第145話 黒龍

「おや。誰かと思えば、負け犬のアメリカ人じゃないか」


 先頭を歩く男が、足を止めて嘲るような声をかけてきた。


 濡れたような黒髪をオールバックにし、上質なシルクで仕立てられたチャイナカラーのマフィアスーツを着こなす男。

 年齢は30代前半だろうが、魔力のある現代。見た目で年齢を推察するのは無駄な行為だ。

 長身痩躯で、モデルのような体型をしている。

 だが、その細身の体から放たれるプレッシャーは、周囲を固める屈強な護衛たちを遥かに凌駕している。


 切れ長の瞳。

 その奥には、他者を虫けらのように見下す、絶対的な自信と冷酷な光が宿っていた。

 彼が歩くたびに、周囲の空気が重くなる。魔力による威圧を、隠そうともしていないのだ。


 ジェン・リー。

 中国最強の探索者にして、ランク6。通り名は【黒龍】。

 香港を拠点とする最大ギルド【黒龍会】の若きトップ——らしい。全て【解析】さんが教えてくれた。


「……ジェン・リー。相変わらず口が減らないなぁ。小物に思われるぞ」


 ジェームズがポケットに手を突っ込んだまま、涼しい顔で言い返す。

 その言葉に、ジェンのこめかみがピクリと動いた。

 美しい顔が、憎悪でわずかに歪む。


「小物、だと? ランク1の座を追われ、過去の栄光にすがるロートルがよく吠える」


 ジェンが一歩、踏み出す。


 ドッ、と重い圧力が放たれた。

 物理的な風圧さえ伴うような、高密度の魔力。

 周囲にいた一般の富豪たちが、それだけで顔面蒼白になり、悲鳴を上げて後ずさる。

 だが、ジェームズは眉一つ動かさない。ただの微風を受けたかのように、前髪が揺れただけだ。


「ランクなんざ、ただの数字だろ? それに拘るようじゃ、まだ若い。

 ……もっとも、お前のような『力に溺れたガキ』には一生理解できないだろうがな」


 ジェームズの瞳が、鋭く細められる。

 彼からもまた、黄金色の闘気が陽炎のように立ち上った。


 二人の視線が交錯する空間で、見えない火花が散る。

 ランク6とランク2。

 世界屈指の英雄同士の衝突に、会場中の視線が釘付けになる。

 誰もが息を呑み、次の瞬間には殺し合いが始まるのではないかと戦慄している。


「フン……。相変わらず口だけは達者なようだ。

 今日の目玉商品は、我々【黒龍会】がいただく。貴様のような貧乏人に用はない」

「言ってくれるねぇ。まあ、精々吠えてろよ」


 一触即発の空気。

 ジェンの視線が、ふと、ジェームズの後ろにいる俺に向けられた。

 値踏みするような、冷ややかな視線。


「……日本人? 見たことのない顔だな。魔力も感じん。荷物持ちか?」


 俺を一瞥し、興味なさそうに鼻を鳴らす。

 視界に入った羽虫を見るような目だ。


(……なるほど)


 俺は心の中で分析した。

 強い。確かにランク一桁の実力はある。

 体内で循環する魔力の総量も、練度も一級品だ。肉体も極限まで鍛え上げられている。

 もし俺がまだ覚醒前の一般人なら、この威圧だけで失神していただろう。


 だが、その精神性は未熟だ。

 己の力を過信し、他者を見下す傲慢さ。

 力が全てであり、自分より弱い者は存在価値がないと信じている。


 それが彼の限界を決めている。

 ジェームズが「小物」と呼んだ理由が分かった気がした。真の強者が持つ余裕や器が、彼には欠けているのだ。


「さあな。俺の大事なツレだ。手出ししたら、タダじゃおかないぞ」


 ジェームズが凄むと、ジェンはフンと鼻で笑い、取り巻きを引き連れて最前列の特別席へと歩き去っていった。

 嵐が過ぎ去った後のように、会場に安堵の溜息が広がる。


「……嫌な奴ですね」

「ああ。だが腕は立つ。面倒な相手だ。

 あいつは自分が一番じゃないと気が済まないタチでな。俺がランク上位にいるのが気に入らないのさ。

 ククッ。お前がランクワンだと分かれば、発狂するかもな」


 ジェームズは肩をすくめ、俺たちを席へと促した。


 俺たちが案内されたのは、ステージを見下ろすバルコニー状の個室席だった。

 革張りのソファに、高級シャンパンとフルーツ。

 至れり尽くせりだが、眼下には欲望の坩堝が広がっている。


 ◇


 やがて照明が落ち、重厚な銅鑼の音と共にオークションが始まった。

 スポットライトが中央のステージを照らし出す。


「紳士淑女の皆様! ようこそ、東洋の神秘、マカオの闇オークションへ!

 今宵は、皆様の渇きを癒やす、極上の逸品を取り揃えております!」


 燕尾服を着た司会者が、大げさな身振りで宣言する。

 ADAの公式市場では絶対に見かけないような、怪しげなアイテムが次々とステージに運ばれてくる。


「それでは最初のアーティファクトから参りましょう!

 南米の古代遺跡より発掘された『呪われた王冠』!

 かつての狂王が身につけていたとされるこの王冠は、装備者に強大な魔力を与えますが、代償として正気を蝕むと言われております!

 リスクを恐れぬ勇者のみが、その力を手にできるのです!」


 黒いベルベットの台座に乗せられた、禍々しい装飾の冠。

 赤黒い宝石が埋め込まれ、見るからに不吉なオーラを漂わせている。

 会場の熱気が高まる。


「1000万ドル!」

「1500万!」


 富豪たちがこぞってパドルを上げる。

 「強大な魔力」という言葉に踊らされているのだ。

 だが、俺は冷ややかな目でそれを見ていた。


 -----------------


 【狂王の王冠(劣化レプリカ)】

 古代の職人が作った模造品。

 魔力増幅効果はあるが、劣化レプリカのため効果は微々たるもの(+2%)。

 呪いの正体は、長年の湿気で宝石の裏側に付着している幻覚性のカビ。

 装備すると幻覚や頭痛を引き起こすが、洗剤で洗えば落ちる。


 -----------------


「まぁ! 魔力アップですか! ジェームズ様、どうでしょう?」

「あん? 止めとけ。強大な魔力って言うほどの凄みは感じん」

「でも……」


 さすがジェームズといったところか。

 鑑定や解析スキルなんて持っていないのに、経験と感受性能だけで真贋を見抜いている。

 だが、それに対してエミリーは惜しいと感じているのか、まだ迷いがあるようだ。


「……ただの不潔な冠だよ。止めといた方が良い」

「んま! あなたに言われなくても分かっていますわ!」


 俺がボソリと呟くと、隣でグラスを傾けていたジェームズが、ピクリと片眉を上げた。

 彼は何も言わず、ただ横目で俺の反応を伺っている。


 いろいろと出品され競り落とされる展開が続き、次に盛り上がったのは、漆黒のオーラを放つ片手剣が出品された時だった。


「出所不明の魔剣! その刀身は闇を纏い、切れ味は岩をも断ち切る!

 さらに、所有者に不死の如き再生能力を与えるとか!

 伝説の魔剣【ダインスレイフ】の欠片から打たれたという噂もございます!」


 会場がどよめく。

 「不死」という単語は、いつの時代も権力者を魅了するキラーワードだ。


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 【魔剣ダイン(量産型)】

 あるダンジョンの下級兵士用に大量生産された剣。

 不死の効果はなく、単に刀身が欠けても時間経過で自己修復する機能があるだけ。

 切れ味はナマクラ。岩を切ろうとすれば折れる。


 -----------------


「まぁ! 不死とは興味深いですわね。でも剣は私もジェームズ様も扱わないから……」

「うん、あれも止めといた方がいいな。ゴミだよ」

「またあなたですか? あの強そうなオーラを感じないんですの?」

「塗装だよ、塗装。特殊な塗料で光らせてるだけだ。逆に魔力を詐称できる塗装の方が気になるな」

「もう! あなたには分からないかもしれないですが、私たちトップ層は魔力を感じることができるんです! それを塗装だ、塗料だと! 無理して格好つけるのは止めてくださらない?」

「……止めるのはお前だ、エミリー」


 俺の判定に、不服そうなエミリーが食い下がってきたが、ジェームズが制止する。


「ジェームズ様」

「確かに言われてみれば『違和感』はある。ここはヒロユキを信じようぜ」

「……むぅ。ジェームズ様がそう言われるのであれば……感謝しなさい!」

「なんでだよ?」


 そんな俺たちの会話など聞こえないかのように、最前列でパドルが上がった。


「5000万ドル!」


 ジェン・リーだ。

 彼はふんぞり返り、周囲を威圧しながら高値を叫んだ。

 会場が静まり返る。黒龍会のボスに喧嘩を売れる命知らずはいないようだ。


「5000万ドル! 他にございませんか? ……落札です!」


 木槌の音が響く。

 ジェンは満足げに頷き、チラリと後ろ――俺たちの席を振り返った。

 「見たか、これが力の差だ」と言わんばかりのドヤ顔だ。


「おおぅ……」


 俺は笑えば良いのか悲しめば良いのか悩んだ挙げ句、変な声を漏らしてしまいそうになり、口元を手で覆った。

 5000万ドルで、量産型のナマクラ剣をお買い上げだ。いいカモすぎるだろう。


 次に運ばれてきたのは、巨大な緑色の卵だった。


「ふん、あちらはどうですの? 『ドラゴンの卵』ですわ!

 孵化させれば、最強の従魔テイムモンスターになるかもしれません!」


 エミリーが最初から俺に喧嘩腰で挑んできた。

 いや、そもそも従魔テイムモンスターあるいは【テイム】スキルなんて存在するのか。

 俺は聞いたことないんだけど、もしかしたら熟練の探索者達の中では知られているのかもしれない。


「開始価格は2000万ドルから!」


 ——ただ。


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 【大オオトカゲの卵】

 マカオの湿地帯に生息する巨大トカゲの卵。

 ただの爬虫類。

 食用。オムレツにすると美味。栄養価は高い。


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 トカゲの卵なんだよなぁ。


「……偽物だ。ただのデカいトカゲの卵だよ。朝飯のおかずにはいいかもな。

 お前はオムレツに2000万ドル払う気か?」


 俺が止めると、エミリーは「はぁ!?」と不満げな声を上げた。


 その時だった。

 横から、突き刺さるような鋭い視線を感じた。

 ジェームズだ。


 彼はオークションのステージではなく、俺の顔をじっと観察していた。

 そのブルーグレーの瞳は、獲物を見定めた鷲のように冷徹だった。


「……おい、ヒロユキ」

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