第137話 マカオの洗礼

 機内は、まるでホテルのラウンジのように豪華だった。

 ふかふかの革張りシートに座り、専属のCAさんが運んでくれたウェルカムドリンクを飲む。


 なんでこういう専用機のCAさんって、美人さんなんだろうか。

 なぜか熱い視線を送ってきてくれるCAさんを躱すために、窓の外を見たいんですよといった感じで顔を窓に寄せる。


 窓の外には、雲海が広がっていた。


 数時間後。

 眼下に、海に突き出した半島と島々、そしてそれらを繋ぐ長い橋が見えてきた。

 所狭しと並ぶ奇抜な形状の巨大ビル群が、夕日を浴びて金色に輝いている。


 東洋のラスベガス、マカオ。

 世界中から欲望が集まる、眠らない街だ。


 着陸し、タラップを降りた瞬間、ムッとした熱気と、独特の湿度が肌にまとわりついた。

 日本とは違う、混沌と熱狂の匂い。


 空港の到着ロビーに出ると、無数の人々が行き交い、中国語——広東語や北京語が混ざっているようだ——や英語、ポルトガル語が混ざり合い、怒号のような会話が飛び交っていた。

 以前ならただの雑音だったそれらが、今の俺には全て意味のある言葉として聞こえる。


「おい、タクシーこっちだ!」

「安くしとくよ社長! あそこのカジノどう?」

「へへっ、カモになりそうな日本人が来たぜ」


 客引きの声も、悪巧みの囁きも、全てクリアに理解できる。

 世界が広がった感覚だ。


 ふと、背筋に冷たい視線を感じた。

 敵意ではない。だが、じっと観察するような、粘着質な視線。

 俺は足を止め、さりげなく周囲を見渡した。


(……誰だ?)


 雑踏の中に、怪しい人物は見当たらない。


 俺はここ数ヶ月で一気に有名人になってしまった。

 サンダー・ベル討伐に、バチカンでの一件。ネット上には俺の動画や写真が出回っている。

 世界中の諜報機関や、裏社会の人間が俺をマークしていてもおかしくはない。


(……フッ。有名人はつらいぜ。異国の地に来てまで視線を集めちまうとはな)


 俺はニヒルな笑みを浮かべ、前髪をかき上げた。

 孤高の英雄、ここにあり。そんな雰囲気を出してみる。


「(おい、あの兄ちゃん。出口のど真ん中で立ち止まって何カッコつけてんだ?)」

「(プッ、邪魔なんだけど)」

「(ナルシストかよ)」


 ……周囲の観光客の冷ややかな声が、鮮明に聞こえてきた。

 俺の顔が一瞬で沸騰した。

 ただの通行の邪魔だった。


「……急ごう」


 俺は顔を伏せ、逃げるように出口へと向かった。

 恥ずかしい。穴があったら入りたいが、あいにくここは空港だ。

 やっぱり調子に乗ってはダメなんだと、心に刻み込んだ。


 ◇


 気を取り直して、俺はタクシー乗り場の列に並んだ。

 順番が来て、少し塗装の剥げたタクシーに乗り込む。


你好ニーハオ! ようこそマカオへ! 日本の方かね?」


 運転手は愛想の良さそうな中年男だった。

 人懐っこい笑顔で話しかけてくる。


「あ、ああ。ニーハオ。えと、翡翠宮殿ジェイド・パレスホテル。お願い、シマス」


 俺は少し戸惑いながら答えた。

 言葉の意味は完璧に分かるのだが、咄嗟にどう返していいか迷ったのだ。

 現地語で流暢に返すか、それとも観光客らしく英語で通すか。

 そのせいで、片言になってしまう。


 その数瞬の沈黙と不細工な発音を、運転手は「言葉が分からないカモ」と判断したらしい。


 彼はニコニコしたまま前を向き、手元の無線機に向かって早口で囁いた。


「……へい兄弟ブラザー。またカモが来たぜ。日本人の若造だ。言葉はまったく分からんらしい」


 無線から、ガサガサとしたノイズ混じりの笑い声が返ってくる。


『ラッキーだな。で、どうする? 遠回りか?』

「ああ。高速には乗らずに旧市街を大回りして、メーターに細工した『特別料金』でふんだくってやるよ。

 どうせ相場なんて知らねえだろ」

『いいねぇ。あとで分け前よこせよ』


 ……なるほど。

 どうやら俺は、絶好のカモ認定されたらしい。

 【言語理解】スキルは、こういう無線越しの会話でも余裕で理解させてくれるから便利だ。


 運転手は無線を切り、バックミラー越しに愛想笑いを浮かべて言った。


「さあて、出発するよ! 最高のドライブを楽しんでくれよな!」


 もちろん、日本語ではなく広東語だ。

 俺は窓の外を流れる景色を見ながら、同じく流暢な広東語で、低くドスの効いた声を意識して呟いた。


「おい、運転手さん」

「へ、へい? 何でしょうお客さん?」


 日本語か英語で話しかけられると思っていた運転手が、ビクリと肩を揺らして振り返る。

 俺は冷ややかな声で続けた。


「さっきの無線、丸聞こえだったぞ。『特別料金』ってのは何だ?

 それに、高速に乗らずに旧市街へ行くつもりか? ずいぶんと遠回りなルート案内だな」

「えっ……!?」


 運転手がギョッとして俺を見た。

 俺はニヤリと笑い、さらに畳み掛ける。


「観光客相手にボッタくろうって魂胆か?

 ……そっちの管理してる元締めボスに通報してもいいんだぞ?」


 もちろんボスがいるか、いたとしてもどこに居るかも知らない。完全なハッタリだ。

 だが、運転手の顔色がサッと青ざめた。

 流暢な現地の言葉、しかも裏社会の人間が使うようなスラング混じりの口調。

 ただの観光客ではないと悟ったらしい。


「す、すみません旦那ァ! うっかりしてやした!

 すぐに最短ルートで向かいます! メーターも正規料金で! へへっ、冗談ですよう!」

「そうか。頼むよ、『翡翠宮殿ジェイド・パレスホテル』まで」


 その後、タクシーは制限速度ギリギリの爆速でホテルへ向かった。

 どうやら「日本のヤクザ関係者」か何かだと勘違いされたらしい。

 まあ、面倒がなくていいか。


 ◇


 到着した『翡翠宮殿ジェイド・パレスホテル』は、圧巻の一言だった。

 巨大な蓮の花を模したようなド派手な外観。

 外壁全体がLEDで極彩色に光り輝いている。

 入り口には巨大な金の獅子像が鎮座し、次々と高級車が吸い込まれていく。


 俺はタクシーを降り、正規の運賃を渡してエントランスへ向かった。

 運転手が「チップは……?」と控えめに聞いてきたが、一睨みするとそそくさと帰って行った。

 さすがに、カモにしようとしておいてチップを求めるのは、図々しすぎるだろう。


 ため息をつきながらエントランスに向かうが、回転扉の前で、制服を着たベルボーイに手をかざされた。


「おい、ちょっと待て君」


 ベルボーイは俺の全身――ウニクロのパーカーにジーンズ、スニーカーというラフな格好。さらにはスーツケースなどはなく、荷物は背中に背負っているリュックだけだ――をジロジロと見て、鼻で笑った。


「ここは宿泊客か、カジノの会員専用だ。

 観光なら外から写真を撮るだけにしてくれ。バックパッカーが泊まれるような安宿じゃないんだよ」


 おおう。なるほど。こういう高級ホテルにはドレスコードとかがあるってことか。確かに今の俺は、どう見ても金持ちには見えない。


「宿泊予約をしてあるんですが」

「はぁ? 予約? 名前は?」

「柴田です。ヒロユキ、シバタ」


 俺はポケットから、白雪さんに渡された一枚のカードを取り出した。

 漆黒の地に、金色のホログラムでADAの紋章が刻まれた、ブラックカード。

 それをベルボーイに見せる。


「これでチェックインできると思いますが?」


 カードを見た瞬間、ベルボーイの目が点になった。

 そして、顔色が白を通り越して土気色になった。


「あ、あ、ADAの……ブラック……!? し、失礼いたしましたァッ!!」


 ベルボーイが直角に腰を折り曲げた。

 その声を聞きつけたのか、奥から支配人らしき初老の男性が飛んでくる。


「ようこそお越しくださいました、ミスター・シバタ!

 お待ちしておりました! ささ、チェックインの手続きを……」


 支配人に先導され、俺は黄金と大理石で埋め尽くされたロビーへと足を踏み入れた。

 天井には巨大なシャンデリア。行き交う人々も、ドレスやタキシードで着飾った富裕層ばかりだ。

 パーカーにジーンズの俺は完全に浮いているが、支配人の態度のせいか、周囲は「あいつ何者だ?」という視線を向けてくる。

 恥ずかしい。


 その時だった。


「ふざけるな! イカサマだろあの台は!」


 フロントの横——併設してあるカジノに続く通路の入口で、怒号が響いた。

 見れば、酒に酔った小太りの観光客が、スタッフに掴みかかろうとしていた。

 負けが込んで暴れているのだろう。よくある光景……なのか?


「お客様、困ります」


 すぐに黒服を着た大柄な男たち――カジノの警備員が現れた。

 ただの警備員ではない。その身のこなし、目つき。明らかに荒事に慣れた本職の人間だ。

 彼らは観光客の両脇を抱え上げると、無言のまま裏口の方へ引きずっていく。


「離せ! 俺は客だぞ!」

「……外で頭を冷やしてもらいましょうか。たっぷりとね」


 警備員の一人が、嗜虐的な笑みを浮かべ、拳を握りしめた。

 その場の空気が凍る。

 ただ追い出すだけじゃない。人気のいない場所で、痛めつけるつもりが明確に伝わってくる。

 周囲の客もそれを見て見ぬふりをしている。これがこの街のルールなのだろう。


 だが。


(……気分の悪いもん見せるなよな)


 俺は足を止め、ほんの一瞬だけ、彼らに視線を向けた。

 魔力を込める必要さえない。

 ただ、『やり過ぎはよくないだろ』という意思と、少しの殺気を乗せて一瞥した。


 ――ビクッ。


 警備員たちの動きが止まった。

 彼らは驚愕の表情で周囲を見回し、そして俺の方を見た瞬間、蛇に睨まれた蛙のように硬直した。

 生物としての本能が、危険信号を発したのだ。


 彼らは顔を見合わせ、舌打ちをして観光客を離した。


「……今回は見逃してやる。二度と来るな」

「ひぃぃっ!」


 観光客は転がるように逃げていった。

 警備員たちも、バツが悪そうに俺から視線を逸らし、そそくさと持ち場へ戻っていく。

 騒ぎは収まった。周囲の客が安堵の息をつく。


 俺も歩き出そうとした、その時。


 ポン、と。

 背後から、誰かが俺の肩を軽く叩いた。


「――いい『間』だったな」


 低い、よく響く声だった。

 英語だが、【言語理解】のおかげでニュアンスまで鮮明に伝わる。

 俺が振り返ると、そこには一人の男が立っていた。


 長身の白人男性だ。

 仕立ての良いスーツを着ているが、その下の筋肉が鋼のように引き締まっているのが分かる。

 何より、その瞳。

 深い湖のような静けさの中に、鋭利な刃物を隠し持っているような目だ。


「暴力で止めるでもなく、言葉で諭すでもなく、ただ『視線』だけで制圧した。

 ……今の判断、悪くない」


 男は短くそう告げると、ニヤリと片方の口角を上げ、そのままVIP専用のエレベーターへと歩き去っていった。


「…………」


 俺は呆然とその背中を見送った。

 誰だ、今の男は。

 カジノのオーナーか? それともどこかのマフィアのボスか?


 分からないが、一つだけ確かなことがある。

 今まで会った人間の中で――いや、もしかすると探索者を含めても、一番『デキる』。

 俺の殺気に当てられても眉一つ動かさず、あまつさえ評価して去っていくとは。


(……あんな人もいるんだな)


 俺はなぜか少しの興奮を覚えながら、再び歩き出した。


 ◇


「こちらが最上階のペントハウスでございます」

「…………は?」


 支配人に案内された部屋の扉が開いた瞬間、俺は言葉を失った。

 というか、部屋の中にエレベーターが直通してるってどういうことよ。


 広い、とかいう次元ではない。

 まず玄関だけで俺の実家のリビングより広い。

 靴を脱いで上がるべきなのか、それともこのふかふかの絨毯を土足で踏んでいいのか、日本人のDNAが激しく葛藤する。


 リビングには10人くらい座れそうな巨大ソファ。

 天井までの高さがある窓からは、マカオの100万ドルの夜景が一望できるロケーションだ。

 グランド・リスボアの特徴的なシルエットや、海にかかる橋のライトアップが、まるで俺一人のために輝いているようだ。


「寝室はこちらです」


 案内されたベッドルームには、キングサイズを通り越した、もはや「土俵」みたいなサイズのベッドが鎮座していた。

 これ、寝返り打ったら遭難するんじゃないか?


「バスルームは総ガラス張りで、夜景を楽しみながら入浴いただけます」


 支配人が誇らしげに示す先には、スケスケのガラス張りの風呂。

 いや、誰得だよこれ。一人で入ってて、ふと鏡に映った自分と目が合ったら気まずいだろ。


「それでは、ごゆっくりお寛ぎください」


 支配人が深々と頭を下げて退室すると、広大な空間に俺一人が残された。


「……落ち着かない」


 俺はとりあえず、巨大なソファの端っこにちょこんと座った。

 3兆円という莫大な資産があっても、染み付いた庶民感覚は抜けないらしい。

 テーブルに置いてあるウェルカムフルーツの盛り合わせも、高そう過ぎて手が出せない。


「これが金持ちの世界か……。俺にはコタツとみかんがお似合いかもしない」


 俺は苦笑しながら立ち上がった。

 ここにいても、自分の貧乏性が浮き彫りになるだけだ。

 せっかくマカオに来たんだ。外の空気を吸いに行こう。


 俺は部屋を出る前に、鏡で自分の服装を確認した。

 パーカーにジーンズ。

 うん、この部屋には全く似合わないが、今の俺にはこれが一番落ち着く戦闘服だ。


 今後の予定を脳内で確認する。

 今日の予定は特になし。明日例のオークションに参加して、明後日はもう帰宅だ。


「よし。まずは腹ごしらえして、それからカジノに殴り込みだな」


 俺は足取り軽く、部屋を後にした。

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