第141話 ジェームズ・ウィック②

「——俺はジェームズ。ジェームズ・ウィックだ」


 さすがに俺でも名前は知っていた。が、顔を見るのは今回が初めてだった。

 まさかこんなフランクな、近所のおじさんみたいな人だとは思わなかった。

 もっとこう、厳格で近寄りがたい軍人みたいな人物を想像していたのだが。


「サマンサから話は聞いてるよ。ヒロユキ——そう呼んでいいだろ? 俺たち死線を重ね合わせた仲だからな。もう親友だ。

 それで、バチカンの一件……アリスを助けてくれたこと、礼を言わせてくれ」


 ジェームズの表情から、先ほどまでのふざけた色が消え、真剣な眼差しになった。

 その瞳には、深い感謝と、わずかな悔恨の色が見えた。


「俺もアリスのことは気にかけていたんだが、手は尽くしたがどうしようもできなくてな。歯痒い思いをしていたんだ。

 アリスは俺にとっても、姪っ子みたいなもんでな。

 そこにアンタが現れて、全てをぶっ壊してくれた。……本当に、感謝している」


 ジェームズは深々と頭を下げた。

 世界最強の一角に頭を下げられて、俺は少し居心地が悪くなった。


「いや、俺はただ、できることをしただけで……。礼を言われるような高尚な動機じゃないです」

「ハハッ、それがいいんじゃねえか! 計算ずくの正義なんざ、クソ食らえだ。

 感情のままに動き、結果として救う。それこそが英雄ヒーローってもんだろ?」


 ジェームズは豪快に笑い、壁に埋まったリャンと、気絶している黒服たちを見て苦笑した。


「それにしても……派手にやったもんだな。

 アンタがマカオのオークションに参加するって聞いて、挨拶がてら顔を見に来たんだが……。

 カジノのマフィアに絡まれてると知って、助太刀に入ろうかと思ったが、全く必要なかったみたいだ」

「まあ、成り行きで。向こうがどうしてもって言うから、付き合ってあげてただけですから」


 俺が苦笑すると、ジェームズはポンと俺の肩を叩いた。

 その手は大きく、温かかった。


「気に入ったぜ、ヒロユキ。

 明日のオークション、参加するんだろう? 俺が付き合うぜ。

 初めてだと勝手が分からないこともあるだろうし、ガイドが必要だろ?」


 なんで先日決めたばかりのオークション参加を知っているのか。

 問いただしても無駄なんだろう。さすが世界一の大国、世界一のスパイ機関を持つ国だと思っておこう。


 同時に、もうこの世界の個人情報保護は信用しないと心に決めた。それだけ俺たちへの注目度が高いんだろうが、もう全ての情報が外に出ると思って動いた方がいいだろう。

 秘密にしたいことは、やはり誰にも言わないという選択肢しかない。


「それは助かりますが……いいんですか? あなたほどの人が」

「構わんさ。俺も退屈してたところだ。それに、アンタみたいな面白い男と飲めるなら大歓迎だ。という訳でその他人行儀な言葉遣い止めてくんないかな? 背中が痒くなるわ」


 善処しますと苦笑いで答えた、その時。

 入り口の方から、カツカツカツ! とヒールの音が近づいてきた。

 いや、ただの足音ではない。何か重たい金属音が混じっている。


「ジェームズ様! お待ちになってくださいませ!」


 飛び込んできたのは、一人の少女だった。

 年齢は10代後半、17、8歳くらいだろうか。


 太陽のように眩しい金髪を縦ロールにし、宝石のような碧眼がキラキラと輝いている。

 顔立ちだけを見れば、深窓の令嬢といった風情だ。

 というか、生まれて初めて生の縦ロールを見た。居るところには居るんだと、妙な感動。


 だが、その服装は奇抜極まりなかった。

 フリルがたっぷりついたゴシック調のドレスを着ているのだが、その腰には無骨なガンベルトが巻かれている。

 そして両太もものホルスターには、銀色に輝く巨大な自動拳銃――デザートイーグルだろうか――が二丁、収められていた。

 背中にも、何やら折りたたみ式のライフルのようなものを背負っている。


 お嬢様言葉に、重武装のガンナースタイル。

 あまりにちぐはぐな組み合わせだが、不思議と似合っているのが恐ろしい。

 というか、服装は海外版鳴瀬聖羅だな。ここにも同類がいたのか。


「まったく、速すぎですわ! 装備を整えるわたくしの身になってくださいませ! 慌てて息切れしてしまいましたのよ!?」

「げっ、エミリー……お前、ついて来たのか」


 ジェームズが露骨に嫌そうな顔をする。

 少女――エミリーは、そんなことお構いなしにジェームズの腕にギュッと抱きついた。


「当たり前じゃありませんこと!? わたくしはジェームズ様の右腕になる女ですのよ?

 用心棒くらいさせてくださいませ!」

「お前の用心棒なんざ、猫の手より役に立たんわ。ただの追っかけだろ。親父さんに言いつけるぞ」


 どうやら知り合いらしい。

 エミリーは、そこでようやく俺の存在に気づいたようだ。

 碧眼を細め、俺を頭のてっぺんからつま先までジロジロと不躾に見る。

 そして、ふん、と鼻を鳴らした。


「……誰ですの、このパッとしない東洋人は? ジェームズ様のお知り合い? にしては、なんだか弱そうですわねぇ」


 扇子でも持っていれば口元を隠して笑いそうな態度だ。

 なんだこの不躾な失礼少女は。俺はムッとしたが、ジェームズの声色がスッと低くなったことで、その感情は引っ込んだ。


「おい、エミリー」

「はい? 何ですの?」

「言葉に気をつけろ。お前、死ぬぞ?」


 ジェームズの真剣な警告。

 そこには冗談の色は一切ない。

 もし俺が短気な性格で、この少女の無礼にキレていたら、今頃この地下室のシミが一つ増えていただろう、という確信が込められていた。


 だが、エミリーはきょとんとしたままだ。


「え? 誰に? こいつにですの? オーッホッホ! ご冗談がキツイですわジェームズ様!

 魔力も全然感じませんし、ただの一般人じゃありませんこと? わたくしの早撃ちなら、0.5秒でハチの巣にできますわよ?」


 彼女は挑発的に、腰の拳銃を撫でた。

 確かに魔力は感じる。上位勢には届かないが、中堅上位くらいの実力はあるかもしれない。

 だが、俺やジェームズの前では、赤子同然だ。


「あーあ……お前死んだわ。さよなら」

「……誰が殺すか。そんな物騒なことしないって」


 ジェームズが十字を切っている横で、俺が呆れてツッコミを入れた。

 さすがに悪口を言われただけで殺してたら、十宮とかは百回は殺してないとダメになるぞ。


 ジェームズは「すまん」と深く謝ってきた。


「こいつ、エミリー・スチュアート。

 親がアメリカ政府の高官でな。コネで俺たちのパーティーと関わってるが、実力はまだまだだ。

 才能はあるんだが、どうにも世間知らずの箱入り娘でね」

「なるほど」


 典型的な、権力を笠に着た勘違いお嬢様か。

 まあ、悪気があって言ってるわけではなさそうだし、放っておくか。

 いや、悪気があろうがなかろうが悪口は良くないか。次何か言われたら意趣返ししようかな。

 いやいや、俺は大人。努めて大人の対応をしなければ。


「もう、ひどい紹介ですわね! わたくしは未来のトップ探索者、【閃光の乙女】ですのよ!」


 エミリーが頬を膨らませる。

 せ……【閃光の乙女】。だ、ダメだ、まだ笑うな。こらえるんだ。

 でも、そんな恥ずかしい名前を自称するなんて……何か憎めなくなってきたぞ。


 必死に無表情で笑いを堪える俺。困り呆れ顔のジェームズ。目をハートにしてジェームズにくっつこうとするエミリー。

 このカオスな状況に、腰を抜かしていたオーナーだけが、蚊帳の外で震えていた。


「あ、あのぅ……」


 オーナーが掠れた声を出した。


「わ、ワシは……どうすれば……」

「ああ、そうだった」


 俺はオーナーに向き直り、ニッコリと笑った。

 ジェームズも、面白そうにニヤリと笑う。


「換金だ。耳を揃えて払ってくれるんだろ?

 それとも、アメリカの英雄も交えて、もう一回戦やるか?」

「ひぃぃっ! 払います! すぐに払いますぅぅ!!」


 オーナーは脱兎のごとく這いずり回り、事務所の方へ向かっていった。

 俺は隣に立つジェームズを見上げた。


 彼となら、明日のオークションも退屈せずに済みそうだ。

 新たな縁に感謝しつつ、俺はこの狂乱の地下室を後にする準備を始めた。

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