第133話 龍と番
拠点に戻ってきた俺は、ティアの手を引き、リビングへと戻った。
ドアを開けると、書斎からコーヒーのおかわりを取りに来ていた白雪さんと、ソファで休憩中だった桜がこちらを振り向いた。
そして――時が止まった。
文字通り、二人の動きがピタリと止まったのだ。
白雪さんはマグカップを持ったまま硬直し、桜はスマホを操作していた指を空中で静止させている。
部屋から音が消えたかのような静寂。
二人の視線は、俺の隣に立つ小さな少女に釘付けになっていた。
無理もない。
今のティアの破壊力は、戦略級魔法に匹敵する。
神龍の鱗の輝きを宿したプラチナブロンドの髪は、歩くたびに光の粒子を撒き散らすように揺れ、大きな黄金の瞳は宝石よりも澄んでいる。
透き通るような白い肌と、あどけない顔立ち。
それはもう、現世に舞い降りた天使か、最高級のビスクドールが命を持って動き出したかのような、圧倒的な美と愛らしさの暴力だった。
「……ひろ、くん……?」
「し、柴田さん……?」
数秒の沈黙の後、二人が同時に、夢遊病者のようにふらふらと近寄ってきた。
その目は、完全にハートマークになっている。
「その子……だあれ……?」
「か、可愛い……! なんですかこの生物は……!」
二人の視線がティアに集中する。
俺はあらかじめ用意しておいた設定を口にした。
「あー、その……ちょっと訳ありで。この前、アメリカ政府から内々に頼まれてた案件があったんですけど」
「ああ……バチカンが荒れたアレですね」
白雪さんが納得したように頷く。
俺が海外の要人とコネがあることは、ADAも把握している。
アメリカ政府からの極秘依頼と言えば、詮索されにくいはずだ。
「そうそう。その関係で、この子を預かることになったんだ。名前はティア」
「預かる、ですか? これほど小さなお子さんを?」
白雪さんがパッチリとした瞳を瞬かせる。
そりゃ、確かにこんなオッサンのところに、こんな可愛い少女を単身預けるなんて、普通は起こりえないよな。
そして不思議そうな顔をする桜。
ずっと一緒にいて顛末を知っているから、疑問に思って当然だ。
だが、今はスルーしてくれ。頼む! と目で念を送る。
それが功を奏したのか、桜は何も言わず一歩引いた。さすが桜。愛の力だ!
「じ、実はこの子、特殊な
普通の施設じゃ預かれないから、世界で一番安全な場所――つまりここに匿ってほしいって頼まれたんです」
「特殊なギフト?」
「ええ。ちょっと聞いたことないようなギフトで。……な、ティア?」
俺が目配せすると、ティアは空気を読んでニコリと微笑んだ。
「はじめまして! ティアだよ!
ひろおじちゃんにお世話になります! よろしくねー!」
完璧な猫かぶりだ。さすが数千年生きているだけのことはある。
「まあ! なんて可愛らしい!」
「ティアちゃんっていうの? よろしくね」
桜と白雪さんは、一瞬でティアの愛らしさに陥落した。
だが、白雪さんはすぐにプロの顔に戻る。
「でも柴田さん、預かるのはいいですが、今の柴田家はセキュリティ的にリスクが高いですよ?
シッターを雇うにしても、情報の漏洩が心配ですし……」
「ああ、それなら大丈夫。
さっきのギフトの話に繋がるんだけど、むしろ、この子が二人を守ってくれるから」
「え? 守る?」
白雪さんが首をかしげる。
ティアは、無邪気な笑顔のまま、スッと右手を掲げた。
「いでよ! ミニドラちゃん!」
ポンッ、という軽い音と共に、光の粒子が集まり、二匹の小さな生物が実体化した。
掌サイズの、デフォルメされたような金色のドラゴンだ。
ぬいぐるみのように愛らしいが、その内包する魔力量はサンダー・ベルに匹敵する。
神龍本体の力をさらに小分けにした、自律型の防衛システムだ。
「きゃあ! なにこれ可愛い!」
「召喚スキル……!? しかも、見たことのない生物ですね」
二人が驚く中、ティアが指示を出す。
ミニドラゴンたちは、桜と白雪さんの手首にするりと巻き付き、光となって消えた。
後には、金色の龍を模した美しいブレスレットだけが残った。
「これがティアの力です。
そのブレスレットには、ティアの召喚獣が住み着いています。
俺やティアがそばにいない時でも、持ち主に危険が迫れば自動で飛び出して守ってくれるはずです」
「す、すごい……! 自律防衛型の召喚獣なんて、聞いたことがありません!」
「ん……? ひろくん、ティアちゃんがそばにいない時でもって、どういうこと?」
桜が疑問の声をあげる。
ああ、まだそこを伝えていなかったか。
「ティアの力は、正直水瀬さん級だと思ってくれて大丈夫だ」
「ええっ!?」
ティアは、無邪気な笑顔のまま、スッと右手を掲げた。
「えいっ!」
彼女の指先から、金色の光が放たれた。
それは瞬時にリビング全体を覆う、半透明の結界となった。
その結界の強度は、俺の目から見ても半端ない。
「……え?」
白雪さんが口を開けたまま固まる。
桜も、その魔力の異常な密度に気づき、息を呑んでいる。
ティアは「えっへん」と胸を張った。
「ティアはつよいからだいじょうぶ!
おねえちゃんたちにゆび一本ふれさせないよ!」
その言葉に嘘はないだろう。
なにせ中身は神龍だ。指一本触れようとしたら、その腕……いや存在ごと消し飛ばされかねない。
「……と、というわけで。これがあれば、物理攻撃も魔法も防げるし、いざとなればGPS代わりにもなる。
白雪さん、これからは常にそれを着けたままでお願いします」
「し、承知しました。こんな素敵なアクセサリーなら大歓迎です」
よし、これで防衛体制は盤石だ。
白雪さんが「この子の滞在手続き等は大丈夫ですか?」と心配してくれたが、何とか誤魔化しておいた。
後でサマンサさんに協力を依頼しておかないといけないな……。
防衛体制は盤石だが、俺の作った設定は穴だらけぽかった。
やっぱり思いつきの行き当たりばったりで行動するのは、ちょっとマズかったか……。
いや、でも桜と白雪さんの安全には変えられないし、これは仕方ない、よな。
◇
夕方になり、白雪さんは「ADA本部に報告に行ってきます」と帰宅した。
リビングには、俺と桜、そしてティアの三人だけが残された。
パタン、と玄関が閉まる音がした瞬間、俺はふぅーっと大きく息を吐き、ソファにドカッと座った。
「あー、ティア。桜の前では隠さなくていいよ」
「え?」
ティアも俺と同じように、ソファにドカッと座る——というよりダイブした。
「疲れたのじゃ……。人間の子どものフリも楽ではないわ」
態度が一変し、偉そうな口調に戻るティア。
桜が目を丸くしている。
「えっ? あれ? ティアちゃん?」
「桜、実はな——」
俺は苦笑しながら、桜に本当のことを話した。
この子がアメリカからの依頼なんてのは嘘で、実は裏庭のダンジョンにいる『神龍』の分体であること。
桜たちを守るために、わざわざ実体化してもらったこと。
「ええええっ!? あ、あのひろくんが言ってたダンジョンの?」
「うむ。龍種の始祖にして、神格を得た【始祖たる神龍】とは儂の事よ」
ティアが腕組みをして、ドヤっとした表情で桜を見る。
すごく偉そうだ。最初に俺と会った時は、服従のポーズまでしていたのに。
だが、桜は恐縮して直立不動になった。
「神格? 神様ってこと? す、すみません! 私、神様だとは知らずに気安く……!」
「よいよい。今の儂はこの姿じゃ。ティアと呼べと言っただろう」
ティアはお腹をさすりながら、じろりと俺を見た。
「それよりヒロユキ。約束の物はまだか? あの『プリン』という供物を所望するぞ」
「はいはい」
俺は冷蔵庫から、先日星羅が持ってきた『極生プリン(限定品)』を取り出し、ティアの前に置いた。
ティアは目を輝かせ、スプーンで一口すくって口に運ぶ。
「…………ほう」
ティアの動きが止まった。
そして、頬がとろけるように緩んだ。
「なんじゃこれは……! 甘美! 濃厚! これほど美味いものを食ったのは初めてじゃ……!」
「ふふ、気に入ってもらえてよかった。
それ、私が持ってきたわけじゃないけど、他にもお菓子あるよ?
フィナンシェとか、マカロンとか」
桜が戸棚からお菓子を取り出して並べると、ティアの目が釘付けになった。
「こ、これも食ってよいのか?」
「うん、どうぞ。神様のお口に合うか分からないけど」
「食う! 食うのじゃ!」
ティアは猛烈な勢いでお菓子を平らげていく。
そして、満足げに息を吐くと、真剣な顔で桜の手を取った。
「サクラよ……。お主、素晴らしい人間だな」
「え?」
「ヒロユキの横にいるのがお主でよかった。儂は認めたぞ。お主は今日から儂の『友』じゃ!」
チョロい。
神龍、お菓子で買収される。
まあ、最強の神獣が味方についてくれたなら安いものか。
桜は「あはは……」と笑いつつ、少しだけ寂しそうな顔をした。
「そっか……。これからは三人での生活になるんだね」
「ん? 嫌か?」
「ううん、嫌じゃないよ! ティアちゃん可愛いし、頼もしいし!
……ただ、ひろくんと二人きりの時間が減っちゃうなぁって、少し思っただけ」
桜が上目遣いで俺を見る。
その破壊力に、俺がドキッとしていると――。
ティアがニヤリと笑い、桜の服の裾を引いた。
「安心せい、サクラ」
「え?」
「儂はこう見えても気は利く方でな。お主はヒロユキの『
「つ、つがいっ!?」
桜の顔がボッと赤くなる。
龍にとっての「番」とは、生涯を添い遂げる唯一無二のパートナーを指すらしい。
人間で言う「妻」以上の重みがある言葉だ。
「夜の営みや、愛を育む時間を邪魔するほど野暮ではないわ。
そういう時は、儂は気配を消して自室にこもるし、なんなら結界で防音もしてやろう」
「な、ななな、何を言ってるのティアちゃん!?」
桜が湯気を出しながら顔を覆う。
ティアは「カッカッカ」と愉快そうに笑い、俺にウインクを飛ばしてきた。
……この神様、見た目は幼女でも中身は完全にオッサンだ。
さらに賑やかになりそうなこの生活。
俺のまったりライフは、いったいどこへ行ってしまったのだろう……。
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