第142話 最強と怪物【ジェームズ・ウィック】①
ジェームズ・ウィックにとって、ここ数年の世界は退屈と諦観に満ちていた。
ダンジョンによる【位】ランキング2位。
かつては不動の1位として君臨し、2位となった現在も【自由の
富も、名声も、力も、全てを手に入れた男だ。
だが、彼は己が満足していないことを十分に理解していた。
国に尽くし、国に生きる。己の信念に従い定めた道だが、派閥争いや安全性確保という言葉に振り回され、好きに冒険できない現状。
そして、自分は既に限界を迎えているのではないかという諦念。
しかし、その退屈な日常に亀裂が入ったのは、数週間前のことだった。
ワシントンD.C.にあるDDA本部の極秘医療区画。
ジェームズは、信じられない報告を受け、病室へと足を運んでいた。
「……ジェームズおじ様?」
厳重に警備された病室の中で、ベッドに上半身を起こし、不思議そうにこちらを見る少女。
金色の髪に、透き通るような白い肌。
大統領の令嬢にして、特異な魔力体質ゆえに不治の病『魔力欠乏性壊死』に侵され、余命宣告を受けていた少女――アリスだ。
「アリス……! お前、起き上がれるのか!?」
触れば壊れてしまうのではという恐怖に襲われ、ジェームズは震える声で問いかけた。
数日前までは、全身に黒い壊死痕が広がり、意識を保つのもやっとの状態だったはずだ。
世界中の名医が匙を投げ、高位のヒーラーですら治療を諦めた、呪いにも等しい奇病。
ジェームズ自身、ダンジョンで得たあらゆる希少なポーションやアーティファクトを試したが、すべて徒労に終わっていた。
それが、なぜ。
黒い痣は綺麗に消え去り、少女の頬には薔薇色の血色が戻っている。生命の鼓動が、力強く脈打っているのが見て取れた。
「信じられん……。一体誰が……?」
ジェームズが呟くと、背後からハイヒールの音が近づいてきた。
振り返ると、そこには金髪の女性が立っていた。
鋭い眼光と、冷徹な美貌を併せ持つ女性エージェント。DDA特務作戦指揮官であり、アリスの叔母でもあるサマンサ・リードだ。
「奇跡を見ているような顔ね、ジェームズ」
「サマンサ……。これは、どういうことだ? まさか、バチカンが動いたのか? いや、あいつらにこれほどの劇的な治療は不可能だ」
「ええ。これは魔法でも、神の奇跡でもないわ」
サマンサは、一枚のタブレットをジェームズに手渡した。
そこに映っていたのは、一人の日本人の青年の写真と、信じがたい報告書だった。
ヒロユキ・シバタ。
ここ数ヶ月前までの経歴は平凡そのもの。
だが、その実績欄には、ランク2であるジェームズですら眉をひそめるほどデタラメな文言が並んでいた。
『【
『新宿にて武装集団および暴走トラックを単身で無力化』
『未知の技術によるポーション生成法を公開』
『エリクサー級の回復アーティファクトにより、アリスを完治』
そして、『ランクワン』。
「日本の、探索者……? こいつがアリスを救ったのか?」
「ええ。たった一人で、世界をひっくり返してね。
彼は深淵よ。覗き込めば、こちらの常識ごと飲み込まれる」
サマンサの言葉に、ジェームズは写真の青年を見つめた。
どこにでもいそうな、優男だ。覇気もなければ、強者のオーラも感じられない。
歴戦の戦士であるジェームズからすれば、写真に写る優男がランクワンだとは、到底信じられなかった。
だが、サマンサの瞳に宿る色は、彼が只者ではないことを雄弁に語っていた。
「……会いたいな。礼を言わなきゃならん」
「待ちなさい。貴方が動けば、政府が動揺するわ。いずれ私が機会を作る」
サマンサの言葉が現実となったのは、それから少し時間が経った後だった。
「丁度いい情報があるわ。彼、マカオに行くらしいの」
トレーニングを終え自宅に戻ると、サマンサが勝手に家に入り待っていたのだ。
「マカオ?」
「例の闇オークションよ。彼が何を求めているのかは知らないけれど、接触するなら良い機会じゃない?」
ジェームズはニヤリと笑った。
丁度いい。
その闇オークションにランク6のジェン・リーが注目している情報を得ていた米国政府並びにDDAは、ジェームズにオークションへの参加を命令していたのだ。
最近、自身の装備の強化に行き詰まりを感じていたところだったジェームズは、マカオのオークションなら、掘り出し物が見つかるかもしれないと、ちょうど良い機会程度に考えていた。
だが、話は違ってくる。
仕事と実益、そして恩人への挨拶。
久々に、止まっていた時計の針が動き出す予感がした。
◇
マカオ国際空港、到着ロビー。
ジェームズは一般客に紛れ、到着ゲートを見つめていた。
変装はしていない。ただ、自身の強大な魔力を極限まで抑え込み、気配を周囲の雑踏と同化させているだけだ。
隠密スキルを持たない彼だが、長年の経験による気配操作は、一流の暗殺者をも凌駕する。
数分後。
ゲートから、一人の青年が現れた。
パーカーにジーンズ。背中にはリュックサック。
写真で見た通りの、どこにでもいる観光客だ。魔力の波長も完全に遮断されており、一般人と区別がつかない。
ちなみにジェームズは勘違いしているが、浩之の魔力は決して遮断されているわけではない。
あまりに大きすぎるため、感じ取ることができないだけだ。
例えば、蟻が巨大な象の背中に乗っていたとして、その蟻は自分が生物の上にいると認識できるだろうか。
あまりに巨大な質量を前にすると、視界が埋め尽くされ、それが「大地」なのか「生物」なのか区別がつかなくなる。
今の浩之がそうだ。
浩之を纏う魔力は、ジェームズの知覚できるスケールを遥かに超えている。
高密度かつ膨大なエネルギーが、あまりにも自然に、あまりにも静かに循環しているため、逆に世界と同化してしまっているのだ。
謂わば彼の存在そのものが、巨大な海のようなもの。
コップ一杯の水なら『水がある』と認識できるが、深海に沈めば、『一杯の水』の存在を意識することはできない。
(……アイツが、ヒロユキ・シバタか)
ジェームズは目を細めた。
一見すれば、ただの一般人だ。資料によれば43歳とあるが、見た目は二十代中盤から後半。
確かに体つきは良いが、別段特別さを感じさせない。
だが、次の瞬間。
ピタリ、と。
雑踏の中で、青年が足を止めた。
そして、何気ない動作で周囲を見回し――ジェームズがいる方向を一瞬だけ見た。
(……ッ!?)
ジェームズの背筋に冷たいものが走った。
目が合ったわけではない。距離も離れている。
だが、青年は確かに視線を感じ取っていた。
それも、ただの視線ではない。ジェームズという『強者』が潜ませていた、ごく微量な観察の意識を。
「……おい、あの兄ちゃん。出口のど真ん中で立ち止まって何カッコつけてんだ?」
周囲の観光客の悪態に、青年は我に返ったように慌てて去っていった。
その少し間の抜けた様子を見て、ジェームズは苦笑した。
「……野生の勘か? それとも、俺の気配消しがお粗末だったか?」
どちらにせよ、ただ者ではない。
ジェームズの中で、彼への興味が一段階跳ね上がった。
◇
その日の夕刻。
宿泊先である最高級ホテル『
ラウンジで同僚を待っていたジェームズの耳に、怒号が届いた。
カジノへの入り口付近で、負けが込んだ酔っ払い客が暴れているようだ。
よくある光景だ。
だが、出てきた警備員の様子が、少し常軌を逸していた。
「……外で頭を冷やしてもらいましょうか。たっぷりとね」
警備員の男が、嗜虐的な笑みを浮かべて拳を握りしめた。
ただ追い出すだけではない。人気のいない場所で、再起不能になるまで痛めつけるつもりだ。殺気すら滲んでいる。
周囲の客は見て見ぬ振りをしている。関われば自分もどんな目に遭うか分からないからだ。
ジェームズが仲裁に入ろうと一歩踏み出しけた、その時。
通りかかった浩之が、足を止めた。
彼は、ほんの一瞬だけ、警備員たちに視線を向けた。
魔力を放ったわけでも、大声を出したわけでもない。
ただ、一瞥しただけだ。
それだけで、屈強な警備員たちの動きが凍りついた。
彼らは驚愕の表情で周囲を見回し、そして浩之の方を見た瞬間、蛇に睨まれた蛙のように硬直した。
生物としての本能が、絶対的な死を幻視したかのように。
警備員たちは震え上がり、そそくさと退散していった。
暴力も言葉も使わず、視線一つで場を制圧したのだ。
(……ほう)
ジェームズは感嘆した。
今の『間』。
相手が限界を超える一歩手前で、最小限の威圧をぶつけて心を折る。
熟練の達人が見せるような、完璧なタイミングだった。
ジェームズは歩み寄り、青年の背中を軽く叩いた。
「――いい『間』だったな」
思わず口に出た賞賛。
青年が振り返る。その瞳には、一瞬だけ鋭い警戒の色が宿り、すぐに穏やかなものへと戻った。
ジェームズはニヤリと笑い、片手を上げてその場を立ち去った。
ジェームズは確信した。
彼は、間違いなく『同類』だ。
それも、極めて質の高い。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます