第138話 豪運と暴力①

 ホテルを出て、俺は再びマカオの熱気の中に身を投じた。

 豪華なルームサービスよりも、今の気分はもっと庶民的な味だ。

 ペントハウススイーツの破棄力が高すぎたせいだな。


 向かったのは、ガイドブックに載っていないような裏通りの屋台街。

 地元の人々が仕事終わりに一杯やっているような、ローカルなエリアだ。


「すみません、この麺料理は何ですか?」

「牛バラ麺だよ。八角が効いてて美味いぞ!」

「じゃあそれ一つください」


 俺は屋台の丸椅子に座り、地元のおっちゃんたちに混じって麺を啜った。

 美味い。

 そして何より、楽しい。


 【言語理解】スキルのおかげで、飛び交う会話が全て分かる。

 隣の席のサラリーマンっぽい男が上司の愚痴を言っているのも、店主が奥さんと電話で喧嘩しているのも、全部聞こえる。


 俺も広東語で会話に混ざってみた。

 旅は恥のかき捨てというからな。なぜかテンションが上がって、積極的になってしまうものだ。


「兄ちゃん、観光かい? 景気良さそうな顔してるな」

「ええ。これから一勝負しに行こうと思って。

 どこに行こうか迷ってるんですけど、熱気がある一番デカいカジノはどこですか?」


 俺が尋ねると、おっちゃんはニカっと笑って親指を立てた。


「そりゃあお前、ゴッド・ドラゴンだよ。

 あそこはマカオの歴史そのものだ。レートも客層も別格だぞ」

神龍ゴッド・ドラゴン? ウケるな」

「ん?」

「いや、なんでもないです。ありがとう、店主さん」


 お菓子を貪り食べる幼女が脳裏に浮かぶ。果たして本当に良いカジノか甚だ疑問だ。


 だが、言葉が通じるだけで、旅の解像度が段違いに上がるな。

 俺は一緒に出された水を飲み干し、代金を置いて席を立った。


「さて、行くか」


 腹ごしらえも済んだ。情報も得た。

 いざ、戦場へ。


 ◇


 タクシーで向かったゴッド・ドラゴンは、その名の通り、巨大な金色の龍がビルに巻き付いたような、ド派手な外観をしていた。

 翡翠宮殿が洗練された高級リゾートなら、ここは欲望を煮詰めた魔窟といった雰囲気だ。


 エントランスをくぐると、そこは光と音の洪水だった。

 スロットマシンの電子音、チップがぶつかる音、人々の歓声と溜息。

 タバコの煙と香水の混じった匂い。この圧倒的な熱量こそ、俺が求めていたものだ。まさに海外旅行。


 まずは手始めに、換金所で100万円ほどチップに交換する。

 ちなみに今回のホテル、一泊200万円くらいするらしい。一晩で300万円使うとか、俺の人生にはない展開だ。

 でも、これでも俺の財産から考えるとは端金なんだから、おそろしい。

 これは本当に自分をしっかり持っていないと、身を崩しそうだ。絶対にイヤだけど。


 俺が選んだのは、マカオのカジノで最も人気があるというゲーム『大小シックボー』だ。

 3つのサイコロの出目の合計や組み合わせを当てる、単純だが奥が深いゲームのようだ。


「place your bet」


 ディーラーが声を上げる。

 俺は手元のチップを弄びながら、盤面を見つめた。


 さて。【豪運】スキルの実力とやらを見せて貰おうか。

 桜曰く、何も意識することはないそうだ。ただ、運が良くなる。シンプル故に恐ろしく効果的なスキル。


 本来、カジノのゲームは運だけでなく技術や知識が求められるものらしいが、それを凌駕するのが【豪運】スキル。ただ、「当てたい」「勝ちたい」と情動に任せるだけでいい。


 ふと、盤面の『大』のエリアが、なんとなく輝いて見えた気がした。

 根拠はない。ただ、「そこに置けば勝てる」という確信めいた直感だけがある。


「……ここだな」


 俺は『大』のエリアにチップを置いた。

 周りの客も各々が好きな位置にチップを置き、ベットしていく。


「no more bet」


 ある程度賭け終えたのを見たディーラーが手で制す。

 3個のダイスが回り、俺たちが見守る中、ぴたりと回転を止めた。


 結果は――当たりだ。


 そこからは、自分でも引くほどの快進撃だった。

 もちろん、毎回当たるわけではない。

 時折外れることもある。だが、トータルで見れば圧倒的に勝ち越している。

 まるで、運命の女神が俺の肩に座って、サイコロの目をいじくっているかのようだ。


 ルーレットに行けば、適当に置いた数字に球が吸い込まれる。

 バカラをやれば、配られるカードが欲しい数字そのものだったりする。


(……おいおい、マジかよ。これが【豪運】の効果か……?)


 手元に積み上がっていくチップの山を見ながら、俺は背筋が寒くなるのを感じた。

 俺は何の努力も計算もしていない。ただ『なんとなく』置いているだけだ。

 それなのに、資産が倍々ゲームで増えていく。


 確率という概念が崩壊している。

 100万だった種銭が、気づけば5000万を超えていた。


「おい、あの日本人、また当てたぞ……」

「ツキまくってやがる。あいつに乗っかれ!」


 周囲の客がざわつき始め、俺と同じ場所にチップを置こうとする者まで現れた。

 ディーラーの額にも脂汗が滲んでいる。


 ——やり過ぎたな。

 そろそろ潮時かと思ったその時だった。


「お客様」


 背後から、低い声が掛かった。

 振り返ると、黒服を着た大柄な男たちが3人、壁のように立っていた。

 インカムを付け、鋭い眼光を放つセキュリティだ。


「少々、ツキ過ぎのようですね。

 オーナーがお会いしたいと言っています。別室へご同行願えますか?」


 ——出た。カジノ映画でお約束の、アレだ。

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