第140話 ジェームズ・ウィック①

 乾いた拍手が、血生臭い地下室の空気を震わせた。


 壁に深くめり込んで気絶している用心棒のリャン・ウェイ。

 床に転がり、ピクリとも動かない数人の黒服たち。

 そして、恐怖のあまり失禁し、ガタガタと震えているカジノのオーナー。


 そんな惨状とはあまりに不釣り合いな、優雅で余裕に満ちた拍手。

 俺はゆっくりと振り返り、その音の主を見据えた。


 入り口の陰に立っていたのは、ホテルですれ違った時に『只者ではない』と感じた、あの白人男性だった。

 さすがに即座に【解析】を使用する。


 目の前の男、間近で見るとよりその異質さが際立つ。

 実年齢は50歳を超えているようだが、外見は30代半ばにしか見えない。

 肌には艶があり、若々しい活力が満ち溢れている。


 これは、高ランク探索者特有の現象らしい。

 体内に循環する高密度の魔力が細胞を活性化させ、全盛期の自身にとって最適な身体を維持構成しているのだ。

 俺自身も最近、若返ったような肌の張りを感じるし、実際鏡を見れば明らかに二十代後半と思えるほど若返って見えるので、よく分かる。


 190センチを超える長身に、仕立ての良いグレーのスーツをラフに着崩している。

 だが、その上質な生地の下からでも分かる。彼が纏っているのは猛々しい筋肉と、洗練された暴力の匂いだ。

 オールバックに撫で付けた金髪、そして深く青い瞳。

 若々しい外見の中に、老獪な経験と自信が同居する、底知れない男。


「……ジェームズ・ウィック」


 ジェームズ・ウィック。

 【解析】が教えてくれたその名に、俺は少し目を見開いた。

 ダンジョン——正確には神碑オベリスクが定める【ランク】のランキング2位。俺が1位に躍り出る前は、長い年月1位に居座り続けた男だ。


 アメリカ最強の探索者にして、【自由の盾リバティ・シールド】の異名を持つ英雄。

 数々のダンジョンを単独あるいは彼をリーダーとするパーティーで踏破し、世界中の探索者が憧れる生ける伝説。

 満ちあふれる自信と余裕。俺とは違う完全無欠のイケオジだ。


 俺の脳内に警戒アラームが鳴り響く。

 このタイミングで現れるということは、このカジノの真のオーナーか、あるいはマフィアが送り込んできた更なる刺客というわけか。

 ランク2がそんなみみっちぃ仕事をするとは思えないが、何があるか分からないのがこの世界だ。油断はできない。


 さっき壁のシミになったリャンとは次元が違う。

 男はただ立っているだけだ。

 ポケットに手を突っ込み、笑顔でこちらを見ているだけ。


 なのに、付け入る隙が見当たらない。

 いや、物理で押せば圧勝するんだろうけど、それでも『攻め』を躊躇させる何かがあった。

 まるで、巨大な要塞が目の前に出現したかのような圧迫感だ。


 男は俺の視線を受け止め、楽しそうにブルーグレーの瞳を細めた。


「ほう。俺を知ってるとは光栄だね。

 だが、今回はただの通りすがりさ。別にアンタに他意はない……と言いたいところだが、そうもいかない空気だなぁ」


 男が肩をすくめる動作一つにも、無駄がない。重心が全くブレていないのだ。

 俺は自然と右足を一歩引き、重心を沈めた。

 いつでも動けるように。いつでも、目の前の敵を排除できるように。


 言葉とは裏腹に、男から放たれるプレッシャーが肌を刺す。

 肌が粟立つような、生物としての本能的な警鐘。

 こいつは強い。

 今まで会った人間の中で、間違いなく最強だ。


 だが、戦う気があるなら、受けて立つまでだ。

 俺が戦闘態勢に入った、その瞬間。

 男の纏う空気が、ガラリと変質した。


 ――ビリッ。


 陽気なナイスミドルという雰囲気から、歴戦の猛者、いや、頂点に立つ捕食者へと変貌する。

 男は口角を上げ、獰猛な笑みを浮かべた。


「おっと。日本の英雄ランクワンさんは、やる気満々だねぇ。

 いいぜ、少し遊んでみるか?」


 男が右足を一歩、ゆっくりと踏み出した。

 たった一歩。

 それだけで、俺たちの間の空間が圧縮されたような錯覚を覚える。


 爆発的な緊張感。

 地下室の空気が張り詰め、今にも弾け飛びそうだ。

 ばきん、とリャンがめり込んでいる壁の割れ目が、弾け広がった。


 俺も、少しだけ「本気」を出そうと魔力を練り上げた。

 俺は拳に、凝縮した魔力を纏わせるイメージを固め――。


 その時だった。


「――無理だな。参った」


 男が突然、両手を挙げて万歳をした。

 あまりに唐突な変化に、張り詰めていた緊張感が霧散する。

 俺の拳に集まりかけていた魔力も、行き場を失って空回りした。


「……は?」


 俺が呆気に取られていると、男は「ふぅー」と大げさに息を吐き、額の汗を拭う仕草をした。


「降参、降参だ。俺の負けだよ。

 アンタ、冗談だろ? そんな『深淵』みたいな殺気向けられたら、一歩動く前に死んじまうわ」


 男は苦笑いしながら首を振る。

 その仕草には、演技ではない本心からの焦りが滲んでいるように見えた。


「全く、サマンサが言ってた通り、とんでもない怪物だ。

 映像やデータじゃ分からんもんだな。実物はここまで規格外とは」

「……サマンサさんを知ってるのか?」


 俺が問いかけると、男は親しげにウインクをした。

 敵意が完全に消えている。


「ああ、古い馴染みでね。若い頃にいろいろとあったもんだ。

 改めてだが、俺の名はジェームズ。ジェームズ・ウィックだ」


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