかし有無を言わせぬ口調で告げた。


「白雪さん。申し訳ありませんが、今すぐマカオ行きのチケットを手配してください。

 最短で。今すぐに。費用は私の口座の分を使ってください」

「……はい? マカオ、ですか? 柴田さんのところへ?」

「そうです。ひろくん……彼が、悪い虫に捕まりそうなんです。いえ、もう捕まっているかもしれません。

 『おじ様』とか『夜はこれから』とか……不潔です! 教育的指導が必要です!」


 桜の剣幕に、白雪が目を白黒させ、息を呑んだ。

 そして、ふっと笑う。


「なるほど……。それはギルド【空飛ぶ大福】の一大事ですね。分かりました。全面協力いたしましょう」

「本当ですか!?」

「ええ。さすがにADAのプライベートジェットは使えませんが、関空発の深夜便のファーストクラスを押さえます。香港経由で、そこからはチャーターヘリを手配しましょう。

 ホテルまでの送迎車も含めて、完璧なルートを作成します」


 白雪の声は弾んでいた。

 明らかに、この状況を楽しんでいる。

 だが、今の桜にとってはどうでもいいことだった。


「ありがとうございます! 恩に着ます!」

「ふふっ、お安い御用ですよ。柴田さんが女性絡みで刺される前に、しっかりと首輪をつけてきてあげてくださいね。

 留守番は私とティアにお任せを」


 通話を終えた桜は、愛用のロッドを手に取り、不敵に微笑んだ。


「待っててね、ひろくん。すぐに……行ってあげるから」


 その背後には、不動明王のような紅蓮のオーラが立ち上っていたとか、いなかったとか。

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